青年は思議していた。
以前(※第16話『門松と文化の起源』参照)、正月に玄関に門松を立てる習俗はシュメールが起源だと知ったが、毎年旧暦の7月7日に我が国で行われている“七夕祭り”も、シュメールが起源なのだろうか。
一人で考えてもらちが明かないと思い、青年は陰陽師の元を訪れるのだった。
『先生、こんばんは。本日は“七夕”について教えていただきたいと思い、お邪魔いたしました』
「今日は“七夕”について、じゃな。“七夕”について説明することはやぶさかではないが、具体的にどのようなことを聞きたいのかの?」
『以前、エジプトの文化が東方へと移動していったことと、エジプトには物神柱と呼ばれる神が四ついて、その一つである梟神“マシャ”がインドを経由して日本に伝わった後、マシャの重層語である“ガドーマシャ”が“門松”に訛ったとお聞きしました。それで、“門松”と同様に、“七夕”もシュメールやエジプトを起源としているのではないかと思ったのです』
「その件については、おおむね、そなたの言う通りじゃが、ワシが見る限り、“七夕伝説”はシュメールを起源とする物語が民族の移動と共に、長い期間を経て我が国に伝承したと思われる」
『やはり、そうでしたか』
神妙な表情でそう言う青年に対し、陰陽師は小さく頷いてから、言葉を続ける。
「ただし、そうは言っても、我が国に伝わっている“七夕伝説”と元々の物語とでは内容が異なっていることも、また事実じゃ。それらの内容の差異を確認するため、そなたが知っている七夕伝説について、教えてもらえるかの?」
陰陽師にそう問われた青年は、あごに手を当てて記憶を辿ったのち、口を開く。
『うろ覚えではありますが、天の川を舞台とした、織姫と彦星という男女の愛情物語だと記憶しています』
・天の川の近くに住んでいた天の神様の一人娘が“織姫”だった。
・年頃になった織姫の婿として、天の神様は彦星をむかえた。
・お互いに気に入った二人はやがて結婚したものの、結婚後は仕事を忘れて遊んでばかりだった。
・織姫が機織りをしないため、皆の着物がボロボロになり、彦星が牛の世話をしないため、牛が病気になった。
・天の神様は怒り、二人を天の川の東西に別れて住まわせた。
・その後、織姫が悲しそうにしているのを見かねて、天の神様が一年に一度、七月七日だけ二人が会うことを許可した。
七夕の概要を説明した後、青年はスマートフォンを操作し、やがて口を開く。
『物語としては以上で、風習としては、七月七日の夜に短冊に願い事を書いて葉竹に飾るものがありますが、この風習が始まったのは江戸時代からのようで、しかも日本独自のもののようです』
「ちなみに、葉竹を立てる風習は、先ほどそなたが説明した“門松”のように、四つあるエジプトの物柱神の一つである梟神“マシャ”が我が国に伝承されたものと考えられる」
『木を立てるという形としては同じだと、僕は思います。他には、江戸時代の火消し衆が持ち歩く“纏(まとい)”も、“マシャ”が伝承された証左の一つでしたね』
青年の言葉に対し、陰陽師は小さく頷いてから、口を開く。
「話を戻すが、“七夕伝説”には諸説あり、国立民族博物館の君島久子教授によると、中国各地に分布する多様な“羽衣伝説”は三つの型に分けられ、その一つに“七夕型”があるという」
『広大な中国各地に分布していたということは、我が国に伝わっている内容とは違いがありそうですね』
「そなたの言う通りじゃ。“羽衣伝説”については別の機会に説明するとして、まずは君島教授の“七夕型”の物語に関する解説を読んでもらおうかの」
そう言い、陰陽師は青年の前に一枚の紙を差し出す。
だいたい長江(揚子江)の北のほう(の羽衣伝説)は”七夕型“となっておりますが、これから申しあげるお話で、なるほど七夕伝説と結びついているということがおわかりかと思います。天の川の東に天がありまして、西のほうは人間の世界でした。天には織女が住んでおりまして、衣を織っていたわけですね。人間の世界には、牛郎という牛飼いの男が住んでおりました。
