
青年は思議していた。
過去に神社の相性があると聞いたが、その相性は何によって決まるのだろうか?
人物に頭の1/2の区別があるのと同様、神社仏閣にも1/2があるのかもしれない。だが、一人で考えてもわかるはずがなく、青年は陰陽師の元を訪ねるのだった。
『先生、こんばんは。今日は神社仏閣について教えていただけませんか?』
「一口に神社仏閣といっても、語り尽くせないほどのテーマがあるわけじゃから、とりあえずどういったことを知りたいのか手短に教えてもらえるかの?」
『簡潔に言うと、神社仏閣と人間の相性についてです。人物の頭に1/2の別が存在する以上神社仏閣にも1/2の別があるのでしょうか?』
「もちろん、神社仏閣にも1/2の別は存在する。また、その区別は誰が主祭神であるかによって決まるわけじゃが、人間との相性の良し悪しは、各人の1/2と一緒と考えて問題ない」
『ということは、“農耕民族の末裔”である頭が1の人物は、豊作祈願を謳っている神社と相性が良く、“狩猟民族の末裔”である頭が2の人物は、合格祈願や必勝祈願といった獲物、現代で言う目標達成を謳っている神社と相性が良いのですね?』
陰陽師は小さくため息をつき、口を開く。
「なるほど。そのあたりから説明する必要があるわけじゃな」
『いつもながら不勉強で恐縮です』
青年は頭を下げ、陰陽師は微笑みながらうなずく。
「まずは前提として、“カミ”とは感謝をする対象であり、衆生の“私利私欲”に満ちた願い事をする対象ではないということは前にも話をした通りじゃ」
『不可思議の世界にいる神の価値観と、思議の世界に生きる我々の価値判断は、往々にして一致しないというお話しだったと思いますが』
「うむ、その通りじゃ。我々人間の価値判断からすると不幸な出来事も、実は更なる幸福の前兆であったり、我々が考える幸福の実現が、実は大きな不幸の序章だったりという具合にの」
『はい、そのように記憶しています』
小さく頷く青年に、陰陽師は言葉を続ける。
「また、それ以前の問題として、本物の神様は衆生の私利私欲に満ちた願い事なぞには耳を貸さず、願い事を聞くのは、神の使い走りである眷族であるという話もちゃんと覚えておろうな?(※第15話参照)」
『はい。眷属は願いを聞いてくれる反面、必ず何らかの代償を求めるのでしたよね』
青年の言葉に、陰陽師は首肯して答える。
「さよう。つまり、相性の良し悪しにかかわらず、神社仏閣で願い事をするのは控えるべき、というのが神社参拝の大原則となる」
『肝に銘じておきます』
「さらに話を元に戻すと、“カミ”の起源はメソポタミア文明にまで遡るのじゃが、そこまで話すには時間が足りぬ。よって、今回は日本の神社仏閣に絞って説明しようと思うが、そなたは日本の神々について、どの程度の知識があるのかな?」
首を傾げ、しばらく黙ったのちに青年は答える。
『“古事記”や“日本書紀”で、イザナギとイザナミの夫婦神が日本を作った場面からなら、話についていけるかとは思いますが・・・』
「つまりは“天地開闢”(てんちかいびゃく)の部分からであれば、それなりの知識があるというわけじゃな」
青年は黙ってうなずく。開闢という言葉は聞き慣れないが、天地創造と脳内補完したのだろう。
「であれば聞くが、そなたは“記紀”(古事記と日本書紀)の中身がすべて真実じゃと思っておるのかな?」
『大昔の話なのでその真偽をすべて確認することはできないと思いますが、大部分が真実であると思います』
罰が悪そうに言う青年。陰陽師は励ますような笑みを浮かべて答える。
「そなたの言うように“記紀”の中身がすべて間違っているということは、もちろんない。しかし、記紀の神話部分に話を限って話をするとすれば、真実を伝えているとは言い難い」
『しかし』
眼を大きくして聞き返す青年。
