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  • いま目の前にあることが、きっと今世の宿題なんだと思う

    いま目の前にあることが、きっと今世の宿題なんだと思う

    こんにちは!あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    今世の宿題を、あなたはもう始めていますか?

    天命や今世の宿題なんて言うと、ちょっと構えてしまうかもしれませんね。

    でも実は、それは何か特別な試験や使命のようなものではなく、ただ毎日の中に静かに溶け込んでいるものなのかもしれません。

    言葉にしようとすると、どこかズレてしまうような感覚があります。
    というのも、それは高い次元(あの世)で自分の魂が決めてきたテーマであって、私たちが今持っている言葉だけで完全に説明できるようなものではないからです。

    それでもあえて言うなら、「いま目の前で起きているすべて」が、その宿題につながっている。
    そう思って一日一日を丁寧に過ごしていくことが、最もシンプルで誠実な向き合い方かもしれません。

    天職に就いて働いている時間も天命。
    休日にボーっとして仕事や人生を振り返って氣づきを得ている時間も天命。

    ひとつ、自分に問いかけてみてください。

    「もし、今日が人生最後の日だったら、私は後悔しないだろうか?」

    そんな問いに胸を張って「はい」と答えられないとしたら、もしかすると、まだ“自分の人生”を生き切れていないのかもしれません。

    誰かの期待に応えるばかりの毎日。
    何となく流されてしまう選択。
    どこかで「こんなはずじゃなかった」と感じている日々。

    それらはすべて、今世の宿題に気づかせるために与えられているメッセージかもしれません。

    私自身、これまでにたくさんの「悪いできごと」を体験してきました。

    でも不思議なことに、そうしたことの後にこそ、大きな転機や学びがやってくることが多かったのです。

    まるで「塞翁が馬」のように、何が幸いで何が不幸なのかなんて、簡単にはわからないものですね。

    だから私は、目の前のことに一喜一憂せず、「これも宿題の一部なんだ」と思って、天の流れに身をゆだねるようにしています。

    あなたの今世の宿題は、きっとあなただけのもの。

    難しく考えすぎずに、まずは「今、目の前にあるもの」と丁寧に向き合ってみませんか?

    それだけでも、今世の宿題の答えに少しずつ近づいているはずです。

    そんな悠長なことは言ってられない。
    今すぐに体験するすべてのできごとを今世の宿題にしたい!とお考えの方は、お問い合わせください😊

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  • 「世界は変わる」と信じているあなたへ――陰謀論と末法思想の交差点で

    「世界は変わる」と信じているあなたへ――陰謀論と末法思想の交差点で

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    「この世の中、やっぱりおかしい」と感じたことはありませんか?
    正直に言えば、私にもあります。
    ニュースを見ても、誰かの言葉を聞いても、どこか虚しく、信じられない。そんな時に、「真実は別にある」と語る陰謀論や、「いまは末法の時代だ」と説く宗教の言葉に、心を奪われてしまうことがあります。

    一見、まったく違うもののように思えるこれらの思想には、意外と似た構造があります。
    どちらも「この世界は堕落しており、大きな力によっていずれ正される」という希望を抱かせる点で共通しているのです。

    とある人々は、「ディープステート」と呼ばれる支配層の存在を暴き、正義の力が勝つ日を信じています。
    末法思想の信者は、仏法が廃れた時代の中で、いつか救いがもたらされることを信じています。

    その信念の奥には、「自分は真実を知っている」「他の人たちはまだ目覚めていない」という静かな優越感があります。
    そして、世界が変わるその日を、どこかで“待っている”のです。

    でも──本当に、それで世界は変わるのでしょうか?

