タグ: 輪廻転生

  • 解脱RTA !400回の輪廻転生をクリアするために

    輪廻転生と魂磨きの修行について説明すると、何度か言われることがあります。

    シンプルに、もう修行したくない、という内容です。

    この世に絶望して生きる気力がなくなって引きこもったり、この世に転生したくないといった感じです。

    かくいう私も、高校時代は絶望していました。

    未来で良いことがある、みたいなことをよく言われました。

    ですが、当時の私にとって、未来の良いことよりも、現在の苦痛の方が勝っていたのです。

    こうした、つまるところ、現状から逃げ出したいという人に対し、ブッダは解脱を説いていたのでしょう。

    時代が変わっても、人間の悩みというのはさほど変わらないのかもしれません。

    私たちは、どうあがこうとも、400回の輪廻転生をショートカットすることは不可能でしょう。

    それだけの回数を、この世で修行しなければならないのですから。

    ですから、肉体を得てこの世に転生している間は、輪廻転生の輪から解放されることは不可能です。

    ブッダが説いた方法でも無理でしょう。

    では、400回という決められた回数を受け入れるとして、この世での修行を早く終える、短縮することはできないのでしょうか。

    その答えはあるといえばありますが、多くの人が選ばないだろうということと、それをやることによるリスクが大き過ぎます。

    要は、自死することです。

    輪廻転生の回数は400回と決まっていて、その回数を変えることができないなら、一回の人生を短くすればいいのです。

    ですが、大き過ぎるリスクがあります。

    それは、地縛霊化することです。

    地縛霊化すると、次の輪廻転生に進めなくなります。

    そうなると、400回の輪廻転生を果たすことが永遠にできなくなります。

    輪廻転生の輪から解放されようとしたのに、むしろ永遠に抜け出せなくなってしまいます。

    今感じている苦痛を、場合によっては永遠に味わい続けなければならなくなる可能性が考えられます。

    では、自身せずに、どうしたら早く400回の輪廻転生をクリアできるのでしょうか。

    答えは、さっさと今世の宿題を果たすこと

    これに尽きると思います。

    私たちは生まれてくる前に、今世で果たすべき目的を決めてきています。

    これを最速で果たしてしまえばいいのです。

    例えば、世の中に絶望している人がこの記事を読み、自死する方がいいんだと思って実行したとします。

    死後に未練があれば地縛霊化しますが、やり切っていれば短命であっても次の輪廻転生に進めます

    ですから、生きているのが辛くて、この世が嫌いで、二度と転生したくないとお考えの方は、神事を済ませて今世の宿題を果たすモードに移行しましょう。

    どうせいつか死んでしまいますし、早くあの世に戻りたいなら、ゲームのRTAのように、最速でクリアしてしまえばいいのです。

    通常プレイのように、ストーリーとは関係ないカジノやミニゲームを楽しむのもまた一興。

    自分が進むべき人生に方向性を戻したい方は、ご相談ください。

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  • 輪廻転生の終わりに何が待つのか?――永遠の命と魂の役割を探る

    輪廻転生の終わりに何が待つのか?――永遠の命と魂の役割を探る

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    輪廻転生を終えたら、人はどうなるのでしょうか?

    ブッダは、輪廻転生の輪(サンサーラ)から解脱することを説いていたそうです。

    ただ、それはあくまで目的であり、解脱の後は真の自由というわかりにくい表現をしています。

    ただ、ブッダが解いていた解脱に近い状態になれる可能性はゼロではないと思います。

    というのも、ものすごく大変だと思いますが、あらゆる執着を手放せばいいのですから。

    しかしながら、ブッダが説いた方法では、真の意味では輪廻転生から解放されることはありません。

    その理由も含めて、私が常々紹介している、400回の輪廻転生を終えた後のことについても触れたいと思います。

    まず、どの生物も輪廻転生の回数が400回と決まっています。

    そして、400回を終えたら永遠の命を得て、永遠の世で活躍する魂になります。

    永遠の世は、この宇宙を管理しているセントラルサンがいる世界です。

    この世よりも上位にあるあの世の、さらに上位の世界ですから、人間では言語化できない世界のようです。

    ブッダが弟子たちに向かって「私が知っていることはこの森の葉のように多い。しかし、私が教えることは一握りの葉のように少ない」と言ったことは、核心をついていたのでしょう。

    さて、永遠の命とはどんな存在なのでしょうか。

    現時点で私が理解しているのは、引力のような法則ではないかと予想しています。

    というのも、セントラルサンが全ての存在に対し、平等に影響を与えている存在であるので、永遠の命を持つ生命体も同様に、平等に働きかけると考えたからです。

    念じたら応えてくれる存在や、えこひいきする存在では、断じてないということです。

    引力が、この人には強く働くけど、この人に対してはサボろうといったことはないのも同様です。

    引力に感謝する人は、そうそういないと思います(笑)