『どのあたりが、真実ではないのでしょうか』
「決定的な問題は、そのすべてが日本国内の歴史ではなく、天皇家を中心とした祖先たちが日本にたどり着く過程を神話仕立ての“物語”にしたものというところじゃな」
『ということは、記紀の神話部分とは、国内の出来事ではなく、我々の先祖たちがメソポタミアから日本に辿り着くまでの壮大な歴史の集大成であって、決して日本固有の歴史を描いたものではないとおっしゃるのですね』
意外な展開にちょっと目を大きくする青年に、陰陽師は首肯して答える。
「その通りじゃ。日本人が世界に散らばって血が薄まったという話を耳にするが、むしろ実相はその逆で、メソポタミアやエジプト、古代インドにおった人間たちが陸路海路を使い、日本列島に到着した壮大な物語が記紀の神話部分というわけじゃな。そして様々な地域を経由する途中で様々な血が混じり、今の日本人ができたというわけじゃ」
『つまり、日本人こそ、究極の混血民族だと」
納得顔で何度もうなずく青年。陰陽師は湯呑みに注がれたお茶を一口のみ、口を開く。
「さて、天地創造、国生みの話に補足をすると、伊邪那岐尊(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)の前に国之常立神(クニノトコタチノカミ)と呼ばれる神々がおることは理解しておるかな?」
『いえ、それらの神々については知りませんでした』
青年は目を見張って答える。陰陽師は小さくうなずき、続ける。
「“天地開闢”、つまり天地創造の最初に現れたとされているのが天之御中主神(アメノミナカヌシ)と高御産巣日神(タカミムスビ)と神産巣日神(カミムスビ)の造化三神じゃ」
青年はカタカナで名前を速記していく。神様の名前の漢字って難しいよね!
「ちなみに頭の1/2を説明しておくと、天之御中主神は1、高御産巣日神と神産巣日神は2となる」
『全員が1ではなく、逆に2の方が多いのですね。地球の魂の比率で頭2の方が多いことと何か関連があるのでしょうか?』
「彼らも我々の祖先であるわけじゃから、そう考えることもできるじゃろうな」
陰陽師は首肯して、先を続ける。
「今までに登場した神々の1/2の別をみていくと、国常立神が1、その後に登場する伊邪那岐尊は1、伊邪那美命は2。そして、伊邪那岐尊の右目から誕生した天照大神(アマテルオオミカミ)が1、左目から誕生した月読命(ツクヨミノミコト)が2、そして鼻から誕生した須佐之男命(スサノオノミコト)が2となる」
黙ってうなずく青年を横目に、陰陽師は続ける。
「日本の神話の大元に近い神々の1/2がわかったことから、今度は日本中にある神社仏閣に話を移すが、まず大前提として理解しておくべきポイントは、同一の神社であったとしても、1/2が分かれることがあるという問題じゃ」
『とおっしゃいますと?』
「日本の神社は、大きく分けると二つの系統となるが、それについては知っておろうな?」
青年は黙って一点を見つめ、おもむろに口を開く。
『伊勢神宮系と出雲大社系ということでしょうか?』
「さよう。天孫系の伊勢神宮の内宮は天照大神(外宮は豊受大神1)を主神としているから1、国を譲った国津神系の須佐之男命、その子孫で出雲大社の祭神である大国主大神、そして大国主の次男で諏訪大社の祭神である建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)が2であることから、それらの神々を祭神としている神社もすべてが2、というのが基本的な分類となる。各々の分社/末社も基本的に主神が同じであることから、以下同文と考えてよい」
『基本的ということは、例外もあるわけなのですね?』
「その通りじゃ」
青年の質問に、陰陽師が首肯する。