    SNSで情報を拡散することも、題目を唱えることも、悪いことではありません。けれどそれが「誰かがなんとかしてくれる」ための祈りでしかないのなら、それはやはり“他力本願”ではないでしょうか。

    社会を変えるのは、正義のヒーローでも仏の奇跡でもありません。
    日々の選択、小さな行動、自分の言葉。その積み重ねが、ゆっくりと世界を動かしていくのです。

    「誰かが世界を変えてくれる」と信じるより、「自分が変わることで、世界が少しずつ変わっていく」と思えるほうが、きっと確かです。

    自分が何もしなかったら、世界が変わっても、何もしない人の日々はあまり変わりません。

    きっと、新たな不満や不安を見つけ、今度は変わった世界のことをおかしいと感じるようになるでしょう。

    おかしいのは、何も行動しないのに人生が変わると思い込んでいる人なのですが。

    ただ、闇雲に行動していても人生の方向性が狂っていたら、おかしな方向に進みかねません。

    ですから、自分の人生を変えようと思ったあなたは、まずは人生の方向性を戻すことから始めませんか?

  • ヒポクラテスの誓いはどこへいった?

    ヒポクラテスの誓いはどこへいった?

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    全ての看護師を責めるつもりは毛頭ありません。

    ですが、こういった言動を取る看護師がいたということを、私は忘れません。

    「点滴、やめたらいい」

    その言葉を発したのは、病床に伏す高齢者を看病していたお客様の祖母に対して、看護師が強い口調で投げかけたものでした。

    すでに心身ともに疲弊していたお客様の祖母は、その言葉に従うしかないという気持ちに追い込まれました。

    そして、点滴を中止した当日――お客様の祖父は亡くなりました。

    この出来事を前に、私はある言葉を思い出さずにはいられませんでした。

    「ヒポクラテスの誓い」――医療従事者が命と向き合うとき、その根幹に据えるべき倫理的指針です。

    この誓いには、次のような一節があります。

    「私は、自分の力と判断の限り、患者の利益のために治療を行う。」

    ヒポクラテスの誓い

    また、こうも誓われています。

    「人の命を軽んじることなく、患者の苦しみをやわらげるため、心を尽くす。」

    ヒポクラテスの誓い

    看護師は、医師とともに患者の命に寄り添い、痛みや不安を和らげる存在であるはずです。

    しかし今回、その言葉は、疲れ切った家族の心を突き刺し、命をつなぐ可能性のあった医療行為を断たせる結果となりました。

    もちろん、延命治療の是非は簡単に白黒つけられるものではありません。

    時に、患者本人や家族が「自然な最期」を選び取ることもあります。

    しかし、その選択は、本当に自分の意思で、納得の上で決断されたものでなければなりません。

    もしもその選択が、看護師の不用意な一言により、追い詰められた心の中でなされたものであったとしたら――それは、「ヒポクラテスの誓い」に反する行為であり、命の重さを踏みにじる結果を招いたといえるのではないでしょうか。

    私たちがこの出来事から学ぶべきことは、「言葉がどれほど強い力を持つか」ということです。

    特に医療従事者の言葉は、患者やその家族の心に、深く、重く響きます。

    だからこそ、その一言一言が、命と心を守るものであるよう、細心の注意が求められるのです。

    命と向き合う者が、決して忘れてはならないこと。

    それは、「人の命に対する畏敬の念」と、「言葉の力を自覚する責任」ではないでしょうか。

    ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私は医師と看護師から、「意識が戻ったら奇跡」と言われていたお客様に対し、一時間氣功施術をしたらお客様の意識が戻ったという体験があります。

