新千夜一夜物語 第35話:神への接し方

青年は思議していた。

以前から話題に挙がっている、神の眷属についてである。
現実でもSNSでも、龍神やお狐様といった、眷属を前面に押し出して情報発信をしている人物が少なくない。
いろんな神社で神の眷属の名前を目にするが、そもそも、どのような存在なのか?
また、陰陽師が日頃言及している、“本物の神=カミ”とはどう違うのか?
青年は、独りで考えても埒があかないと思い、陰陽師の元を訪れるのだった。

『先生、こんばんは。今日は本当の神と神の眷属の違いについて、教えていただけませんか?』

「今回もまた壮大なテーマじゃな。もちろん、眷属について説明することはやぶさかではないが、その前に、眷属は“霊障”と密接な関係があるため、まずはそこから話を始めるとするとして、その前に“霊障”に関する復習も兼ねて、まずはそなたなりに理解していることを話してもらおうかの?」

陰陽師の言葉に対し、青年は小さくうなずいてから口を開く。

『“霊障”には大きく分けて四つあり、一つ目が霊脈と血脈の先祖霊の霊障、二つ目が対面やSNSを通じて他者から受けたり、心霊スポットなどから拾う地縛霊の霊障、三つ目がグッズの霊障、そして四つ目が魑魅魍魎、雑霊や人の念による霊障となり、二つ目と四つ目が日々の“お祓い”の対象となっています』

「ふむ。基本的なことは、しっかり押さえておるようじゃの」

青年の回答に小さくうなずいた後で、陰陽師が口を開く。

「では、いくつか質問させてもらうが、まず、霊脈と血脈の違いについて、そなたの考えは?」

『霊脈の先祖霊とは、魂の種類1〜4に関わらず、本人と同じ種類の地縛霊化した先祖のことで、血脈の先祖霊とは、魂の種類が異なる地縛霊化した先祖のこととなります。従って、武士である僕の場合は、霊脈の先祖霊は武士霊となり、血脈の先祖霊は武士霊を除く、1:僧侶霊、2:貴族霊、3:武将霊、4:諸々霊となります』

青年は陰陽師の様子を見、ここまでの説明で問題がないことを確認し、続ける。

『また、“霊統”と“血統”は、先祖が子孫にかかっていてもいなくても地縛霊化している先祖霊のことを意味し、“霊統”は本人と同じ種類の魂、“血統”は本人と異なる魂の種類であることを意味しています』

「では、地縛霊化した先祖霊にとって、かかるべき子孫が途絶えてしまった場合、どうなるか覚えておるかな?」

青年はしばし黙考して記憶を探った後、口を開く。

『その場合、その魂にとって縁がある土地や建物、その土地に関わりがある法人にかかります。つまり、先祖霊ではなく“地縛霊”となります』

青年の説明に対し、陰陽師は満足そうにうなずいた後、口を開く。

「基本はしっかり押さえておるようじゃが、もう一度だけ、霊障について整理しておくとしよう」

陰陽師はそう言い、紙に霊障の種類を書き記していく。

《霊障の分類》
・先祖霊(魂の種類1〜4):霊脈、血脈、霊統、血統
・地縛霊(魂の種類1〜4):かかる子孫が途絶えた魂
・土地/建物/法人の霊障(地縛霊)
・グッズの霊障
・念(呪い、生き霊、邪神など)

※以下、眷属や動物霊など
・龍神
・龍霊
・稲荷
・狐霊
・熊手/狸霊
・雑霊/魑魅魍魎:動物霊/天狗・座敷童・麒麟(似非神様)

納得顔でうなずきながら紙を眺める青年に、陰陽師は声をかける。

「一口に霊障と言ってもこのように様々な種類に分類できるわけじゃが、今回のテーマである眷属は、土地と法人にかかるパターンと、眷属にすがった人物に対してかかるパターンとが想定できる」

『眷属も、土地/建物/法人にかかるのですね。それにしても』

そう言った後、青年はメモ書きを一瞥してから、続ける。

『龍神と龍霊は龍、稲荷と狐霊は狐と、種類が同じでも呼び名が異なっているようですが、各々、どのように違うのでしょうか?』

「その質問に答える前によく理解してもらいたいのは、便宜上、龍神/龍霊、稲荷/狐霊、熊手/狸と呼んでいるだけであり、巷で取り挙げられている存在とは必ずしも同一ではない、ということじゃ」