「稲荷神社と八幡宮を例に取ってそのあたりのことを説明すると、次の様になる」
『稲荷神社は、赤い鳥居とおキツネ様がいるあの神社のことですね』
青年の回答に小さく頷くと、陰陽師が言葉を続けた。
「たしかにその通りじゃが、おぬしはあそこの神様が誰か知っておるか?」
『稲荷神社を分霊した祠によく祀られている、陶器のおキツネ様ではないのでしょうか』
「なるほど。おぬしでもそのくらいの認識なのじゃな」
陰陽師が、小さく首を左右に振りながら、ため息をつく。
『え、違うのですか? 稲荷神社の神様は、おキツネ様ではないと?」
「稲荷神社の主祭神は、宇迦之御魂神(ウカノミタマ) という女の神様じゃ」
『え、そうなのですか。初めて聞きました。で、その神様はどのような由来の神様なのでしょう?』
「由来については諸説ある。たとえば、古事記によると、須佐之男命(スサノオノミコト)と神大市比売命(カムオオイチヒメ)の御子として、兄の大年神(オオトシノカミ)とともに生まれたと記されておる。一方、日本書紀では倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)と表記され、国生みに際して伊邪那美神(イザナミノミコト)から生まれた粟島と同神じゃと考えられておる」
『なるほど』
「ただし、稲荷神社の主祭神としてウカノミタマが文献に登場するのは室町時代以降のことで、伊勢神宮ではそれより早くから、御倉神(ミクラノカミ)として祀られておったことから、伊勢神宮外宮の祭神である豊受大神と同神とする説も根強い。さらには、日本書紀において、神武天皇が戦場で祭祀をした際に、供物の干飯に厳稲魂女(イツノウカノメ)という神名をつけたとあって、本居宣長などは“古事記伝”で、この神こそがウカノミタマだと言っておる」
「ウカノミタマは宇迦之御魂神と倉稲魂命と二つの漢字名があるのですね。ややこしい・・・。それで、先生は、どの説が正しいとお考えですか?」
「今の登場した神々を列挙すると、須佐之男命(スサノオノミコト)、神大市比売命(カムオオイチヒメ)、大年神(おおとしのかみ)、伊邪那美神(イザナミノミコト)は2となり、倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)、豊受大神、厳稲魂女(イツノウカノメ)がそれぞれ1となる。それ故、ワシがみる限り、稲荷神社の主神はあくまでも、女神で1なので、宇迦之御魂神は後者の神々の集合体ということになるな」
『なるほど。そして、稲荷神社は1の神社だと』
「ところが、話はそう単純ではなく、少なくとも現在の伏見稲荷を中心とした稲荷神社はすべて2となる」
『え、そうなのですか?』
納得がいかないという顔をしている青年に、陰陽師は話を続けた。
「おぬしも神様だと思っておったおキツネ様じゃが、あのような存在のことを眷族と呼ぶことは以前に説明した通りじゃが、眷属とは、本来、神の使者を意味し、その多くは神と関連する想像上の動物を含めた動物の姿を持っておるのじゃが、神道では、蛇や狐、龍などがそれにあたる。また、彼らには神の意志を伝えることがあるため、神使と呼ばれたりもしておるが、いずれにしても、人間を越える力を持つため、“眷属神”と呼ばれ、眷属神そのものを祀る神社まで存在しておる」
『なるほど』
「さらに、大乗仏典では、仏に対する様々な菩薩などを指すこともあり、薬師仏における十二神将や不動明王の八大童子、千手観音の二十八部衆なども、眷族ということができるわけじゃな。日本では本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)の発生とともに日本古来の神祇が仏や菩薩として再編され、本地仏を持つ親神と大きな神格に付属する小さな神格である眷属神に分類したわけじゃな。代表的なものとしては、王子神社などが有名じゃ」