    この時も、医師や看護師のことを信用しきれないと思っていました。

    私自身の皮膚疾患や腎不全に対し、医療行為では何もできず、どうしたら改善するかの助言もできない医師もいました。

    この記事を読んだ人の中には、ひょっとしたら、寝たきりで死にゆく命なのだから、点滴を抜いても抜かなくても変わらないのではないか。

    そんな風に思った人がいるかもしれません。

    ですが、私たちは今世の宿題を果たすために生きています。

    他人からみれば寝ているだけで何もしていない時間であっても、ご本人にとっては、過去を振り返り、過去から学ぶ貴重な時間だった可能性があります。

    そう。

    私たちの魂磨きの修行は時間が長ければいいというものではありません。

    ひょっとしたら、死を覚悟してからのわずかな時間の方が、漫然と何年も生きる時間よりも、濃厚な修行になっている可能性が考えられます。

    ですから、意思の疎通ができたお客様の祖父は、親族と最後のやりとりをすることで、修行のラストスパートができたかもしれません。

    その時間が奪われてしまったことが、私には残念でなりません。

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  • 理想を捨てたとき、人生はうまくまわり始める

    理想を捨てたとき、人生はうまくまわり始める

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    「夢や目標を持とう」「高い理想を掲げよう」
    かつて、そんな言葉がよく聞かれました。もしかしたら、あなたも一度は信じたことがあるかもしれません。

    でも、今の時代、それを鵜呑みにしている人は少なくなってきたように思います。
    理想を追いかけすぎることで、逆に苦しくなってしまう人が増えているからです。

    では、なぜ“理想を捨てる”ことが、人生をうまくまわすコツなのでしょうか?

    それは――
    そもそも、理想そのものがこの世に存在しないからです。

    この世界は、魂を磨くための「修行の場」
    私たちの魂は生まれる前に、今世で向き合う課題やテーマを自ら選んできています。
    日々の出来事の中で、それに取り組んでいくことで、デコボコだった魂が少しずつまあるく整っていくのです。

    だからこそ、“何も問題のない理想の世界”なんて、そもそも用意されていないんです。

    私たちが生きるこの社会も、デコボコな魂を持つ人間が作った不完全なシステムでできています。
    完璧なルールや社会が存在するなら、今ごろこの世の問題はすべて解決しているはず。
    でも、そうじゃない。
    それは、この世に「魂の成長」が必要だからなんです。

    仮に、あなたの思い描く理想の◯◯が手に入ったとしましょう。
    最初はきっと、嬉しさや満足感に満たされるでしょう。

    でも…その気持ちは、ずっとは続きません。

    人間には「欠けているもの」に自然と目が向く習性があります。
    俗に言う、ネガティビティ・バイアスというものですね。
    どんなに完璧に見えるものでも、ほんの少しの欠点を見つけてしまう。
    「99%満たされているのに、あと1%が気になる」
    そんな経験、ありませんか?

    そうなんです。理想って、追いかければ追いかけるほど、たどりつけないんです。
    たどり着いたと思ったら、次の不満が生まれてくる。
    だから、理想を追い続ける人生って、実はとても苦しいんですよ。

    しかも厄介なことに――
    理想を追いかけていると、いつの間にか“理想からも追いかけられる”ようになるんです。

    たとえば婚活。
    「理想の相手が見つからない」と言う人ほど、相手に求める条件が厳しく、自分自身のことはあまり見つめていなかったりします。

    相手に高い理想を求めるのは自由です。
    でも、その理想の相手が、あなたを選ぶとは限らない。
    これは、ちょっと冷静になればすぐにわかる話ですよね。

    理想を求め始めるとキリがありません。
    しかも、叶わなかったときに感じる失望感は大きく、心に深いダメージを与えます。

    そんな不安定なゲームに、わざわざ挑み続ける人生。
    それって、ギャンブルのようなものだと思いませんか?

    理想が手に入らないことに苦しむくらいなら、
    最初から「これだけは譲れない」という最低限の条件だけを持つ方が、人生はうまくいきます。

    たとえば――
    「暴力的な人は絶対に嫌」とか「お金の管理がまったくできないのは無理」とか。
    あなたが本当に受け入れられないことだけを“除外条件”にして、他はある程度受け入れていく。

    そうやって、プラスを求めるのではなく、マイナスを減らす生き方が、実はとても賢いやり方なんです。

    それでも、何度も同じような失敗や不幸が続く…。
    そんなときは、もしかしたら“霊障”を受けているのかもしれません。

    この世が魂磨きの場であるとはいえ、本来なら経験する必要のない苦しみに見舞われている人もいます。
    そういうときは、神事を受けて、自分本来の人生の流れに戻すことも、とても大切です。