『つまり、先生が今から説明してくださる、龍神や稲荷は、世間一般と共通する部分もあるものの、基本的には、別物として話を聞くべき、ということでしょうか?』

「その通りじゃ。それと、三つの眷属の呼び名は日本特有のものであり、海外では馴染みがないことから、外国のクライアントに対しては、ワシは数字と記号で説明しているわけじゃが、そのことも踏まえ、今から龍神を1、龍霊を1‘、稲荷を2、狐霊を2’、熊手/狸を3として説明していく」

そう言い、陰陽師は紙で眷属の数字を丸で囲って強調する。

1:龍神、1‘:龍霊
2:稲荷、2‘:狐霊
3:熊手/狸

青年の問いに対し、陰陽師はうなずいてから、説明を始める。

「龍神(以下、1)は、川べりとか、かつて沼・池・湿地帯であったところに家を建てることによって、その住民が霊障を受けるケースで、肺や喉の健康被害をもたらすケースが多い。龍霊(以下1’)は、諏訪大社のような龍神を眷属としている神社に“私利私欲に満ちた”願い事をし、願いを聞き受けてもらったにもかかわらず、その子孫が1’をないがしろにした結果、かかる霊障じゃ」

『“私は生まれながらに龍神に守られている”などといった発言をしている人がいますが、ああいった人たちの中には、霊障の“17:憑依”の相があるために、新生児の頃から1’がかかっていると考えることもできるのでしょうか?』

「その可能性は極めて高い。たとえ生まれつき1’がかかっていたとしても、それをないがしろにした後にしっぺ返しがくる点では、後天的に1に願い事をした人物と同じ末路になる。そうした意味では、その人物と1’の関係は、まさに一蓮托生といった表現が当たっているかもしれんな」

『生まれつきにせよ、意図的にせよ、ひとたび眷属に願い事をしてしまった場合、しっぺ返しを受けないように死ぬまですがり続けるか、あるいはどこかで覚悟を決めて、僕のように代償を払うか、になってしまうのでしょうか?』

青年はそう言うと、唸りながら首を傾げる。

「いや、そうともかぎらんぞ。ワシの話を信じるのであれば、先祖供養を始めとする、神事やお祓いを受ければ、しっぺ返しをうけずに済むと言う解決策も残っておる」

『たしかに。“17:天啓/憑依”の相は、神事で解消するのでしたね』

そう言い、青年は再び陰陽師のメモを眺めてから続ける。

『今度は稲荷(以下、2)と狐霊(以下、2’)の違いについて教えていただきたいのですが、これらも龍神と龍霊の関係と同じようなものでしょうか?』

「共通する点もあるにはあるが、厳密に言うと、ちと違う。2は、その土地に神社もしくは“祠”のようなものが建っていたが、放置/消滅したケースで、2’は、かつてそこに住んでいた家族/一族が、祀っていた“稲荷/お狐様”への崇拝をやめ、そのまま放置したケースとなる」

青年は陰陽師の説明を反芻した後、口を開く。

『お稲荷さんを自宅の庭に建てて祀っている家をたまに見かけますが、あれなんかもその家族/一族が崇拝をやめて放置したら、2‘の霊障が発生するということもあるのでしょうか?』

「その可能性は、極めて高いじゃろうな。2‘の厄介なところは、崇拝をやめた家族/一族だけではなく、その地に移り住んだ人間にも霊障を及ぼす可能性があるという特徴を持つことから、赤の他人が事情を知らずにその土地を購入/賃貸しただけで、とばっちりを受けてしまうことがある点じゃ」

『人間の私利私欲でお稲荷さんが建てられ、眷属が生み出されてしまうとは、困ったものです。以前の僕は、稲荷神社を見かけたら必ずお参りをするほどに“お狐様”にはまっていまして、農家と思われるお宅の庭にあるお稲荷さんにも祈りを捧げていましたが、そのような行動も2’の影響を受けるきっかけとなっていたのでしょうか?』

「以前も説明したが、霊障は距離と関係がないことから、お稲荷さんに対して何らかの思いを向けただけでも、2’の影響を受ける可能性が極めて高いからの」

『ゲゲエ! ということは、過去に交流していた霊媒師たちが、口を揃えるように、僕が九本の尾を持つ狐に守られていると言っていたのですが、同じ2’でも、いっそう強い霊障を受けていたということになるのでしょうか?』