陰陽師の解説に、大きく頷く青年。
『話を聞く限り、眷属を祀っている神社は多そうですね』
「うむ。その中でもキツネを眷族とする稲荷神社と、龍を眷族とする諏訪大社がその双璧じゃろうな」
「了解しました」
小さく頷く青年に、陰陽師は言葉を続けた。
「さて、今度は八幡宮に話は移るが、八幡宮は全国に4400社もあり、総本社は宇佐神宮1となっておる」
『4400も! どおりで、いろんな土地で八幡宮の名前を見かけるわけですね』
「また、宇佐神宮は石清水八幡宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一つとされており、神仏分離以前は神宮寺の弥勒寺と一体のものとして、正式には宇佐八幡宮弥勒寺と称していた。現在でも通称として宇佐八幡とも呼ばれる」
『話の流れから察するに、同じ八幡宮というくくりであっても、主祭神によって1/2が異なるのでしょうか?』
青年の言葉に陰陽師はうなずいて見せ、紙に主祭神の名前と1/2を記していく。
宇佐神宮1
一之御殿:八幡大神 2(はちまんおおかみ) – 誉田別尊2(応神天皇)とする
二之御殿:比売大神 1(ひめのおおかみ) – 宗像三女神1(多岐津姫命・市杵島姫命・多紀理姫命)とする
三之御殿:神功皇后 2(じんぐうこうごう) – 別名として息長足姫命2ともいう
しばらく紙を黙読したのち、青年は口を開く。
『二之御殿だけ1ですが、これは主祭神が比売大神1だからでしょうか?』
「さよう。よって、全国的に比売大神1のいない八幡神社の末社の中には2の神社が存在するわけじゃな」
『なるほど。ですが、メインと思われる一之御殿の主祭神は2なのに、どうして宇佐神宮全体は1なのでしょうか?』
「そのあたりの話を始めると長くなるので今回は割愛させてもらうが、このあたりに記紀がかならずしも史実を伝えているわけではないことが垣間見えるわけじゃな」
青年は腕を組み、唸り声をあげた。
「ちなみに、応神天皇は神功皇后の息子と言われておるが、両者は共に実在しないとも言われており、詳細は以下のようになっておる」
神宮皇后2(成務天皇40年 – 神功皇后69年4月17日)は、日本の第14代天皇である仲哀天皇の、皇后。
初めての摂政(在位:神功皇后元年10月2日 – 神功皇后69年4月17日)とされる。
さらに明治時代までは一部史書で第15代天皇、初の女帝(女性天皇)とされたが、大正15年の皇統譜より正式に歴代天皇から外された。
『日本書紀』では仲哀天皇崩御から応神天皇即位まで約70年間ヤマト王権に君臨したとするが、その約70年間は天皇不在ということになるが、実際には実在しない。また、父は開化天皇玄孫・息長宿禰王で、母は渡来人の新羅王子天日矛(あめのひぼこ)裔・葛城高顙媛。
仲哀天皇2年、1月に立后。天皇の熊襲征伐に随伴する。仲哀天皇9年2月の天皇崩御に際して遺志を継ぎ、3月に熊襲征伐を達成する。同年10月、海を越えて新羅へ攻め込み百済、高麗をも服属させる(三韓征伐)。12月、天皇の遺児である誉田別尊を出産。翌年、誉田別尊の異母兄である香坂皇子、忍熊皇子を退けて凱旋帰国。この2皇子の母は仲哀天皇の正妻であり、神功はクーデターを起こしたことになる。
クーデターの成功により神功は皇太后摂政となり、誉田別尊を太子とした。誉田別尊が即位するまで政事を執り行い聖母(しょうも)とも呼ばれる。一部の史書では第15代天皇で初の女帝とされている。摂政69年目に崩御。要は、スサノオノミコト同様、(存在したとしても)朝鮮人(を何等か脚色した人物)と思われる。
なお、朝鮮側の史書には、このような記述は一切存在しない。