ある日のこと、牛がものを言ったんですね。
「牛郎さん、牛郎さん、あなたにいいことを教えてあげましょう。天の川の織女が遊びにまいります。水浴びするとき、衣を脱ぎますから、いちばん末の娘の衣を盗みなさい。そうすると、あなたの妻になるでしょう」
牛郎がそのとおりにしてまいりますと、なるほど織女たちが水を浴びている。そこで衣を隠しますと、その織女だけが帰ることができませんので、うちへ連れて帰って妻にいたします。そしてたいへん幸せに暮らしまして、子供も二人生まれます。
ところが、民間伝承では、西王母という女神が出てくるわけですね。天の織女たる者が人間の男と結婚するとはなにごとか、ということで怒りまして、引き戻しにくるわけですね。西王母の軍隊がまいりまして、織女を無理やり天に連れ帰ってしまいます。牛郎父子は、泣き悲しんでおりましたが、追いかけて行こうということになりまして、牛郎は二人の子供を連れて追いかけます。どんどん追いかけて天の川まで来ましたところが、それを見ていた西王母が、川の間にかんざしで線を一本さっと引くんですよ。そうすると、いままで平らな水平線上にありました天の川が、天上高くのぼってしまったわけですね。これには牛郎父子も途方にくれまして、がっかりしておりますと、また牛が教えてくれるわけですね。
「私は、いま死にますから、私の皮を着て天上にのぼりなさい」
牛は間もなくばったり倒れて死にます。そこで牛郎は、いわれたとおりにその皮をはぎま して、それを着てみると、ふわふわと天上にのぼって行くことができました。そして、天の 川を渡って追いかけようとした瞬間、またもや西王母があらわれて、かんざしで一線を画し ますと、浅くてキラキラ光っていた天の川が狂瀾怒涛の天の川になってしまった。これでは、とてもダメだと、また、がっかりして途方にくれておりますと、連れてきた二人の子供が、いいました。
「お父さん、私たちで天の川の水をくみ出しましょう」
民話というのはたいへんうまく出来ておりまして、牛郎が天秤をかついで、前後に一人ず つ、息子と娘をのせてきたのですが、男の子と女の子では体重が違うものですから。女の子 のほうに“ひしゃく”をのせていた、その柄杓でもって、天の川の水をくみ出します。女の子がくみ出して疲れますと男の子が、男の子が疲れますと牛郎が、というふうにして父子三 人が一所懸命にやりぬいている姿を見て西王母は感動いたしまして、
「ああ、かわいそうなことをした。では年に一回だけ、かささぎの橋を渡して、四人を会わせてあげよう」
ということになりまして、年に一回、かささぎ(鵲)が橋をかけることになりました。そこで牛郎、織女、二人の子供は対面することができたんですね。七夕の夜に雨が降るのは、久しぶりで会える織女のうれし涙なのですよ――というお話なんです。地方によっては少しずつ違いますが、だいたい似たような話が中国の北のほうに伝承されているもので、そこで、この七夕のお話と結びついている羽衣伝説を“七夕型”と名づけたのです。
「“七夕伝説”について簡潔に説明すると、彦星はウルク城の牽牛、織姫はラガシュ城にいる織女、天の川はユーフラテス河に該当し、メソポタミア南部のユーフラテス河をはさんだウルク城とラガシュ城間の、牽牛が織女に会いに行く愛情物語となる」
そう言い、陰陽師は一枚の紙を青年の前に差し出す。
「ゴンドラ型の渡し舟の上に牛がおり、中央に立っている男が牛郎、そして船首・船尾の二人は、民話でいう牛郎と天女の間に生まれた二人の子供ということになる」
『なるほど。人外の存在である天の神様や星が出てくることから、“七夕伝説”は創作された物語だと思っていましたが、古代メソポタミアの出来事を言い伝えていたのですね』
「そなたの言う通りじゃ。どういった経緯で星が関係する物語になったかはわからぬが、後世の人間が何らかの意図によって、捏造/誇張したと考えた方が実相に沿っておるのじゃろうな」
