こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!
微分積分は社会に出て使うのか?
そんな表現を見かけたことがあります。
私が思うに、ほとんどの人にとって必要ないと思います。
さらに、微分積分に限らず、義務教育より後に学ぶ、高校や大学の内容の多くが、社会に出て使わないと思います。
実際、私は環境経済学を専攻しましたが、社会に出て役に立ったと思うことはありません。
しかも、社会で想定される事務の仕事と直接関係ないことが多いです。
私が思うに、受験勉強は脳トレみたいなものです。
国語をしっかり学習しなければ、読解力も表現力も稚拙なままです。
それは、SNSをみていれば想像に難くないでしょう。
同様に、英語や数学に取り組むことで鍛えられる思考力はあります。
他には、大学で専攻を作っておくことで、同じ専攻の人々と距離が縮まりやすいというメリットがあると思います。
そういう点も踏まえると、高校や大学というのは、同世代で近い学力や価値観を持つ仲間を作れるということが、最大のメリットではないのでしょうか。
ところが、学生時代に仲が良かった友人たちと、社会に出てからも交流が続いているかと問われると、私の場合、少ないと思います。
同業の人やお客様と交流会している機会の方が多いです。
そう考えると、私がタイムマシンで過去に戻れるとしたら。
義務教育を終えたらさっさと働く。
そして、仕事で必要な知識が出てきたら、通信の高校・大学で学ぶ。
そんな風に考えます。
不確定な未来のため、高学歴を得るために時間を使い、受験する。
今度は就職するため、卒業するため、興味がない授業に出席し、時間を浪費する。
高校も大学も、学費と時間がかかります。
一度しかない貴重な人生とお金を浪費するより、自分が必要だと感じることに自分で稼いだお金を用いて勉強する。
社会に出て何年もすれば、学歴は重要視されなくなります。
通信制でも高学歴の大学を卒業すれば、その大学を卒業したと認識されます。
受験勉強に何年も費やすより、そっちの方がずっと効率的だと私は思います。
学歴コンプレックスがある人は、お金に余裕があるなら、通信制について調べてみることをお勧めします。
割に合わないかもしれませんが😅
ですから、今でも私は、親に対して申し訳ない氣持ちがあります。
そうは言っても、今もなお、たまに会っている大学の同級生とのご縁はかけがえのないものであり、感謝しかありません。
ただ、私たちにはそれぞれ今世の宿題が設定されているのと同様に、学力の限界値も決まっています。
学歴などの他人が作った価値観を一番に生きるのではなく、私たちの魂が決めた人生の目的はなんなのか。
幸せになるためだけに、私たちはこの世に生まれてきたわけではありません。
生まれてきた目的を果たすことを第一に、日々を大切に生きましょう。
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