    感謝されてもされなくても、万人に対して変わらず働きかける。

    これが輪廻転生を終えた後の、永遠の生命体が担う役割。

    そんな氣がしました。

    この世は地球だけではありません。

    地球のように、永遠の世の要請によってあの世で生まれた魂が修行を行う場所は他にもあるのです。

    宇宙はいまも広がり続けているという説もありますから、たくさんのこの世の存在に働きかける役割を持つ存在は、まだまだ必要なのでしょう。

    また、私たち一つ一つの魂は、あの世で産まれる時から役割が決まっているそうです。

    しかも、永遠の命を得てから永遠の世で活躍する際には、チームを組むようです。

    それこそ、魂そのものが持つ数字(1〜9)や魂の種類(1〜4)など、魂の属性が分かれているのも、チーム内で担う役割がバランスよくなるためなのかもしれません。

    仮にそうだとしたら、魂磨きというのも、私たちのエゴをなくすためなのかもしれません。

    欲求やエゴにはいろんなタイプがあります。

    それらは、強いほどに魂を歪な形にしているのでしょう。

    そして、この世で修行、すなわちさまざまな体験を経てそれらを解消していくにつれ、魂は球体に近づくことでしょう。

    引力(仮)が勝手に働く力を変えたり、えこひいきして働きかける相手を変えてはいけないのです。

    あの世とこの世が今日も変わらず機能しているのは、永遠の世のおかげです。

    本当のカミは応えないのではなく、いつも応えていてくれているのです。

    いつも応えていてくれる存在、法則を活かすも台無しにするのも、私たちの選択次第です。

    ズレてしまった人生の方向性を元に戻し、永遠の世の働きかけを活かせる人を増やすこと。

    これが、私が生きる目的の一つです。

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  • 医と醫と毉

    こんにちは!あの世とこの世合同会社、代表社員の中山彰仁です!

    医と醫と毉は、全て同じ意味をもつ漢字です。

    字体としては、新→旧ですので、毉が始まりとなる説があります。

    いずれも、いやす、くすし、病気を治す、医者といった意味があります。

    ポイントは、下の部分の違いです。

    毉の下の部分は巫であり、霊能力先天的な能力を用いた治療行為だと思います。

    霊能力の分野は多岐に渡りますが、病氣治しもその一つです。

    私がお世話になっている陰陽師の先生は9段階中の最上段の霊能力を持つので、心身の不調を感じた際に依頼する、日々のお祓いだけでもその効果の絶大さを体験できます。

    ただ、先生のレベルの霊能力を持つ人物は、ブッダやキリストや安倍晴明といった偉人ベルになりますので、ほとんどいないことが容易にわかります。

    魂1−1の人物による恩恵ですね。

    そう考えると、怪我人や病人の対応をしているだけで一日が終わってしまうこともあったかもしれません。

    そこで、霊能力の恩恵に与れない怪我人や病人をなんとかするために研究されたのが、醫といえそうです。

    の下の部分は酉ですが、これにはあまざけやといった意味があるそうです。

    主に経験則に基づいた薬草など、後天的な集合知であり、東洋医学が近いでしょう。

    それらがあれば、霊能力者に頼らずとも怪我や病気が治りやすくなった。

    魂:3武士/武将、さらには転生回数が190回代の人物たちの恩恵ですね。

    ただ、薬草などがなければどうにもならないという制限があったと思います。

    それでも、霊能力以上に多くの人々に恩恵を届けることができるようになった。

    そんな氣がしています。

    現代の医は、客観的な分析でしょうか。人をみるのではなく、症状などを主に分析しています。

    西洋医学が主流でしょう。

    欠点としては、その時代の科学レベルで変わるといったところでしょうか。

    私のnoteの読者はご高承の通り、西洋医学は検査と外科と病原菌に対しては有効ですが、ほとんどの人が体験する未病に対しては不得手です。

    病氣にならないことが大事なのに、病氣になったらお医者さんとお薬、といった価値観が蔓延しているように思います。

    つまり、病氣になっても構わないという感じでしょうか。

    病にかかるのは日常生活に何らかの要因があるからであり、これ以上悪化しないように生活習慣を改める必要があります。

    ですが、薬で何とかすればいいという価値観になると、根本的な解決になりません。

    その延長として、病が原因で命を落とす人が増えたのではないか。

    最近は、そんなことを考える時もあります。

    産業革命以降、体主霊従の時代になり、医学が牛耳ったでしょう。

    令和になり、霊主体従の時代に戻ったため、醫と毉の影響力が強まる傾向が考えられます。

    時代が変われば価値観も変わります。

    いつまでも旧い価値観に固執していると、どうなるのでしょうね。

    病院ではどうにもならない、原因不明の症状にお悩みの方は、ご相談ください。

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  • 科学や宗教を盲信する人間がいるのはなぜ

    こんにちは!あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    科学や宗教。

    どちらを盲信するにしろ、時代が異なるだけで、人間の根本はさほど変わっていない。

    そんな氣がしています。

    科学的根拠がないから。

    教義ではそれは間違っていると書かれているから。

    自分の言葉では説明できません。

    ですが、自分の考えが正しいということを信じたいから信じる。

    要は、自分が信じたいことを信じるのでしょう。

    その方が、自分にとって都合が良いから

    とある総合病院にて、“もうこの患者は意識が戻りません。奇跡でも起きない限りは”といったことを、医師と看護師から言われたお客様のご家族がいました。

    ところが、私がお客様から依頼を受け、1時間ほど対面で氣功施術をすると、後半のあたりで一度だけかすかに手が動き、翌日に意識が戻りました。

    医師と看護師、あるいは氣功師の私。

    どちらを信じますか?