    理想を手放すことで、あなたの魂はより自然な形で成長していきます。

    無理に完璧を目指さなくていい。
    欠けているからこそ、人は人として磨かれていくのです。

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  • “幸せ”がゴールだと思っていたあの頃の自分へ

    “幸せ”がゴールだと思っていたあの頃の自分へ

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    ネットやSNSのおかげで、私たちは無限に近い情報を手に入れられるようになりました。
    でも、そのほとんどは——私にとって、正直どうでもいいことばかりです。

    なぜなら、目の前で起きていないこと、自分が体験することのない出来事に、本質的な意味なんてないから。

    それでも、人はなぜ、そんな「意味のない情報」に夢中になってしまうのでしょうか?

    私自身の過去を振り返ると、その理由がはっきりわかります。
    ――現実から逃げていたんです。

    どれだけ知識を詰め込んでも、行動しなければ現実は一歩も動かない。
    頭だけで“わかったつもり”になっても、目の前の苦しさは変わりません。

    たとえば、仕事がツラいなら、転職するとか、部署を変えるとか、何かしら行動すればよかった。
    でも当時の私は、それすらせずに毎日同じ日々を繰り返していました。

    「人生の秘密を知れば、いつかハッピーな未来がくるはず」

    そんな幻想を追いかけるばかりで、現実を直視できなかったんです。

    じゃあ、逆に「意味のある情報」って、どんなものでしょうか?

    それは、自分の“今”に関係あるもの。
    つまり、目の前の現実にしっかりと結びついている情報です。

    仕事でミスして落ち込んでいるなら、「どうすればミスを減らせるか?」を考えるべきだった。
    苦手な同僚がストレスなら、「その人に反応しないコツは?」を探して行動すればよかった。

    つまり、イヤだと思っている現実にちゃんと目を向けて、その原因をひとつずつ改善していく。
    それこそが、人生を少しずつ変えていく本当の力です。

    「でも、スピリチュアル的な方法で、一発逆転できるんじゃないの?」

    そんなふうに思ったこと、私にもあります。

    でも、たくさんのスピリチュアルを見てきた今、思うのは――
    結局のところ、それもただの現実逃避で終わってしまうことが多いということ。

    確かに「物事のとらえ方」が変われば、心はラクになります。
    でも、目の前の現実そのものが都合よく変わってくれることは、ほとんどありません。

    じゃあ、どうしたら人は「幸せ」になれるんでしょうか?

    この問いに、私はこう答えます。

    人は、幸せになるために生まれてきたんじゃない。
    なぜなら、この世は「魂を磨くための修行の場」だからです。

    私たちの魂は、いろんな経験を通じて成長するために、あえてこの不完全な世界に生まれてきた。
    だから、不幸なできごとにも、実はちゃんと意味があるんです。

    そして面白いことに、不幸を体験した人ほど、ちょっとした幸せを強く感じられる。
    幸福度を「80→90」に上げるより、「-10→10」にする方が簡単です。

    たとえば、満腹で高級ワインを飲むよりも、運動後に水道水を飲む方が、よっぽど「うまい!」と感じる。
    そういうシンプルな仕組みなんです。

    だから、もし今、現実から目を背けている自分に気づいたら――

    まずは目の前の「イヤなこと」にしっかり目を向けてみてください。

    そして、それをどう改善していくか?に、時間とエネルギーを使ってほしい。

    もちろん、修行の場であるこの世界では、改善すればまた新たな課題がやってきます。
    一度幸せになっても、また別の「試練」がやってきて、幸福度が下がることもある。

    でも、その課題をひとつひとつ乗り越えていけば、
    確実に「幸福の平均値」は上がっていきます。

    気持ちの切り替えも早くなり、不幸を感じる時間が短くなる。
    その分、感謝したり、幸せを感じられる時間が増えていくのです。

    結局、こういうことなんだと思います。

    この世は修行の場。
    だからこそ、苦しみとちゃんと向き合うことで、結果として「幸せ」でいられる時間が増えていく。

    本当の幸せは、どこか外にあるんじゃなくて――
    目の前の「イヤな現実」の中に、ちゃんと隠れている。

    だからこそ、今世の宿題を果たしていきましょう。
    それが、自分がこの世に生まれてきた意味を見つける道になるのだと思います。

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  • 人生をマシにしていくための、たった一つの冴えないやり方