その息子の誉田別尊2は、応神天皇と同一とされる。また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)と称され、神社内に神宮寺が作られた。
『神功皇后も須佐之男命も、過去に実在した朝鮮からの渡来人の誰か、という一面を持っているのですか? 神様として別次元の存在かと思っていましたが、地球人の祖先として捉えると、なんだか親近感が湧いてきます』
目を見張る青年を見、陰陽師は笑いながら口を開く。
「先ほども言ったように、大昔のメソポタミアから始まる話なわけじゃから、ベースは我々と同じ人間なのじゃよ」
『と言うことは、神話の中には奇跡を起こすような話がありますが、あれも実際に人間がやっていたのでしょうか?』
「ああいった話はワシから言わせれば漫画の話であって、過去の人物を権威づけるために後世の人間が捏造/誇張したと考えた方が実相に沿っておるじゃろうな」
小さく笑いながら言う陰陽師に対し、青年は納得顔で何度もうなずく。
『いろんな国の神話において、神様も人間臭い一面があるなあと思っていましたが、結局はいわゆる神様ではなく、我々と同じ人間だったのですね』
崇めていた存在が自分たちと同じ人間だと知った途端、神様への扱いが少し雑になる青年だった。
陰陽師は湯呑みに注がれていたお茶を一口飲んでから、再び口を開く。
「同じ理由で、八坂神社にも注意が必要じゃ。八坂神社はもともと “牛頭天神社”や“祇園天神社”と呼ばれており、主祭神を中の座が牛頭天王1、東の座が八王子1、西の座が頗梨采女(はりさいにょ・ばりうねめ)1としていたのじゃが、明治元年の神仏分離令によって須佐之男命2とその妻、櫛名田比売(クシナダヒメ)2とその子供たちである“八柱御子神”2に変わってしまったわけなのじゃよ」
『その場合、主祭神が2に変わったわけですから、八坂神社も2になるのでしょうか?』
青年は首をかしげながら言い、陰陽師は小さく首を振ってから口を開く。
「このあたりは神々の力関係の問題となるのじゃろうが、少なくとも八坂神社の場合は、主祭神が変わっても、変わらず1のままとなる。末社である疫神社の祭神は蘇民将来となっているものの、大きな意味では、昔と変わらず牛頭天王が祀られておるわけじゃな」
『人間の事情で主祭神を変えたとしても、末社とはいえ、元々の主祭神がいるかぎり1/2が変わらない場合も存在すると』
青年は何度もうなずいて納得の意を示し、続ける。
『それにしても、牛頭天王から須佐之男命というように、なぜ1/2が異なる神が主祭神になってしまったのでしょうか?』
「一見、その二神は関係がないように思えるが、実はそうではない。この神社の伝説として、高句麗から伊利之(いりし)という人物が使節として来日するにあたり、新羅の牛頭山から須佐之男命を勧請したという逸話が残されている」
『そうした逸話も根拠の一つとして、先ほどの須佐之男命が朝鮮人としての一面を持っていると言えるのですね!』
興奮気味に言う青年を横目に、陰陽師は続ける。
「他にも、この疫神社の主祭神は蘇民将来となっておるが、そなたは“蘇民将来”の伝説を知っておるかな?」
軽く引きつった笑みを浮かべながら、青年は首を横に振る。青年の様子を見、陰陽師は小さくため息をついてから説明する。
「蘇民将来の一般的な伝説によると、北の海にいる武塔天神という神様が、南の海にいる女性と結婚するために旅をする途中で、将来の兄である巨旦将来に宿を乞うたところ、彼は裕福であったにもかかわらず、宿を貸すことを拒んだ。一方、弟の将来の方は、貧しかったにも関わらず、武塔天神を歓待すると、できるかぎりの饗応をした。それをよろこんだ武塔天神は、数年後、八人の子供を連れてふたたび蘇民将来の家を訪ね、“恩返し”として、蘇民の家族の腰に茅の輪をつけさせたのだが、その晩激しい疫病があたりを襲い、蘇民将来の家族以外の者はみんな死んでしまう。その翌日、武塔天神は“我はスサノオなり”と名乗るとともに、“これからも疫病が発生した際には、我らは蘇民将来の子孫である、と名乗ったうえで、腰に茅の輪をつければ決して病気になることはない”、と言い残したそうじゃ」
