こんにちは!あの世とこの世合同会社、代表社員の中山彰仁です!
医と醫と毉は、全て同じ意味をもつ漢字です。
字体としては、新→旧ですので、毉が始まりとなる説があります。
いずれも、いやす、くすし、病気を治す、医者といった意味があります。
ポイントは、下の部分の違いです。
毉の下の部分は巫であり、霊能力、先天的な能力を用いた治療行為だと思います。
霊能力の分野は多岐に渡りますが、病氣治しもその一つです。
私がお世話になっている陰陽師の先生は9段階中の最上段の霊能力を持つので、心身の不調を感じた際に依頼する、日々のお祓いだけでもその効果の絶大さを体験できます。
ただ、先生のレベルの霊能力を持つ人物は、ブッダやキリストや安倍晴明といった偉人ベルになりますので、ほとんどいないことが容易にわかります。
魂1−1の人物による恩恵ですね。
そう考えると、怪我人や病人の対応をしているだけで一日が終わってしまうこともあったかもしれません。
そこで、霊能力の恩恵に与れない怪我人や病人をなんとかするために研究されたのが、醫といえそうです。
醫の下の部分は酉ですが、これにはあまざけやといった意味があるそうです。
主に経験則に基づいた薬草など、後天的な集合知であり、東洋医学が近いでしょう。
それらがあれば、霊能力者に頼らずとも怪我や病気が治りやすくなった。
魂:3武士/武将、さらには転生回数が190回代の人物たちの恩恵ですね。
ただ、薬草などがなければどうにもならないという制限があったと思います。
それでも、霊能力以上に多くの人々に恩恵を届けることができるようになった。
そんな氣がしています。
現代の医は、客観的な分析でしょうか。人をみるのではなく、症状などを主に分析しています。
西洋医学が主流でしょう。
欠点としては、その時代の科学レベルで変わるといったところでしょうか。
私のnoteの読者はご高承の通り、西洋医学は検査と外科と病原菌に対しては有効ですが、ほとんどの人が体験する未病に対しては不得手です。
病氣にならないことが大事なのに、病氣になったらお医者さんとお薬、といった価値観が蔓延しているように思います。
つまり、病氣になっても構わないという感じでしょうか。
病にかかるのは日常生活に何らかの要因があるからであり、これ以上悪化しないように生活習慣を改める必要があります。
ですが、薬で何とかすればいいという価値観になると、根本的な解決になりません。
その延長として、病が原因で命を落とす人が増えたのではないか。
最近は、そんなことを考える時もあります。
産業革命以降、体主霊従の時代になり、医学が牛耳ったでしょう。
令和になり、霊主体従の時代に戻ったため、醫と毉の影響力が強まる傾向が考えられます。
時代が変われば価値観も変わります。
いつまでも旧い価値観に固執していると、どうなるのでしょうね。
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