身をすくませ、おそるおそる言う青年に対し、陰陽師は小さく頷いて見せてから、続ける。

「九本の尾を持つ狐が実在するかどうかはともかくとして、ありがたがっている間に限っては、2’はそなたの現世利益を叶えていたと思うが、お稲荷さんを参拝するのをやめ、ないがしろにしてからは、そなたにしっぺ返しがきた実感はあったのではないかな?」

思い当たる節があるのか、青年は苦笑して口を開く。

『たしかに願いは叶っていましたが、お稲荷さんだけでなく、そもそも神社仏閣への参拝をやめてから、それまでのツケが回って大変な状況になりました』

「おそらく、そうじゃろう」

そう言い、陰陽師はうなずきながら青年に微笑みかける。
青年は用意されていた湯呑みの茶を飲んでから、再び口を開く。

『今度は3:熊手/狸ですが、これだけは先の二つと異なり、3と3’の区別がないようですが、どのような眷属なのでしょうか?』

「熊手は、戦国時代までは、馬上の武将を引きずり落とすための武器として活躍した鉄製の熊手だったが、戦乱が始まった江戸時代になると、武具から落葉を集める竹製の道具へと変化を遂げる。さらに江戸時代中期になり、金属の貨幣の代わりに藩札などの紙幣が普及し始めると、“落ち葉=お金”という連想から、熊手は“縁起物”として商人を中心とした庶民の人気を集め始める」

『なるほど。熊手には、そんな由来があったのですね』

「百科事典にも“熊手”は縁起物として記載されておるはずじゃが、神棚の一隅に飾られ、“商売繁盛”を祈願する以上、その行き先は他の眷属と同じ結果となる」

『神社ではお守りやお札と色んな品物が販売されていますが、結局は現世利益を叶えたい人々に向けの品物ですし、そうした神具は霊障を集める性質もありますから(※第33話参照)、総じて、それらの品は買わない方がいいのですね』

真剣な表情でそう言う青年に対し、陰陽師は満足げに微笑みながら口を開く。

「ここで先程少し説明した土地の霊障の話に戻るが、1と2と3は、土地/建物/法人にかかっている人霊(魂の種類1〜4)の地縛霊と一緒にかかっていることが多く、土地に対する神事で対応しておる。それ故、クライアントに対し、個人の場合は住んでいる土地の住所と建物を、法人の場合はそれらに加えて法人名も教えてくれるように依頼しておる」

『大企業の土地/建物/法人に霊障があると、抱えている社員が多いわけですから、多くの人が霊障の影響を受けしまうのでしょうか?』

「いや。霊媒体質は磁石のような性質であることから、土地/建物/法人の霊障は全員に均等にかかるのではなく、優秀な霊媒体質である社員たちに霊障が集まりやすい。したがって、会社が合併するなどして新たに土地を取得した場合、土地の所有権移転登記をした時点から、当該にかかっている地縛霊の霊障が、特に優秀な霊媒体質の社員に対して突然影響を及ぼすケースもある」

『つまり、書面上のやりとりだけでも、霊障との関係が変化するということでしょうか?』

「登記簿謄本、婚姻届け等の公的な紙類と霊的世界の影響をあなどってはならぬ。たとえば、優秀な霊媒体質である人物が、相性が悪い企業に勤めていた結果、心身を病んでしまい、休職したとしよう。休職後に入院し、治療に専念していても、会社に籍を置いてある以上、会社から受ける霊障に限らず、良からぬ影響も休職しても受けてしまうことから、病状が長引いてしまうことさえある」

『勤めている会社が所有している土地が増えたところで、別部署で勤務している当人には直接関係ないわけですし、ましてや休職後も影響を受けるとなると、気の毒以外の何物でもないですからね』

「土地から少し話が脱線してしまうが、ワシが日頃、恋愛・結婚の相性を鑑定していることはそなたも知っているじゃろうが、書面を介さない、口頭での交際関係であってもお互いの運気に影響しあうことはわかるかの?」

『はい。魂1〜3の人物と、魂4の人物による組み違いのカップルの話を聞くかぎり、結婚せずに交際している時点から、既に大変な苦労をしているようです』

「霊障の“8:異性”による、2−4色眼鏡と2−4逆色眼鏡の組み合わせ(※第20話参照)はわかりやすい例じゃが、たとえば2-3-5-5…2の芸能人同士をみてもわかる通り、魂が同じだとしても相性がいいとはかぎらない。さらに結婚した場合には、お互いの影響力はさらに増すようになる。つまり、ワシの鑑定結果を信じて実際に結婚する場合、入籍届に記載して提出することにより、お互いから見て相性が良ければ(AA以上)、よりいっそう魂磨きの修行が進むというわけじゃな」

