努力しても報われないのは、正しい努力をしていないから。
たまにそんな説を見かけます。
それもそのはず。
例えば、文系の大学に入学するのを目指しているのに、受験科目に含まれていない理系科目ばかり勉強していたら、合格する可能性は限りなく低いでしょう。
ただ、ここで少し考えていただきたい。
なぜ、この学生はそうしてしまったのでしょうか。
その学生は本人なりに考えたり、直感なりを信じて選んだはずです。
誰かが教えてくれなかったから?
であるなら、教えてくれる人と出会えなかったことが要因。
リサーチ不足?
であるなら、必要な情報にたどり着く前にリサーチをやめると決めてしまったことが要因。
こうした理由について、説明できるのでしょうか?
こうした方向性や選択の誤りは、努力といった、人間が思いを巡らせることのできる物事の範囲(思議)ではないと思います。
ですから、あえてわかりやすくいうと、その学生は、そもそも運が悪かったと私は考えます。
幸運/不運というより、運命や選択と考える方が近いと思います。
その学生は、ひょっとしたら、理系の大学に入学することが本来の人生の方向性だったのかもしれません。
ですが、親の考えや、その学生自身の“理系は女子が少ないから嫌だ”といった、思議の判断で文系の大学を目指したことが、要因の一つかもしれません。
目的と手段がズレてしまっているパターンですね。
理系の大学に進路を切り替えていたら、ひょっとしたら、大学内で運命の女性と出逢う運命が待っていたかもしれないのに。
つまり、努力よりも才能よりも、最終的にどんな意志決定をするかという運が一番大事なのです。
では、この学生のように、本来歩むべき人生から外れないためにはどうしたらいいのでしょうか。
塞がれている運氣を本来の状態に戻し、その後は今世の宿題を果たすのに適した選択をすること。
これに尽きると思います。
思議の領域なら、自力でなんとかできるはずです。
ですが、人生に真剣に向き合い、やるべきことに取り組んでいるのに報われず、しかも後悔ばかりしているのは、不可思議(人間の考えの及ぶ埒外)の領域、運氣が塞がれている可能性が高いと思われます。
しかも、不可思議の領域ですから、運氣が塞がれているという自覚はありません。
ちなみに、私とご縁がある方は今のところ100%、運氣が塞がれています。
未来は不確定であり、私たちの日々の選択の積み重ねが未来となります。
ひょっとしたら、今日の何氣ない選択が、例えば、10年先の未来にまで影響をおよぼす可能性もあるわけです。
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