神様ってどんな存在でしょうか?
人間の願いを叶えてくれる存在?
それなら、この世は人間の願いによって左右される世界になります。
人間の願いによって左右されるということは、あなた以外の誰かの思い通りの世界になる可能性があるということです。
ということは、神様へのお願い上手な人がこの世の王みたいな立場になる。
おかしいと思いませんか?
あの人がお金持ちなのは、努力ではなく、神様に愛されているから?
そうだとしたら、あなたが他人よりも恵まれている点があるのは、あなたの努力とは無関係。
そうなってしまいます。
ですから、神様が人間の願いを叶える存在であるなら、この世はおかしいという印象を受けます。
それもそのはず、人間の願いを叶える神様は、邪神ですから。
願いを叶えてもらっている人間が、必ずしも幸福とは限らないのは、頼っている対象が邪神だからです。
一方、あの世とこの世の仕組みが滞りなく運行させているカミは、公平無私の存在です。
私たちを見守る、縁の下の力持ち。
見返りを要求しません。
捉え方によっては法則のような存在かもしれません。
わかりやすく例えるなら、因果応報が近いでしょうか。
ですから、カミを信奉する人の人生がうまくいくのではなく。
本来すすむべき道に向かっている人は、さらに進みやすく。
本来の人生の方向性からズレている人には、ズレた分のペナルティがある。
ただ、そのペナルティは、そっちの方向ではないよと氣づかせるためです。
こんな話があります。
とあるクライアントがご神事を依頼したものの、言い訳をして支払いをしませんでした。
他のことにお金を使っていたらしく、単に踏み倒していたようです。
その後、クライアントが所持していた物件に原因不明の火災が発生しました。
その被害額は、ちょうどご神事の金額と同じだったようです。
まさに、因果応報とでも呼ぶべき出来事だと思います。
これが邪神なら、怒り狂って支払うべき金額以上の代償を支払わせていたかもしれません。
あの世とこの世の法則にえこひいきがあってはいけない。
太陽の光が、なぜか一部だけしか照らされないなんてことがあったらおかしい。
経済的にうまくいってもどこかで破綻するのは、小さな違和感や人生のズレを見て見ぬふりしたからかもしれません。
あなたは何を基準に生きていますか?
お金? 安定? 仕事? 恋愛? 健康?
あの世とこの世の法則を基準に生きることが、魂にとっての最善です。
今世の宿題を果たしていきましょう。
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