『さすがにそれは創作のような印象を受けますが、実際のところはどうなのでしょうか?』
「今の話は、“備後国風土記・逸文”という書物に載っており、面白いことに、“この話は祇園社の本縁である”、つまり、いくつかある同じような縁起の中で一番真実を伝えているものだ、という説明までされているのじゃよ」
『となると、だいぶ信憑性がありそうですね』
青年の言葉に陰陽師はうなずいて見せ、説明を続ける。
「また、東北大学に“祇園牛頭天王御縁起”という文書が所蔵されており、そこではスサノオではなく牛頭天王が主人公となっているだけで、先ほどの内容とほぼ同じじゃ」
『それで、須佐之男命と牛頭天王はほぼ同じ存在とみなされ、八坂神社で新旧主祭神として扱われている理由はわかりましたが、他にも1/2が異なる神が混ざってしまったケースはあるのでしょうか?』
眉間にシワを寄せて答える青年。陰陽師はかすかに目を伏せ、口を開く。
「そのあたりの問題は、“竹内文書”等の偽書含め、記紀の記実に改竄があったり、社歴に捏造があったことから、大いに考えられる。さらに言うと、“記紀”が真っ赤な偽物であること、たとえば猿田彦(これは個人の名前ではなく世襲名)が長い時間をかけて北九州(博多)から、出雲、そして伊勢・熊野(一部千葉・茨木)へと転々と場所を変える過程で、そもそもの(現在の神社の主神の説明とはまったく関係ない)地元の神を蹴散らしたり、習合したり、後から追いかけてきた他の勢力の神々と習合したこと、あるいは末社を全国に広げていく過程で先住民(もちろんシルクロードを渡ってきた渡来人の)神々・先祖と習合したことも考えると、なかなか深刻と言えよう」
『なるほど。勝者が歴史を作ると言われるように、やはり、時々の為政者の都合で歴史が改竄されたなどということもあるのでしょうか?』
「もちろんじゃとも。平安時代から江戸・明治に至る神仏習合・廃仏毀釈のどさくさ等で、当時の権力者たちによって、幾多の改竄がなされたという可能性は大いに考えられるじゃろうな」
『そうした改竄が起こると、どのような問題が起きるのでしょうか?』
「それに関して説明するにあたり、少し話が変わるが、そなたは人間が善悪を判断する時、何を基準にしているか知っておるかな?」
青年は腕を組んでしばらく考えたのち、口を開く。
『法律でしょうか?』
「もちろん法律もそうじゃろう。加えて、道徳も善悪の重要な基準となることじゃろう。が、そのどちらもが過去の“先例”を基に決定される以上、“歴史”こそが決定的な価値判断の基準となるのじゃ。別の言い方をすると、政治家たちが歴史に“原因と結果の法則”を求めたり、宗教家が“神の教訓と導き”を求めるといったように、歴史とは過去の教訓によって現在と未来を導くものなのじゃ。それ故、“歴史を失う”、“歴史を捏造する”ということは、価値の体系を偽造することになり、神の意志、さらには特定の神の素性をも変えてしまうことにもなりかねないわけじゃな」
『ご利益があるなら神様が混在したくらいで大した事はない、とも考えることもできますが、改竄が及ぼす影響を考えると、そのあたりは決して蔑(ないがし)ろにすることのできない重大な問題なわけですね。先生とお会いしていなければ、正しい歴史を知ることはできなかったと思います』
そう言い、青年は深く頭を下げた。陰陽師は微笑みながらうなずいて答える。