    きっと、私のことよりも、社会的地位を認められ、多くの人間が信奉する医者のことを信じるはずです。

    大多数の人が信奉する医者を信じる方が好都合であることもわかります。

    氣功や霊能力といった、科学的に証明されていないことを信じていると周りの人に公言したら、人間関係に問題が生じる可能性がじゅうぶんにあります。

    ですから、身の回りの人が信奉している価値観の中で、自分にとって都合の良いものを信じます。

    本当は信じていないけど思考を放棄しているから、科学や宗教といった、その時代で最も信者が多い価値観の信者になりやすいのかもしれません。

    ただし、全ての人間に当てはまるとは思っていません。

    なぜなら、魂の属性転生回数によって傾向があるからです。

    400回ある輪廻転生において、200回未満の比較的若い魂は理系の傾向が高いです。

    加えて、見えない存在を感じ取れてしまい、影響を受ける霊媒体質と、まるで感じ取れない唯物論者/非霊媒体質の二つに大別されます。

    非霊媒体質が科学寄りであることは、言うまでもありません。

    しかも、霊媒体質と非霊媒体質の比は3:7と、後者の方が多いです。

    そう考えると、科学を信じる傾向にある人間が多いことに納得できるものです。

    さて、氣や念や霊能力が物理学者などの実験によってその存在を認められたら、科学主義者たちは信じるでしょうか。

    おそらく、信じないと思います(笑)

    なぜなら、結局のところ、その人間たちは科学を信じているのではなく、自分の考えが正しいと信じているからです。

    自分の言葉や何らかの方法で自分を表現する。

    私は他人の言葉と自分が体験したことを交えて考えるようにしています。

    それがあなたにしかできないことであり、あなたの今世の宿題の一つに含まれているのかもしれませんね。

    そんな人生にコミットしたい方は、ご相談ください。

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  • なぜ医者は患者の話をきかないのか

    こんにちは!

    あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    医者の態度が悪い、みたいな話を耳にしたことがあります。

    ですが、私がお世話になった病院ではそんなことはなかったので、人によるのだと思います。

    実際、西洋医学は臓器や器官を主な対象としているので、仕方ない。

    むしろ、最適な対応だとさえ思うことがあります。

    というのも、症状によっては早急に処置しないといけないため、無駄なくヒアリングしないといけない。

    また、原因をなるべくピンポイントで特定しないといけない。

    話を聞きながら原因の予測をしているため、頭をフル回転させている。

    しかも、記録を残さないといけないので、PCの画面に集中しなければならない。

    つまり、問診中、医者は氣を抜けない状態であることが予想されるため、さらに患者の目を見て、患者の要領を得ない話を聞くとことを求めるのは酷ではないかと思います。

    もう一言加えるのであれば、高齢化に伴って患者数が増えているため、患者一人にかけられる時間も限られてくるでしょう。

    一日にどれくらい患者の話を聞いているのかわかりませんが、すごい精神力だと思います。

    それもそのはず、医者に多い魂は転生回数が190回代の魂3:武士/武将の傾向が多いからです。

    400回ある人生の中でも特に勢いがある時期ですので、医師は基本的に体力も精神力も突出していると予想されます。

    ただ、転生回数が200回未満の魂は勢いがある分、人情の機微の理解や他人への配慮がどちらかといえば得意ではない時期といえそうです。

    寝食も忘れて研究に没頭する科学者をイメージすればわかりやすいでしょうか。

    ですから、魂的にも、医者が患者の話にあまり耳を傾けないことにも納得できます。

    自分が知りたい情報を取得することを最優先、あるいは特化していると思ってもいいかもしれません。

    良い意味で突き抜けているのかもしれません。

    一方、東洋医学では、患者の臓器や器官だけでなく、心理的な面や社会的な面も含めて心身の不調と向き合うため、傾聴する傾向が高いでしょう。

    こう書くと東洋医学の方が良さそうだと思うかもしれません。

    ですが、東洋医学は未病にも対応できますが、大怪我や感染症などには向いていません。

    また、改善するのに時間がかかる傾向があります。

    検査や外科、急性の症状には病院、それ以外の未病は東洋医学といったように、症状に合った機関に相談するのが大事ということでしょう。

    ちなみに、氣功師でも陰陽師の弟子でもある私は、見えない存在も含めて多角的に話を聞いています。

    ・物
    ・土地
    ・交友関係
    なども含めてヒアリングしないといけません。

    大変で時間がかかりますが、西洋医学でも東洋医学でも対応できない問題に対しても対応できますので、とてもやりがいを感じています。

    患者の人生が充実するために、西洋医学、東洋医学、霊能力、全てを適材適所に活用していけたらと思っています。

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  • 天命と転生回数②

    新千夜一夜物語第10話:天命と転生回数

    『今の時代、科学やITといった理系の分野の方が重要視されている気がしますが、200回以上の文系の人が世の中の影響に与えている分野というものは具体的にどのようなものがあるのでしょうか?』