    人生をマシにしていくための、たった一つの冴えないやり方

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    派手さはないけど、じわじわ効いてくる――
    そんな「働き方の見直し」が、人生を大きく変えることもあります。

    多くの人が、「好きなことを仕事にしよう」とか「情熱を仕事に」なんて言葉に惹かれます。
    でも、いきなり飛び込むにはリスクも大きい。
    現実は、そう簡単じゃありませんよね。

    そこでおすすめしたいのが、「やりたくないことを減らす」という、ちょっと地味な方法です。

    ステップ1:嫌なことを減らすところから始める

    人生を良くしようとするとき、「何かを加える」ことばかり考えてしまいがちですが、
    実は「引き算」のほうが効果的なこともあります。

    たとえば、職場の人間関係、業務内容、働く時間帯…
    「これはもう限界」と感じるポイントを一つずつ洗い出し、
    それを少しずつ手放していける環境に身を置く。

    それだけで、心がふっと軽くなる瞬間が増えていきます。

    ステップ2:三年働いて見えてくること

    「石の上にも三年」と言いますが、ある程度同じ業界で経験を積むと、
    同業者他社の働き方や待遇、業界全体の流れも見えてくるようになります。

    それがわかると、今いる場所の良し悪しが客観的に判断できる。
    もしかしたら、転職した方が悪化するケースだってあるんです。

    だからこそ、焦らず、冷静に「次はどこへ行くか」を考える。
    それが、よりマシな選択へとつながっていきます。
    もちろん、必ず三年働かなければならないということではありません。

    ステップ3:好きなことは、まず趣味で始める

    「好きを仕事に」は、最終ゴールの一つでもいい。
    いきなり収益化を狙うのではなく、
    まずは自分のペースでやってみて、反応を見て、
    少しずつ育てていく。

    それが自然とサービスとして成立してきたら、
    必要な生活費をカバーできる程度に収入を伸ばし、
    タイミングが来たら独立や転職を考えればいいんです。

    人生は、“ちょっとマシ”の積み重ねで変わっていく

    人生を大きく変えるのは、派手な決断よりも、
    地味だけど「確実に効く」見直しの積み重ねです。

    やりたくないことを減らす。
    働き方を無理なく調整していく。
    それだけで、気づけば以前よりずっと生きやすい場所に立っている。

    そんな穏やかな変化を、一緒に目指してみませんか?

    ここまで読んでも不安に思うかもしれません。
    大丈夫。
    私たちには、それぞれ生まれてきた目的があります。
    “天職”は、お金も時間もピッタリになり、あなたの人生が充実しますよ!

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  • 大学って本当に必要?社会に出てからわかるリアルな答え

    大学って本当に必要?社会に出てからわかるリアルな答え

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    「大学はペテン師養成機関だ」
    そんな極端な言い方をすると驚かれるかもしれませんが、あえて言葉を選ばずに言うと、私自身はそう感じた時期がありました。

    もちろん、すべての人にとって大学が無意味だとは思いません。
    でも、「大学に行くのが当たり前」という前提のまま進んでしまうと、あとで「あれ?これは自分の望んでいた道じゃなかったかも」と思うことがある。そんな体験をした一人として、伝えたいことがあります。

    勉強したことが、そのまま仕事に役立つわけじゃない

    大学で学ぶ内容と、実際の仕事は思った以上にかけ離れています。
    企業が求めているのは「即戦力」。でも、4年間の講義やレポートだけで、それに応えられる力が身につくことはほとんどありません。