『結婚を結“魂”と、ダジャレのように言い換えている人がいましたが、そのような意味では、あながち間違っているわけでもないのですね』

「その人物が、この世とあの世の理屈をどこまで理解して結“魂”と言っているのかはわからぬが、夫婦円満な結婚生活という意味ではなく、あくまでお互いの魂磨きの修行が進む相性、と規定するのであれば、その通りじゃろうな」

陰陽師はそう言い、真剣な表情で黙ってうなずく青年を横目に、続ける。

「話を土地に戻すが、霊能力を持たぬ一般人が、これから購入/賃貸する土地に霊障があるか否かを判断することは難しいことから、立地の良さや家賃などを重視して物件を選ぶのはしょうがないとしても、引っ越してから不幸な出来事が立て続けに起こった場合、まず霊障を疑う必要はあるのじゃろうな」

『引っ越しで運気が変わるとよく聞きますが、霊障の有無も密接な関係があるわけですね』

「その通りじゃ。コンクリートに囲まれた物件であっても、1000年前、2000年前、その土地がどのような場所であったかといった判別がほとんど不可能な現在、当該地が古戦場だったケースや、故郷へと急ぐ旅人が山賊に殺された場所である可能性を常に念頭に置いておく必要があるわけじゃ」

『1や2の眷属による霊障がかかっているのは、川や沼などが埋め立てられてみたり、祠が区画整理によって潰された可能性もあるからでしたね』

「その通りじゃ。故に、クライアントには、引っ越す前や新たに土地を購入する前に、事前に候補物件の住所をリストアップしてもらうよう提言しておるわけじゃ」

『僕も運気がいい物件を鑑定していただきましたので、その節は大変お世話になりました』

そう言い、頭を下げる青年に微笑みかけ、陰陽師は続ける。

「以上で、眷属に関する説明と、それらに対して祈ることで被るリスクについて説明したつもりじゃが、どうじゃ、理解してもらえたかな」

『はい。眷属とは、願いを叶えてくれる反面、代償が必ず生じてしまうことと、祀った後にないがしろにした一族だけでなく、その土地に引っ越してくる赤の他人にも霊障がおよんでしまう、ということでしたね』

青年の言葉に対し、陰陽師は小さく頷いてから、口を開く。

「眷属に祈ってはならないと常々忠告してはいるものの、そうは言っても、己の力だけで生きていけるほど自信に満ちた人物は多くないじゃろうし、時と場合によっては、現世利益を叶えてくれる眷属のような存在に、すがりたくもなることもあるのじゃろう。しかし」

一度陰陽師は言葉を区切り、念を押す様に青年と視線を合わせた後、続ける。

「幸せな未来を願って現世利益を叶えた結果、その次に起こる出来事が本人にとって望ましい結果になるわけではないというのが、この世の常であることはくれぐれも忘れぬことじゃ」

黙って続きを待っている青年の様子を横目に、陰陽師は続ける。

「たとえば、怠け者でろくに勉強をしない学生が、学業に霊験あらたかと評判の神社に“絵馬”を奉納し、“神”に志望校合格を祈り続けたとする。その結果、ろくに勉強もせずに志望校に合格したことを、“神の恩恵”と呼ぶべきかの?」

陰陽師に問われた青年は、しばらく黙考した後、口を開く。

『合格した本人にとって、合格は“神の恩恵”かもしれませんが、合格者数が決まっているとすれば、その学生が合格したことで不合格になる学生が現れることにもなるのでしょうし、弾き出された受験生が真面目に勉強していたのだとすれば、そのような構図は、“魔術/呪術”でしかないと思います。それに』

そこで区切り、青年は学生時代のクラスメイトを思い出してか、納得顔で再び口を開く。

『勉強もせずに志望校に合格したところで、勉学についていけずに留年したり、最悪の場合は退学することもありますから、当人にとってもそのようなことは、望ましい結果にならないのではと思います』

「そなたの言う通りじゃろうな。万人の“欲に起因した身勝手な願い”に“本物の神=カミ”が対応するとしたら、それこそ世界は制御不能に陥ってしまい、逆に、“神も仏もない”世界になることじゃろう」

そう言い、陰陽師は湯呑みに注がれた茶を飲む。
陰陽師が茶を飲み終えるのを待ってから、青年は口を開く。

『そもそも我々は、魂を磨くためにこの世に転生を繰り返しているわけですから、現世利益を獲得するために生きているわけではなく、神は願いを叶えてくれる存在ではないことはわかります。そうは言っても、もう少し具体的に、僕にもわかるような役割を、“本物の神=カミ”はお持ちなのでしょうか?』