    「もちろん、200回以上の人物にも一割くらいは数学者や医者といった理学系もおるわけじゃが、スポーツ選手・芸能人・芸術家などは当然のこととして、面白いのは板前やコックといった、いわゆる料理人じゃ。彼らは先程話した2(3)-3という例外を除き、皆2(7)-3という大山に位置しておる。三ツ星レストランのシェフは言うに及ばず、そこら辺にある大衆食堂のコックも皆この属性を持っているわけじゃな」

    『なるほど』

    「料理などは女の仕事ぐらいに思っておるかもしれんが、こと職業となると、動植物の尊い生命をいただくことになる食を司るということは、実は、非常に大事な、そしてとてもレベルが高い職業というわけじゃな」

    『確かに、料理人は文系の領域という感じがしますし、食物連鎖の頂点に立つ我々人間は、他の生き物の命をいただくことで命を長らえていますものね』

    意気込んでそう話す青年の言葉に小さく頷くと、陰陽師は言葉を続けた。

    「ところで、おぬしは日本の食文化の水準が高いということを聞いたことがあるかの?」

    『あります』

    「実は、食の有名人というのは今説明したように大山の270回台となるわけじゃが、日本人の“3:ビジネスマン階級”の割合が世界に比べて13%ほど高い」

    『ということは、20%に13%をたして、魂3の人が日本には33%もいるわけですか』

    「しかも、それだけではない。同じ魂3の中でも我が国の魂3は2期と3期が圧倒的なことから、日本の食文化のレベルが高いのもある意味当然といえば当然ということになる」

    『なるほど』

    「それだけではないぞ。この特徴は昭和40~50年代の、いわゆる、QC活動などにもいかんなく発揮された。全世界的にみて工場労働者は圧倒的に魂4が多いのじゃが、日本ではそうではなかった。流れ作業で働く彼らの中から様々な提案が生まれ、それが世界に名だたる生産技術の礎になっていったわけじゃ。産業革命を成し遂げたにもかかわらず、工場で働く労働者を監視するためにスーパーバイザーをつけ、そのスーパーバイザー達を見張るためにスーパー・スーパーバイザーをつけなければならなかったイギリスやアメリカと違い、日本の場合は、脳を持った働きアリが多数工場労働者の中に混在していたというわけじゃな」

    青年を横目で見ながら、陰陽師が話を続けた。

    「以前我が国の魂1にはほぼ1-1しかいないと言ったが、これなども上場企業のトップが2-3の武将という世界の常識からすれば非常識ということになり、これが欧米のトップダウンに対し、ボトムアップという日本独特の企業風土を生み出す源泉ともなっておるんじゃ」

    『つまり、魂の属性や転生回数の割合というものは国によって異なるものなのですね! 興味深いです!』

    「割合の違いは国にとどまらず、たとえば各県によっても異なったりする。一例を挙げるとすれば、京都などは人口の9割近くが2期(200回台)の“4:ブルーカラー階級”によって占められておる」

    『9割って、ほとんどじゃないですか!』

    「京都と魂の階級4の話は長くなるので、また別の機会に話すとして、もう少し転生回数と職業の関係について説明をしておくとしよう」

    陰陽師はグラスに注がれた水を飲み、口を開く。

    「たとえば、各省庁のキャリアの国家公務員の99.9%は2(7)−3じゃし、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教のいわゆるキリスト教三兄弟を等含め、伝統・新興の別なく宗教の開祖以外の坊主はそのほぼすべてが2(8)-3となる」

    『宗教の開祖のほとんどは1(7)−1すなわち、転生回数が300回台の“1:先導者”階級なのでしたね。僕は2(3)なのでスピリチュアルには縁があるものの、坊主になる天命ではないのですね』

    「端的に言うと、そういうことになるな。じゃから、くれぐれも何かに感化されて出家したり、仏道の修行を始めようなどと考えたりせんようにな」

    思い当たる節があったのか、青年は一瞬体を硬直させる。そんな青年の様子を見、微笑みながら陰陽師は口を開く。

    「もう一つ例を挙げると、1-1以外の第1期(301〜400回)の魂を持つ人間には、変人が多いという特色もある」

    『変人ですか・・・。大学4年生になると、進路も決まって卒業に向けて人それぞれ自由な行動を取っていくと思うので、なんとなくわかるような気がします』

    過去の自分の体験を思い出してか、青年は苦笑して頭をかきながら言った。

    「しかし、これらも魂の修行の追い込みの時期に指しかかっている第一期の人間の特徴を現世的に見るとそう見えるという意味に過ぎないことは先ほど説明した通りじゃ」

    『はい、きちっと了解しています』

    青年は、一つ頷いてみせた。

    『ところで、3期の人たちは大学生でいうと2年生ですよね。サークルにも単位の取り方にも慣れて、ある意味もっとも大学生活を満喫している時期とったところでしょうか?』

    「3期の人物は世の中に革新を起こす人が多いことも含め、現世的にみてもとても勢いがある。その結果、現世利益に走る傾向の人間が多い。その反面、少し失礼な言い方をすれば少し品がなかったり、世間から白い目で見られがちだったりもする」