    では、なぜ大学に行くのか?
    「とりあえず進学しないと不安だから」「周りがみんな行くから」そんな理由で通う人も多いのではないでしょうか。

    大学教授は“研究のプロ”であって“現場のプロ”ではない

    経済学部の教授が、必ずしも経営の達人でも投資の成功者でもないように、大学で教える人たちが実社会で活躍しているわけではありません。
    彼らは、いつか役に立つかもしれない研究を地道に積み重ねる“知のオタク”。その在り方を否定するわけではありませんが、それが今すぐ現場で役立つかというと…疑問が残ります。

    「じゃあ、大学って何のためにあるんだろう?」

    その答えのひとつは、「教養を広げるため」。
    言い換えれば、“趣味の幅”を広げる場所とも言えるかもしれません。

    面接とは、「わかったフリ」を売る場所?

    大学で学んだことをアピールしても、面接官が見るのはそこだけじゃありません。
    「この人、会社に合いそうだな」「空気が読めそうだな」そんな感覚的な判断が、意外と大きな要素だったりします。

    つまり、仕事の適性ではなく“印象”が重視される。

    本音を隠してでも、相手に合わせる力――
    それが社会で求められる「コミュ力」であり、それは大学でなくても鍛えることができる力です。

    「大学に行かない」という選択肢

    世の中には、大学に行かずに実践の場で力をつけている人もたくさんいます。
    企業の研究部門で素晴らしい成果を出している人もいれば、現場で経験を積んでプロになった人もいます。

    そんな人たちを見ていると、「大学に行かなくても、道は開けるんだ」と気づかされます。

    もちろん、大学が合う人もいます。
    でも、「あなたにとって本当に必要なのか?」と一度立ち止まって考えてみてほしいのです。

    私にとっての高学歴は、“重たい肩書き”だった

    正直に言うと、私は大学に行ったことで得たものよりも、失った時間やお金のほうが大きかったと感じています。
    「4年間、そのお金と時間があれば、どんな経験ができただろう?」と考えずにはいられません。

    それは決して、大学そのものが悪いという意味ではありません。
    自分にとって必要な選択だったかどうかを、もっと早く真剣に考えていればよかった――そう感じているのです。

    遠回りしてきた私だからこそ、伝えたい

    少なくとも私は霊障によって仕事運が塞がれていたため、仕事全般でとても遠回りしたと思います。

    「何のために生きているのだろう?」
    「このままこの人生が続くなら、今すぐ死んでも同じかもしれない」
    「人生、遠回りばかりしてきたな」
    そんなふうに感じることがあるなら、それはきっと“方向を変えるチャンス”なのだと思います。

    今からでも遅くありません。
    あなたが本当に歩みたい人生へ、舵を切ってみませんか?

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  • “自分らしさ”という名の“反抗期”

    “自分らしさ”という名の“反抗期”

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    「自分らしく生きる」

    そんな声をよく聞きます。
    でも実のところ、「自分らしさ」なんて、そもそも幻想なのかもしれません。

    私たちは、日々他者からの情報に触れて生きています。
    SNS、本、テレビ、誰かの発言…。
    それらに影響されない「完全に自分だけのオリジナル」なんて、ほとんど存在しない。

    これこそが“自分らしさだ”という気持ちさえも、実はどこかで見聞きした何かのアレンジにすぎないのです。
    そこに気づけないと、自分に自信が持てないまま、ずっと「これじゃない」と感じ続けてしまう。

    反発だけで生きるのは、思春期なら通用します。
    でも、大人になってからの「反抗期」は、時に現実逃避に変わってしまう。
    「自分らしく生きたい」と願うあまり、何の成果も出せないまま、高額なセミナーや情報商材に手を出してしまうこともある。
    それは、自分の限界に目を向けずに、まだ何か賭けられる“可能性”があると信じたくなる、心のギャンブルなのかもしれません。

    けれど、本当の「自分らしさ」とは――
    社会との折り合いを、自分なりに見つけていくこと。
    無理をして合わせる必要はありません。
    ただ、今の自分と今の環境が噛み合っていないと感じるなら、変えるべきは「自分」か「場所」か。そのどちらかです。