困惑顔で問う青年を横目に、陰陽師は湯呑みの茶を再び飲んだ後に口を開く。

「“本物の神=カミ”は、あくまで我々が魂磨きに専念できるよう、この世のみならず、あの世、永遠の世をコントロールしている存在体であり、感謝すべき対象だとワシは思う。さらにそのような存在体の恩恵をあえて挙げるとすれば、我々がこの世で艱難辛苦に遭遇した際に、大難を小難にしてくれる、ということに尽きるのではないかの」

『大難を小難に、ですか?』

青年の問いに対し、陰陽師は小さく頷いてから口を開く。

「たとえば、事故で脚を一本骨折したとする。その事実をもって“なんて不幸なのだろう。神も仏もあるものか”と嘆くのが、一般人の反応じゃと思う」

『そうですね。ほとんどの人間がそう反応すると思います』

「しかしそこには、“本来であれば死んでいてもおかしくない事故だったのに、脚一本の怪我で済むとは、なんと幸運なのだろう”という真逆な考え方も存在する」

陰陽師の説明に対し、青年は手を打ってから口を開く。

『“脚を一本折った”という事実に対して、本人がどう捉えるか、それが問題ということですね』

「その通りじゃ。たとえ、事実が一つであったとしても、その事実をどのように捉えるかによってワシらの目の前に広がる景色はまったく変わって見えてくる。そのような意味で、この“大難を小難に”という考え方こそが、“本物の神=カミ”と対峙する基本的な姿勢だとワシは思う。さらに言えば、“本物の神=カミ”が作ったこの世が“修行の場”であるということは、スポーツジム同様、鍛錬をする人間が体を壊してしまっては元も子もないわけで、この世のどのような艱難辛苦も、基本的には、九割九分のところで救われる、という原則が働いていることもよく理解しておくといい」

何かを思い出したのか、青年はハッと顔を上げて口を挟む。

『神社には昨年の出来事に対する感謝をするという話を聞いて実践していたことがありますが、その行為は、ある意味正しかったわけですね』

青年の発言に対し、陰陽師は困った表情で微笑みながら口を開く。

「以前(※第18話参照)、我々人間の魂に頭の1/2があるのと同様に、神社仏閣にも1/2があり、自分の頭の数字と異なる神社仏閣には参拝しない方がいいと伝えたことも、合わせて、頭の片隅に留めておくようにの」

『そうでした。僕のような頭1:農耕民族の末裔が、頭2:狩猟民族の祖先となる神を祀った神社仏閣を参拝することは、敵地に自ら乗り込みにいくようなことでしたね』

そう言い、苦笑する青年を横目に、陰陽師は口を開く。

「話を戻すが、これだけの事故で済んでありがたい、と“大難を小難”で済ませていただいた恩恵/加護に対し、“お陰様で”と手を合わせて感謝の意を表すことが、本物の神と向かい合う正しい姿だとワシは思う」

『そういえば、富士山の山頂でご来光を見た時、思わず手を合わせたことがあります。特に何かを願ったわけではありませんが、今思うと不可思議な体験でしたが』

「太古より我々人類は、巨岩や樹齢数百年を超える大木や、ご来光に手を合わせ続けてきた。とはいえ、その行為はそれらに対してではなく、それらを含め、地球と宇宙を創造した“人知を超えた存在体”に対する“畏敬の念”から行う、無意識の所作だったはずじゃ」

陰陽師の言葉に対し、青年は力強くうなずく。
陰陽師はそんな青年を横目に続ける。

「公平無私である“本物の神=カミ”は、“切磋琢磨”などという競争原理を人間社会に持ち込み、我々を権力/経済闘争へと駆り立てることもせぬし、人類間の争いにおいて、どちらか一方だけに加担するなどというようなこともせぬ」

『そうですよね。“本物の神=カミ”は全宇宙の創造物/生命体に対し、平等な愛を注ぎ、見守る存在なのでしょうから』

「その通りじゃな。多くの宗教の“えこひいきし、妬む神”が、四次元を含めた宇宙の秩序をコントロールしていると言われても、その言葉を信じるには、いささか以上の躊躇を感じるからの」