    『猪突猛進みたいな印象ですね。欠点があるかもしれませんが、それを補って余りある世の中への影響力があるような』

    「もちろん、その前提として人間は多面体のようなものじゃから、転生回数という側面から見るとそのような理屈が当てはまるものの、たとえば頭の1/2から見ると一概に当てはまらなかったりする。それにじゃ、何度も言うが、これらの特徴を良し悪しで考えることは禁物じゃ。現世的にどのような特色を有していようと、それらはみな各々の転生回数で最適な魂の修行をするために必要な体験なのじゃからな」

    『そうですね。全く記憶にございませんが、僕にも3期だった人生があったんですもんね』

    突然、青年は難しい顔をして黙り込む。陰陽師は微笑みながら青年が口を開くのを待つ。

    『ところで、400回の輪廻転生を終え、魂の修行が完了した後、我々の魂はどうなるのでしょうか?』

    恐る恐る口を開く青年。

    「最後にその話をして今日は終わるとしようかの」

    陰陽師の視線を追って青年が時計を見ると、23時を過ぎていた。

    「魂の誕生から400回の輪廻転生を経ると、その魂は永遠の生命を取得して“セントラルサン”の元でそれぞれの職責を担う。この職責というのは鑑定結果のように四つの階級に分かれておる」

    『“セントラルサン”と永遠の命についてはよくわかりませんが、あの世でもこの世と同じく魂1~4という階級がついて回るのですね。ただし、それらは上下関係ではなく、あくまで役割の違いと』

    「というよりも、我々の魂は、それぞれ魂1~4に見合った職責を果たすために、“カミ“によって作り出されたと考えた方がわかりやすい。そもそも3次元でないわけじゃから、永遠の生命においてどのような職務があるのかはともかく、明確な目的をもって各々の魂が生み出され、400回という輪廻転生を経て独り立ちした魂が、“セントラルサン”の元でそれぞれの職責を担うという仕組みなわけじゃな」

    小さく頷く青年を横目に、陰陽師は話を続けた。

    「さらにじゃ、正しく理解しないとならないのは、あの世と“セントラルサン”がまったく別の世界/領域だという点じゃ」

    『永遠の世とあの世が違うということはなんとなくわかりましたが、それじゃあの世で我々は何をしているのでしょう?』

    首を傾げながら青年は言った。

    「まず基本的な問題として、あくまでもあの世で魂は誕生する。さらに大事なことは、400回の修業が終了するまで、魂の本体は常にあの世にいて、その“分け御霊”みたいなものがこの世とあの世を行き来するという点じゃ。また、あの世とこの世を機能面で分類すると、この世が魂の修行の場という、スポーツジムのような世界だとすると、あの世は修行を終えた魂の休息場所であるとともに次の転生に向けた計画を練る場所といった側面を持っていることになる」

    『なるほど。だから、あの世で28年間休んでから、ふたたびこの世に転生するのですね。トレーニングも休まずに続けていたら逆効果でしょうし』

    「もちろんあの世は3次元のこの世のように過去から未来に向けて時間が一直線に流れているわけではないから、一概に時間的な表現は難しいとしても、この世を基準とした計算ではそのようになる」

    さらに陰陽師は、言葉を続けた。

    「それともう一つ。伝統・信仰宗教が想定する“天国”とか“極楽浄土”という言葉には、“善“以外のものは存在しないイメージがあるが、実際の”セントラルサン“の存在する世界/領域はそうではない。同一の魂同士が集まっているあの世と違い、”セントラルサン“の存在する世界/領域では、たとえば、1-1-1-1-1という数字を持った魂1~4が同一チームを構成して、共通の職責をこなしている。同様に、1-1-1-1-2という数字をもった魂1~4は別チームとして他の職責を果たし、1-1-1-2-2という数字を持った魂1~4は魂1~4で、また別の職責を果たしているといったイメージとなる。このような検証に基づけば、血脈ではなく”霊統のご先祖“や”ソウルメイト“といった問題も、この分類に従うということになる」

    『ということは、魂の特徴を表す五つの数字は魂の誕生以来ずっと不変ということなのでしょうか?』

    「そのとおりじゃ。“イワナ”と“ウナギやナマズ”が一緒に生活するのが無理なように、五つの数字や鑑定結果が異なる人物同士が一緒にいると何らかの不調を感じるのは、魂のチームが異なることで生じているともいえよう」

    『ビジネスや恋愛・結婚の相性が魂の階級や属性で異なることも納得しました。鑑定結果の魂の諸々が近い人物の方が、相性が良いと認識しています』

    「他にも相性の良し悪しの条件はあるが、その傾向が強いことは間違いのない事実じゃ」

    陰陽師は時計を再び見、書類を片付け始めた。

    「それと、先述してきた五つの数字における1/2の“別”は、ともすれば“光が光たるためには影が必要”と捉えがちであるが、そのような“善と悪”の分類そのものが、“思議”(人間の考えが及ぶ世界)の世界の概念なのじゃ。そもそも、そのような“分類”そのものが、400回の輪廻転生を終えたあとの世界では、何の意味もないわけじゃからな」

    『未知なる世界の話ですね・・・“セントラルサン”や永遠の生命についてはまた今度聞かせてください』

    青年は深々と頭を下げる。陰陽師はいつもの微笑みで彼を見送るのだった。

     

  • 天命と転生回数①

    新千夜一夜物語第10話:天命と転生回数

    青年は鑑定結果と天職診断の紙を並べ、思索にふけていた。
    自分の天職がわかったものの、なぜあの三つだったのか。天職はどのように決まるのか? 魂の属性や輪廻転生の回数によって今世の役割や性質は変わるのだろうか? 