    自分に合った場所を探すこと、動いてみること。
    それは立派な選択であり、現実と向き合うという勇気ある行動です。

    他人や環境が勝手に変わってくれるのを待つのは、子どもの発想です。
    大人である私たちは、「自分と社会の距離感」を自分で調整していく責任がある。
    社会に頼りすぎず、でも切り離されすぎず。
    それは、野性に戻らず、ちゃんと人間として生きていくためのバランス。

    「自分らしく生きる」とは、
    自分の居場所を、自分の足で見つけにいくことなのかもしれません。

    そうは言っても、自分なりに最善を尽くしてきたのに空回りしている。

    悪縁ばかりで状況が改善しているように感じられない。

    そんなあなたは、霊障によって仕事運や人運が塞がれているかもしれません。

    一刻も早く霊障を解消し、あなたが進むべき人生の方向性へと向かいましょう。

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  • 私はダメ人間。でも、それが強みになった。

    私はダメ人間。でも、それが強みになった。

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    私は自分をダメ人間だと思っています。
    でも、それが嫌いではありません。

    なぜなら、ダメな自分を受け入れることで、自然と向上心が生まれ、他人の失敗にも寛容になれるからです。

    他人がうまくいかないことなんて、当たり前にある。
    だから私は、「この人は本当はもっとすごい」と信じています。

    私は、人の才能や強みを見つけるのが好きです。
    出会った人の得意分野を覚えておき、それを必要とする人がいたら繋ぐ。
    私自身が役に立てなくても、誰かが助けになればそれでいい。

    私はダメ人間だからこそ、人に頼るのが上手いのです。
    でも、ただ頼るだけじゃありません。
    「まずは自分でやれるところまでやる」。
    それが、私なりのルールです。

    ダメ人間だからこそ、人と人を繋ぐ力が強くなる理由

    私は「自分一人では何もできない」と思っています。
    だからこそ、誰がどんなことに詳しいのかを常に意識し、人と人を結びつけることを自然にやるようになりました。

    たとえば、私はデザインが苦手ですが、デザイナーの友人がいます。
    「この人、いいデザイナーいないかな?」と相談されたら、すぐに友人を紹介します。
    結果的に**「あなたに頼ると、良い人を紹介してもらえる」**というポジションができ、人と人の繋がりがどんどん広がるようになりました。

    「頼る」と「丸投げ」の違い——信頼を築くための線引き

    人に頼るのはいいことですが、丸投げはよくありません。
    では、その違いは何か?

    ✔ 頼る:自分でできる限りやったうえで、具体的なポイントを伝えて助けを求める
    ✔ 丸投げ:何も考えずに、全部人に押し付ける

    たとえば、「ブログを作りたいけど、デザインがわからない」場合、
    ・ 丸投げする人:「デザインやって!」(相手の手間を考えていない)
    ・ 頼る人:「このテンプレートを使いたいけど、どうすればいい?」(相手の負担を減らす)

    こうして、相手の時間を尊重しながら頼ることで、信頼が生まれます。

    人間関係を円滑にするために、私が意識しているシンプルなルール

    人と人を繋ぐことが増えると、「紹介してもらえませんか?」と頼まれることも多くなります。
    そのとき、私は次のルールを大切にしています。

    1️⃣ 必ず、両者の了承を得てから紹介する
    2️⃣ 自分が本当に信頼できる人しか紹介しない
    3️⃣ 「この人なら助けになりそう」と思ったときだけ繋ぐ(無理に紹介しない)

    これを守るだけで、紹介した相手同士が気持ちよく繋がり、私自身の信頼も高まります。

    「自分ができること」と「誰かに任せること」を判断する基準とは?