「そなたのように、正しい歴史を知る人が増えることはワシにとってもうれしいことじゃ」
青年は再び小さく頭を下げ、口を開く。
『話が戻ってしまいますが、友人や家族と初詣に行くなど、自分と相性がよくない場所へ参拝せざるを得ない場合はどうしたらいいのでしょうか?』
「そのようなケースは、感謝や拝むといったことは一切せず、あくまで神社仏閣を歴史的な建造物として楽しむことじゃ」
『なるほど。建物の歴史や自然の美しさに注目すればいいと』
「パワースポットと話題になっているから、インスタ映えするから、良縁が欲しいからといった理由で参拝するのは個人の自由じゃが、頭の数字が違う神社仏閣を選んでしまうと、むしろ運気が下がってしまう可能性が高いから、そのあたりにはじゅうぶん気をつけてな。というのも、シュメールの時代から、頭1の農耕民族の土地を頭2の狩猟民族が襲撃する、という歴史が繰り返されてきたわけじゃから、頭1の人物が2の神社仏閣に参拝するということは、農耕民族が狩猟民族の拠点をわざわざ襲撃されに行くようなものと考えた方がいいじゃろうな」
青年は両手を上げ、苦笑する。そんな青年の様子を見、陰陽師も小さく笑う。
『ところで、お札やお守りはグッズの霊障(※第15話参照)が憑きやすいとのことでしたから、その手のものはできることであれば買わない方がいいのでしょうか?』
「そうは言っても親御さんや友人がプレゼントすることもあるじゃろうから、そのあたりは難しい問題じゃな」
『キーホルダーやアクセサリーの一つみたいな軽い感覚で扱っても駄目なのでしょうか?』
「そのあたりがギリギリの線なのじゃろうな。ただし、それらをコレクションにしたりしておると、それらがさらなる霊障を集め、結果、部屋にある一般の品々にも霊障が憑く可能性が極めて高くなるので、できることであれば、それらを身の回りに置かぬ方がいいのではあるが」
淡々と話す陰陽師に対し、青年は表情をひきつらせながら口を開く。
『おっしゃるとおり、どんどん運気が落ちていきそうですね。だから、お札やお守りは毎年新年に旧年のものを納める風習があるのでしょうか?』
「たしかに、そういった面もあるじゃろうが、所有者が自分の念に気をつけていたとしても、他者から様々な念を拾ったりしていると一年経たずにそれらが霊障の巣となることもあるから、注意が必要じゃし、いつも話しておるように、霊障に距離は関係がないので、祓いもせずに霊障を持ったグッズを捨てたりすると、それが思わぬ形で帰ってくることがあるから、合わせて注意が必要じゃろうな」
『なるほど。これからは、お札やお守りを納める前に、霊障が憑いていないか鑑定を依頼するようにします。霊障が憑いていたのに処分してしまって、さらに増幅して戻ってこられてはたまったものではありませんで・・・』
青年の言葉を聞き、陰陽師は満足そうにうなずいてから、口を開く。
「あとは、霊媒体質のスコアが高い人物は、参拝客の人混みに紛れるだけで心身が不調になりやすいことから、特に初詣などは参拝客が少なくなってからするようにの」
『そうですね。初詣は年が明けてから最初の参拝のことを言うようですし、半月ほど経って参拝客が減ってからでもいいわけですからね』
「それがよかろう。さて」
陰陽師は時計を見、青年もスマートフォンで時刻を確認する。
『あっという間に終電に近い時間になってしまいました。本日も貴重なお話をありがとうございました。神社を参拝する機会はほとんどなくなるでしょうが、もしも参拝する時は事前に主祭神を調べて自分との相性を確認するようにします』
そう言い、青年は席を立って深々と頭を下げた。陰陽師はいつもの笑みで青年を見送る。
帰路の途中、神様と友達になるだの除霊の修行だのと、目についた神社仏閣を積極的に訪れていた過去の自分に対し、青年は苦笑しながら反省するのだった。