    次々と疑問が浮かんでくるものの、一向に納得できそうにない。
    居ても立っても居られなくなり、青年は再び陰陽師の元を訪ねるのだった。

    『先生、先日の続きをお願いいたします』

    「今日は輪廻転生の回数と今世の役割について、じゃったな」

    陰陽師は紙とペンをテーブルに広げ、続けた。

    「まず、転生回数と今世の役割というものは、そなたが思っているよりも厳格なものだということはよく覚えておいて欲しい」

    背筋を伸ばし、真剣な表情で青年は頷く。

    「転生回数の四つの数字の持つ意味じゃが、それらをそれぞれ大学生活に置き換えるとわかりやすいかもしれん」

    『大学生活ですか?』

    「うむ。転生回数が4期すなわち1回〜100回は大学一年生、3期すなわち101回〜200回は二年生、2期すなわち201〜300回は三年生、1期すなわち301〜400回は四年生といった具合にな」

    鑑定結果を取り出し、青年は口を開く。

    『と言うことは、僕は200回台なので、大学三年生に当たるというわけですね』

    「その通りじゃ。三年生といえば、ゼミに所属したり就職活動にむけていろいろ考える学年じゃから、物質的な話よりも精神世界や魂の年齢を見据えたことを考える時期とも言えよう」

    『そうですね。物質的なことよりは自然や宇宙といった精神世界の方に興味があります』

    「魂の年齢的にも半分を過ぎ、それなりにあの世とこの世の仕組みを理解しやすい時期に差し掛かっていたからこそ、今世は魂の修行の場という話も腑に落ちやすかったじゃろうな」

    首肯する青年。

    『とてもわかりやすかったです。ちなみに、僕は230回台ですが、10回台の数字にも違いはあるのでしょうか?』

    「もちろん。輪廻転生回数の100の位や魂の階級の1〜4に限らず、30回台は総じて魂の属性が3の人間にとっては心身ともに不安定となりやすいという特徴がある。そうした不安定な心身と向き合うことで、結果的に選ぶ職業がスピリチュアル系となる可能性が極めて高くなるわけじゃな」

    『確かに。僕も天職ベスト2位に気功師があったのもその一貫なのですね』

    「さらに言うと、鑑定結果の中には陰陽五行に基づいた長所と短所という項目があるのじゃが、その中の長所19.という項目である“不思議な経験”のスコアが高得点である可能性が極めて高い」

    『そうなのですね。ちなみに、僕の“19.不思議な経験”のスコアはどれくらいなのでしょうか?』

    「ちょっと待ちなさい。今、鑑定してみよう」

    陰陽師は半眼になって集中し、指を小刻みに動かし始める。青年は固唾を飲んで見守っている。

    「そなたのスコアは73点。どちらかというと高い方じゃな」

    『何点以上ですと高いということになるのでしょうか?』

    「明確な基準で言う“高い“は80点以上となる。ただ、100点満点であるため、100点に近くなるにつれて霊障による心身へのダメージは二次関数の曲線のように大きくなっていくことになる」

    『僕のこれまでの人生はそこまでぐちゃぐちゃではありませんでしたし、霊的な経験があると言ってもそこまでひどい霊障はありませんので、そのあたりの話はじゅうぶんに納得できます』

    頷きながら青年は言う。

    「この傾向は、意味するところはちょっと異なるが、実は魂の属性7(唯物論者)の人にもあてはまる」

    『とおっしゃいますと?』

    「端的に言うと、魂の属性3の人間のように霊的な問題はまず生じないものの、人生が一般の人間とはかなりずれているという意味では、“19.不思議な経験”の範疇に入るというわけじゃな」

    『なるほど』

    「具体的な例を挙げると、テレビの番組で、“客の来ない店”といった趣旨の番組があるじゃろう。職種は様々だとしても、彼らのほとんどは転生回数が230回台となる。本来調理人は武士・武将問わず2(7)(=270回台)の職業なのじゃが、一日に一人ぐらいしか来ない食堂を十年以上も経営している店主などは、例外的に2(3)(=230回台)なことが多い」

    『精神世界に興味を持たない属性の人たちでも、同様に30回台という輪廻転生の影響を受けているのですね。意外です』

    「魂の属性7の人たちの多くにとっては、このようなメカニズムを受け入れることは難しいかもしれんが、魂の修行という意味ではおしなべてそういうことになる」

    『ちなみに、他にも特徴はあるのでしょうか?』

    「芸能関係の仕事に就けるのは2−3−5−5・・・2で、さらに転生回数が240回台、数字で言うと2(4)−3の人間に限られるという話を前回したと思うが、それ以外にも魂には“山場”というものが存在している。“3:ビジネスマン階級”だけは、第3期の190回台、数字で言うと3(9)−3の時期に例外的な“大々山”があるのじゃが、それ以外の魂は、100回ずつに区切った各40回台が小山、そして70回台、数字で言うと、1~4(7)−3が大山という仕組みになっておるわけじゃ」