    私は「全部自分でやるべき」とは思っていません。
    でも、**どこまで自分でやるべきか?**は明確に決めています。

    ✔ 自分でやるべきこと → 「繰り返し必要になるスキル」
    ✔ 誰かに任せるべきこと → 「専門的で、自分でやると時間がかかりすぎること」

    例えば、私はブログの執筆は自分でやりますが、ロゴのデザインはプロに任せました。
    こうして線引きを明確にすることで、時間を有効に使えるようになります。

    結果的に、人から信頼されるようになった私の考え方と行動習慣

    私は「ダメ人間」ですが、人と人を繋ぐ力を鍛えてきた結果、**「頼れる人」**として信頼されるようになりました。

    結局のところ、人は「完璧な人」ではなく、「頼りがいのある人」に魅力を感じるのかもしれません。
    完璧じゃなくてもいい。
    むしろ、ダメな部分があるからこそ、人と繋がる力を育てられる。

    あなたも、自分の「ダメな部分」を見つめてみてください。
    そこに、意外な強みが隠れているかもしれません。

    ここまで読んでくださったあなたの「強み」も、きっと誰かの役に立ちます。
    ぜひ、あなたのすごさを教えてください。
    そして、私にも協力させてください。 (さらに…)

  • 「好き」と「やりたいこと」を追求した人生の行方

    「好き」と「やりたいこと」を追求した人生の行方

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    好きなことややりたいことを追求すると、どのような人生が待っているのでしょうか。

    その対極にあるのは、やりたくないことをしない生き方です。

    私たちはこの世で様々な経験を積み、魂を磨くために生きています。

    そこには望ましいことも、望ましくないことも含まれます。

    しかし、やりたくないことは一切しないと決めた場合、果たしてどのような人生になるのでしょうか。

    人が生きていくためには、衣食住を確保しなければなりません。

    そのためには時にやりたくないことをしなければならない場面があります。

    例えば、私自身も経理関係の業務や、終わりのない現世利益を求める質問への対応はあまり気が進みません。

    しかし、それらを通じて学びを得られることもあります

    だからこそ、私は「やりたいこと」も「やりたくないこと」も、今世の宿題として受け入れています。

    では、「やりたくないことを一切しない」と決めた場合、そして、「やりたいこと」だけで生計を立てようとした場合、その人は最終的にどのような道を歩むのでしょうか。

    極端な話ですが犯罪に手を染めることです。

    やりたくないことをしないと決めると、当然ながら労働からも逃げるようになります。

    しかし、生きるためにはお金が必要です。

    ラクして稼ぐという思考にとらわれると、その最も手っ取り早い方法は他人の財産を奪うことになりかねません。

    古代から窃盗は存在し、厳しい罰が科されても決してなくなることはありませんでした。

    それだけ、人間にとって「労せず利益を得る」ことは魅力的なのでしょう。

    現代においても、闇バイトに手を出す若者が後を絶ちません。

    例えば、高額な商品や体験を求めたとき、それを手に入れるための資金がなければ他人の金を使えばいいという発想に至ることがあります。

    中には、「お前は俺が必要としているお金を持っているのだから、俺に渡して当然だ」などと言ってきた者さえいます。

    もし、ここまでの流れを読んで違和感を覚えたなら、あなたは大丈夫です。

    好きなことややりたいことだけを追求する人の中には、他人の権利を踏みにじり、社会のルールを無視するようになる者もいます。

    時には、「この世に善悪はない」と自分の行為を正当化し、道徳観が欠如していることに気づかないまま突き進む人もいます。

    彼らにとっては、他人に損害を与えてでも、自分の欲求を満たすことが何よりも優先されるのです。

    もちろん、「好きなこと」や「やりたいこと」だけを追求するすべての人が、このような価値観を持っているわけではありません。

    しかし、そうした傾向を持つ人が多いと感じることも事実です。

    だからこそ、こうした価値観を持つ人とは適度な距離を保つことをお勧めします。

    また、この世の善悪とあの世や永遠の世の善悪の基準は異なります。

    私たちの価値観と今世の宿題が、そうした人々と異なるだけなのです。

    今までに、そうした人々から被害を受け、もう関わりたくないと思っているあなたは、人運が塞がれているかもしれません。

    人生を変えたいあなたは、ご相談ください。

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