コミュ障というより、単に面倒くさがりだっただけ

こんばんは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

以前の私のことを振り返ると、”自分はコミュ障だった”と思います。

しかし、同時に、それは本当に障害だったのだろうか?

そんなことも思います。

実際のところ、当時の私が抱えていた問題は、単にコミュニケーションを面倒くさがっていただけだった氣がします。

現代社会は、技術の進歩によって簡単に他人とつながることができる反面、コミュニケーション自体の価値を軽視しがちです。

SNSやメッセージアプリが普及し、短い言葉やスタンプで済ませるコミュニケーションが当たり前になった今、丁寧な対話や心のこもった交流が面倒に感じられるのも無理はありません。

このような状況では、あたかもコミュニケーション能力が低下しているように思われますが、実際には単に”面倒臭い”という心理が原因であることが多い印象を受けます。

例えば、「わかってもらえない」と口にする人がいます。

そう言う人は、こうして欲しいという自分の要求や、現在の自分の状況をきちんと言葉にして伝えているのでしょうか。

伝わっていないのに、伝えた氣になっていませんか?

過去の私は、自分にとっての常識を、相手にとっても常識だと勘違いしていました。

こういった行動はやめてほしいと思っていても、言葉にせずにイライラし。

何度か繰り返されると怒って口調がキツくなりました。

この根底には、されたら嫌なことを口にすることがストレスという別の問題があったように思います。

日頃から、とるに足らない雑談をしあえる関係を作れていれば、雑談の延長の感じで頼み事をしたり、指摘や注意をしやすくなります。

ところが、日頃から雑談などのコミュニケーションを取っていないから、頼み事や指摘や注意をする時のストレスが増しているのかもしれません。

その結果、コミュニケーションのハードルが高くなってしまっているのでしょう。

特に、指摘や注意というのは、する方もされる方もストレスになります。

他にも、相手にとって不要なプレゼントをしてしまう人。

相手が欲しがっている物を、日頃の会話の中から探ればいいのに、しません。

最後の手段になりますが、何が欲しいかを、直接質問すればいいのです。

それなのに、勝手に妄想して見当違いな結論を出し、迷惑なプレゼントをしてしまいます。

こうした人々がだいたい言うのは、「良かれと思ってやったのに」です。

こうならないよう、日頃のあいさつや雑談を面倒くさがらず、なるべく良好な人間関係を築いていきましょう。

ただ、コミュニケーション能力を向上する努力をし、いろんなことを実践しているのに、なぜか他人とうまく関われない。

そんなあなたは、救いを求めてすがってきているご先祖による霊障、14:人的トラブルの相の影響を受けているかもしれません。

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