    『転生回数でそこまで決まっているのですね』

    興奮気味に青年は言う。

    「芸術家・芸能人やプロのスポーツ選手とお笑いタレントたちが畑違いの歌・楽器演奏や絵画・小説、伝統芸能といった芸能分野でも才能を発揮することができるのは、彼らが共通して2-3-5-5・・・2という数字をもっているからなのじゃな」

    『確かにそうですね。僕でも、お笑い芸人が本を出版したり、画家として有名になるケースをいくつか知っています』

    「転生回数についてもう少し補足をしておくと、世に言う文系と理系のうち、転生回数が少ない3期と4期は理系、後半になる1期と2期は文系という傾向が顕著となる」

    『大まかに文系と理系までわかるのですか! では、3(9)−3はどんな業界になるのでしょうか?』

    「3(9)−3はどちらかというと理系になるわけじゃから、ソフトバンクの創業者の孫正義や楽天の三木谷浩史のようなIT業界で革新的なことを行う人物はもちろんこれに該当するし、1(4)-1であるパナソニックの松下幸之助を唯一の例外として、現在の一部上場企業上位400社の創業者たちも、皆3(9)-3となる」

    「え、そうなのですか」

    「それだけではない。たとえば、医者もほぼすべてがそうじゃし、理系分野のノーベル賞を受賞する人物も皆この時期となる」

    『科学は人類の発展に大きく貢献しているので、転生回数が多い人たちなのかと思っていました』

    「200回以上が文系ということをふまえると、極端な言い方をしてしまえば、アインシュタインよりもお笑い芸人の方が魂としては上位ということもいえるわけじゃな」

    体を揺すりながら陰陽師が笑うと、青年もあまりに突拍子のない話につられて笑う。

    『輪廻転生100回台において3(9)−3が大々山ということは、彼らが芸能界で活躍することもあるのでしょうか?』

    「実は、先ほど厳格だと言った理由がそこにあるわけじゃが、一見無秩序に見えるこの世は、その実、各人が様々な宿題を抱えて転生してくる“魂磨きの場“としての機能として、見えない厳しいルールが多数存在しておるんじゃ。たとえば、3(9)−3、しかもその後5-5…2という番号を持った人物が何かの間違いで芸能界に迷い込んだとしても、この世からその時期はともかくとしても“排除命令”が出る仕組みとなっておる。しかもその“排除命令”はかなり強烈なもので、たとえば若くして不治の病にかかってみたり、精神に異常をきたしてみたり、事故に遭ってみたり、犯罪に手を染めてみたりと、かなり徹底している」

    『ということは、テレビやネットでよく見かけていた芸能人が、突然姿を消してしまうのはそうした理由なのでしょうか?』

    「業界が業界だけに複雑な事情があって一概には言えんが、その可能性は極めて高いじゃろうな」

    神妙な表情で青年は何度もうなずき、やがて口を開く。

    (続く)

     

     

  • 輪廻転生と自殺

    【新千夜一夜物語第1話:自殺と輪廻転生】


    『僕は死んでもいいと思っていたのに、どうして声をかけたんですか?』

    「その質問に答える前に一つ訊きたい。そなたは、どうして死にたいと思ったんじゃ?」

    『これ以上辛い思いをして生きるくらいなら、今すぐ死んだ方がいいと思ったんです』

    「未来に対して希望よりも絶望の方が多いと思ったわけじゃな?」

    『その通りです! よくわかりましたね! 僕の心が読めるんですか? さすが陰陽師ですね』

    「ほっほっほ。じゃがのお。残念なことに、自殺してもラクになるとは限らないんじゃよ」

    『どうしてですか? この苦しみから解放されるんですから、少しはラクになるはずです!』

    「そなたは、輪廻転生という言葉を知っておるかの?」

    『言葉と意味はなんとなく知っていますが、そういうあやしいのは基本的に信じないようにしています』

    「まあ、信じなくても構わん。そういう説もあると思って聞いておくれ。そなたの質問の答えにもなるからの」

    質問の答えが聞けると思い、黙る青年。現金である。

    「ワシがみるに、死んだあとに魂は肉体から離れてこの世からあの世に一度戻り、休息してから再びこの世に生まれてくるのじゃ」

    『この世とあの世って、どういうことですか?』

    「この世とは今ワシらが存在している地球のことで、あの世とは魂だけが存在する場所と考えてもらっていい」

    『死んだら終わりだと思っていたのに、また生まれてこないといけないんですか?!』

    「その通りじゃ。残念ながらそなたの命は1回限りではなく一定期間続いていく。しかも、今の肉体での修行を全うせずに中途半端な形で放棄するようなことがあれば、次の人生は今回よりもさらに過酷になる可能性がある」