陰陽師の言葉を聞いた青年は、無言で頷きながらしばらく文章を眺め、やがて口を開く。
『君島教授の解説文の中に、牛が牛郎に天の織女と結ばれるための助言をしてみたり、牛郎が牛の皮を被って天界に行く描写がありますが、牛飼いや牛耕民族だったであろう当時のウルク市の住民にとって、牛はただの家畜ではなかったということでしょうか?』
青年の問いに対し、陰陽師は首肯した後、口を開く。
「そなたは、“トーテミズム”という言葉を知っておるかの?」
『いえ、初めて耳にしました』
ばつが悪そうな表情でそう言う青年に対し、陰陽師は微笑みながら言葉を続ける。
「“トーテミズム”とは、特定の動物や植物をトーテム、すなわち部族の共通の祖先を表す標識とし、その集団を象徴する神として崇拝することを意味する」
『つまり、ウルク市の住民は牛をトーテムにし、信仰の対象にしていたということでしょうか?』
「その可能性が高いとワシは思う。牛はメソポタミア南部のウル人社会において、“神獣”“聖獣”とされていたようで、紀元前3000年紀の見事な神牛像がウル城跡から発掘されておる。また、ウガリットと呼ばれる貿易国家でアルファベットの原型が生み出されたようで、1928年に発見された“ウガリット文書”において、頭に牛の角を持っている牛頭神が祀られ、アルファベットの最初の一文字である“A”はこの牛頭を形どっていると言われておる」
『なるほど。牛を神とするヒンドゥー教にも影響を与えたと考えられそうですね。ところで、牛の皮を被って天界に行く描写には、どのような意味があるのでしょうか?』
「当時のウルの神官は牛の皮を被り、“神の世界”と交流して神託を伝えていたそうじゃ。そして、我が国の“獅子舞”も、牛の皮を被った神官の日本的な姿を示しておる。一方、ラガシュ市には鳥トーテムの住民が住んでおり、“七夕伝説”に出てくる“織女”という言葉からわかるように、そこでは機織が主業じゃった」
『なるほど。鳥を信仰の対象としていたラガシュにも、ウルク市の神官が行なっていた、牛の皮を被るような儀式は存在したのでしょうか?』
青年の問いに対し、陰陽師は首肯してから口を開く。
「ラガシュのトーテムである鳥に扮装した人物を“巫覡(ふげき)”と呼ぶが、“巫覡”は神を祀り神に仕え、神意を世俗の人々に伝える役割を持つ。そして、その役割を持つ人物のことを“シャマン”と呼んでいたようじゃ」
『現代にもシベリア、アメリカ原住民、アフリカなどにも“シャーマニズム”と呼ばれる宗教の信奉者があるようですが、この言葉もシャマンに起因しているようですね」
青年の言葉を聞いた陰陽師は、首肯しながら二枚の紙を青年の前に差し出す。
陰陽師が差し出した紙を眺めながら、青年はなるほどと独りごち、再び解説文を読む。
とある一文に目を止めた青年は、陰陽師に問いかける。
『一年に一度、天の川に橋をかける存在が“鵲”と書かれていますが、なぜ“鵲”なのでしょうか?』
「“鵲”は漢人によって“昔”と“鳥”を合わせて作られた漢字じゃが、鵲が伝説に出てくる昔の鳥だったことが理由だと思われる」
陰陽師の言葉を聞いた青年は、ややあってから、口を開く。
『昔、すなわち過去を表すのであれば、昔ではない漢字をあててもよかったのではないかと思われますが』
「いや、“昔”は過去だけを意味しているわけではない。“昔”という概念には必ず“洪水伝説が存在”しており、古代エジプトと中国の“昔”という象形文字は、共に“洪水の箱舟”から作られているのじゃ」
『洪水と箱舟と聞くと、“ノアの洪水”が思い浮かびますが、あれなんかも実際に起きた話だったとは…。そして、昔と鳥を合成した“鵲”には、箱舟の鳥という意味があるということですね』
「そなたの解釈に付言するとすれば、洪水伝説の鳥、伝説の鳥という意味を持つ“鵲”だからこそ、天の川に橋をかける鳥として“七夕伝説”に登場したと考えられる」
陰陽師の言葉を聞いた青年は、しばらく黙考した後、口を開く。