『神の意思という名目で、かつて、殺人を犯したり、戦争を始める人々に対して違和感を覚えていた理由がよく理解できたような気がします。それに、そうした神々は、どちらかというと、神というよりも人間に近い存在のように思われます』

「まあ、人知で捉えることができること自体、そもそも“本物の神=カミ”ではないのじゃろうからのう」

『なるほど』

青年の言葉に対し、陰陽師は小さくうなずいてから続ける。

「多くの人々が、望ましい未来を夢見たり、過去を悔やんでやり直したいと渇望することに一定の理解を示したとしても、我々人間には、過去の出来事を変えたり、未来を思い通りにすることもできない」

黙して耳を傾けている青年を横目に、陰陽師は続ける。

「それ故、覚えておくべきことは、未来と過去は“本物の神=カミ/不可思議”の領域であり、我々に与えられているのは、“今/この時”だけという真理じゃ。今世の宿題を果たすために日々精一杯に生きること、それこそが我々に課せられた使命であり、その果報である“社会的/金銭的な成功”は、あくまで副次的な問題なのじゃ」

『ふと思いましたが、ご神事を受ける前の僕は、自分の天命を生きたいと考えているつもりで、実は自分の天職を求めていたのだと思います』

「職業にフォーカスする、すなわち収入や社会的地位を意識することは、心のどこかで現世利益を求めている証拠じゃからな」

陰陽師の言葉に対し、青年はばつが悪そうな表情で続ける。

『耳が痛いです。当時の僕は、自分の天命を生きたいと願いながら、天命の意味を理解しておらず、魂磨きの修行ではなく、天職さえやっていればうまくいくと思い込んでいました。さらに言うと、魂の修行よりも“楽”を求めていたと思います』

「そう思っている人物は少なくないじゃろう。ワシにしても、現世利益を求めることがいけないと言っているのではなく、人生における優先順位を間違えてはならぬ、と言っておるわけじゃ」

陰陽師の言葉に対し、青年は大きくうなずいた後、続ける。

『ご神事を全て受けてパフォーマンスが100%になってから、うれしいことも辛いこともありましたが、僕は目の前の出来事を受け入れる覚悟ができましたし、点と点が線で繋がっていることに気づき、一挙手一投足全てが天命であると、今では感じています』

青年の言葉に対し、陰陽師は満足げに頷いてから口を開く。

「400回ある輪廻転生のうち、今世はお金で苦しむことを修行で選んできた人物もいるじゃろうし、恋愛や結婚で悩むことを今世の宿題として抱えて来た人物もおる。“自分にとっての今世の宿題とは何だったのだろうか”と意識下の記憶に問いかけたところで、明確な答えが返ってくることはないのじゃから、必然を信じ、日々目の前に現出する出来事/試練と真摯に向き合い、自らのベストを尽くす。それこそが“この世”でのあるべき生き方だとワシは思う」

『よく、声が聞こえたと公言し、これが私の使命・天命だとしている人がいますが、あれは“17:天啓/憑依”の相によって天から何かが降りてくるのか、そうでなければ13・14の眷属の力を借りているようなものでしょうから、ゆくゆくは眷属によって強烈なしっぺ返しを受けると思いますので、そうした人物には気をつけないといけませんね』

「その通りじゃな。公平無私である“本物の神=カミ”が特定の人物に言葉を送ることはないことから、そうした人物の大半は眷属に唆されている可能性が高いのじゃろう」

過去に関わった一部の人物たちを思い出してか、青年は深いため息をついて視線を落とす。
陰陽師はそんな青年を横目に、続ける。

「繰り返しになるが、眷属は現世利益を叶えて代償を求めることから、そうした甘言を信じて努力の結果としての“果実”を希求するのではなく、今/現在に全力を傾倒すること、それこそが努力の本来の意味なのだと、ワシは思う」

そう言い、陰陽師は壁時計に視線を向ける。
それに気づいた青年も、スマートフォンで時間を確認する。

『もうこんな時間でしたか。今日も遅くまでありがとうございます』

そう言い、青年は席を立って深々と頭を下げた。

「気をつけて帰るのじゃぞ」

陰陽師はいつもの笑みで手を振り、青年を見送った。

帰路の途中、青年は過去の自分の不調を振り返り、陰陽師の言葉を反芻した。
私利私欲を願うのではなく、日々ベストを尽くした後に訪れた出来事に対する感謝の意を、“本物の神=カミ”に表する。そして、見えない存在を頼るのではなく、目の前の出来事を真摯に受け止め、悔いのないように取り組んでいくことを、青年は再び決意するのだった。