    『ただでさえ今の人生が辛いのに、次はもっと辛い人生になるということですか?! どうせ何度も生まれ変わるんだったら、修行が過酷にならなくてもいいじゃないですか!』

    「何度も無限に生まれ変わるというわけではなく、生れ変わる回数が決まっておるのじゃよ」

    『……ちなみに、何回あるんでしょうか?』

    「400回じゃ」

    『よ、400回も……。これは僕だけではなくみんななのですか? 僕はもう修行したくないので、せめて何回か免除できないんですか?』

    「この回数は誰しも例外はない」

    『マジですか……。でも、来世は猫になってのんびり可愛がられながら修行をしたいと思っていたんですけど、そのようなことは不可能なのでしょうか?』

    「残念じゃが、その通りじゃ。人間は400回生まれ、人間としてしか生まれ変わらない。つまり、そなたは来世も人間ということになる」

    『そ、そんな……。羨ましいな、猫め。ちくしょう……』

    猫には猫なりの大変な猫生があると思うが、ひどい言い様である。

    『じゃ、じゃあ、休息ってどれくらいですか?! 死んだらすぐに生まれ変わるんですか?!』

    「あの世に戻って再びこの世にやってくるまでにこの世の数え方で計算すると28年かかる」

    『なんだか微妙な数字ですね』

    「微妙かどうかはともかく、そなたの祖父母が亡くなって、そなたに孫ができる頃には地球のどこかにいるということじゃ」

    『なるほどです。そう思うとなんだか不思議な感じですね。僕のおじいちゃんが僕の孫の年代として生まれ変わっているなんて』

    「じゃが、ここに一つ問題がある」

    『とおっしゃいますと』

    「亡くなった人がみんなあの世に帰還できるとは限らないんじゃ。そなたは地縛霊という言葉を聞いたことがあるかの?」

    『はい。特定の場所に居座ることで心霊スポットを作り、近づく人に取り憑いたり害を与える恐ろしい存在ですよね? 僕は見たことがないのでよくわかりませんが』

    「ふむ、その認識は半分以上ハズレじゃのお」

    『え、僕の認識はそんなに違っていますか?!』

    「地縛霊というのは基本的に悪意がなく、必ずしも人に悪さをしているわけではないのじゃ」

    『でも、テレビ番組でカメラが突然使えなくなったり、写真に変な画像として映っているのを見たことがありますが』

    「あれはな、あの世に帰還できなくて苦しんでいるゆえの現象なんじゃ。気づいてほしい、あるいは助けてほしいから、ああ言った現象を引き起こしているのじゃよ」

    『そうだったんですか……。もしそうだとすると、なんだかかわいそうですね……』

     実際には、呪いのように特定の条件を満たした人物の念が生きている人に害を与えることもあります。

    「じゃから、そなたが今ここで命を絶ったとして。この世に未練や執着が残っていたら次の人生が過酷になるどころか、魂のままこの世に留まり続けることになってしまうというわけじゃ」

    『でも仮に魂だけになったのだから、それはそれで行きたいところに自由に行けるんじゃないですか?』

    「そうではないぞ。地縛霊の行き先は二つに別れる。一つは親族や子孫に憑く」

    『僕には直系の子孫がいないので、両親か親族の子孫の誰かに憑くんですかね?』

    「ふむ。では、仮にそなたが親族の子孫の誰かに憑いたとして、その人が亡くなったらどうなると思う?」

    『え? 僕の魂もその人と一緒にあの世に帰還するんじゃ?』

    「いや、それは無理じゃな」

    『どうして無理なのでしょう』

    「それはな、自力であの世に還る権利があるのは死んだ瞬間の一回きりだけだからじゃ」

    『えっ、それじゃ一度あの世に戻り損ねたら自力であの世に戻ることはできないのですか』

    「そのとおり。仮にそなたが憑いていた人間が自力で親が無事にあの世に無事帰還できたとしても、残念ながらそなたの魂はこの世に留まったままじゃ」

    『そしたら、今度はどうなるんですか? また違う親族の子孫に僕は憑かなくちゃいけないんですか?』

    「そう、そのとおりじゃ」

    『でも、もし親族が全員この世からいなくなってしまったら……?』

    「亡くなった人間に子孫がなく、縁者が誰もいない場合は、残念ながら死んだ土地に憑くことになる」

    『だから、特定の場所に地縛霊は居座っているんですね……』

    「まあ、そういうことじゃな」

    『じ、じゃあ、地縛霊にならずに無事にあの世に帰還するにはどうしたらいいんですか?』

    「まずは死ぬ瞬間にこの世に思いを残さぬ生き方をすることじゃ。簡単に言ってしまえば、毎回の人生において悔いが残らぬように、魂の修行に専念することが大事になってくるというわけわけじゃな」

    『ということは、僕が今まで苦しい思いをしてきたのも、修行なのでしょうか?』

    「そういうことじゃ。人生には楽も苦もある。楽ばかりに見える人だって陰で苦しい思いをしているかもしれん。逆に、苦しみしかないと思っているそなたの人生においても、捉え方を変えれば楽や幸せがあるはずじゃ」

    『いえ、それだけは絶対にないです』

    即答かつ完全否定。取り憑く島もない。

    「今のそなたにはわからないじゃろうが、いずれの体験もそなたにとってかけがえのない“魂磨き”になっているということを悟る日が来るかもしれん」

    『“魂磨き”ですか。そんなことなんて別にしたいとは思いませんが、地縛霊化してこの世に留まり続けるのもイヤですね』

    「まあ、そうじゃろうな」

    『ちなみに、僕が地縛霊化して親族の子孫の誰かに取り憑いたら、その人はどうなるんですか?』

    「いい質問じゃ。それは次回に話そう」