『なるほど。“七夕伝説”に洪水と箱舟が関係しているとなると、“七夕流し”という、富山県の泉川で満艦舟や行燈、姉さま人形を流す風習がありますが、この風習にも納得できます』
「その風習については何とも言えぬが、何かしらの関係はあるかもしれぬの」
『“鵲”については、シュメールや古代エジプトを起源とし、直近では中国の影響を受けていることはわかりました。ところで、先日、我が国の文化が朝鮮半島から伝わり、朝鮮半島の文化は北方騎馬民族である扶余(ふよ)族が朝鮮半島に南下してきたことで伝承してきたという話でしたが、扶余族の文化や宗教はどこから伝承しているのでしょうか?』
「“扶余”はツングース系の狩猟農耕民族とされているので、モンゴル・ツングース系の白鳥族が古代朝鮮に文化や宗教を伝え、さらに朝鮮半島を南下して我が国に伝承してきたと言われておる」
『なるほど。モンゴルということは中央アジアを経由していると思われますので、我が国に文化が伝承してきたと言われている、陸路と海路のうちの陸路になるわけですね』
「そなたの言う通りじゃ。海路から見た言葉の転訛ももちろんあるのじゃが、海路についてはまた別の機会に話すとしよう」
陰陽師の言葉を聞いた青年は、大きく頷いてから、口を開く。
『ここまでお話をお聞きした限りでは、“七夕伝説”に出てくる言葉に何らかの意味づけがあると思われますが、やはり七月七日という日付にも理由があるのでしょうか?』
「もちろん。ウル人とシュメール人には“七聖観念”と呼ばれる、数詞の“七”に特別の意味を認める原始観念があり、七と七を対にする慣行があったことが、七月七日である理由として考えられる」
『なるほど。我が国にある石上神社の“七支刀(しちしとう)”に“七”が採用されていることも、同じ慣行によるものと言えそうです』
青年の言葉に対し、陰陽師は小さく頷いてから、言葉を続ける。
「大事なことは、そうした慣行だけでなく、人の移動と共に言葉と文化と宗教もその地域に伝播しており、牛と鳥、それぞれを神として崇拝する民族が長い年月をかけて我が国にたどり着いたと考えられる」
『つまり、古代メソポタミアの人々たちが陸路と海路を使い、様々な地域を経由する途中で様々な血が混じり、現代の日本人が存在していると考えると、国籍は違えど遠い血縁と考えることもできるわけですね」
「そなたの言う通りじゃ。同様に、様々な新興宗教を含め、我が国にも多くの宗教が存在しているものの、トーテムが移動していることを考慮すれば、信仰の対象もシュメールと共通していると考えることができよう。よって、大局的見地に立てば、宗教が異なるという理由で争うことは兄弟喧嘩のようなものだと、ワシは思う」
そう言い、陰陽師は壁時計に視線を向ける。
それに気づいた青年も、スマートフォンで時間を確認する。
『もうこんな時間でしたか。今日も遅くまでありがとうございます』
そう言い、青年は席を立って深々と頭を下げた。
「今日もご苦労じゃったな。気をつけて帰るのじゃぞ」
陰陽師はいつもの笑みで手を振り、青年を見送った。
帰路の途中、青年は夜の星空を見上げた。
遥か遠い過去のご先祖様たちも、この星空を眺めたのだろうか。厳密に言えば、地球も太陽系も銀河系も宇宙を動いているため、今の自分と全く同じ星空を眺めることはないだろう。けれど、旧暦の七月七日という日が、ご先祖様と自分を繋いでいる氣がした。
今日の話で、“七夕伝説”が古代メソポタミアでの牛トーテム族と鳥トーテム族の愛情物語を起源としていた内容であって、願い事を叶えるための風習ではないことがわかったが、短冊に願い事を書き、七夕祭りを楽しんでいる人々の中には、残念に感じる人がいるかもしれない。
だが、この世が修行の場である以上、“七夕伝説”の実相を多くの人々に認知してもらうことによって、地上天国や現世利益を叶える願いを抱くのではなく、日々目の前のことに真摯に取り組むきっかけになればと、青年は思議したのだった。