青年は思議していた。
福岡5歳児餓死事件についてである。
この事件は、半年以上に渡り、実母がママ友の言いなりになって三男に食事を与えないようにし続けた結果、彼が餓死してしまったものである。そして、彼を餓死させてしまった実母とママ友は、保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された。
わずか5歳の男児が命を落とすことはとても胸が痛む事件であるが、それ以前に、彼の実母がまるで洗脳されたかのようにママ友の言いなりになっていたことは、青年には尋常ではないように感じられた。ひょっとしたら、何らかの霊障が関係しているのかもしれない。
一人で考えても埒が明かないと思い、青年は陰陽師の元を訪れるのだった。
『先生、こんばんは。今日は“福岡5歳児餓死事件”について教えていただきたいと思い、お邪魔しました』
「ふむ。ちょっと前に、マスコミを騒がせた例の事件じゃな」
「はい、その件ですが、一応事件の経緯をご説明しておきます」
青年はスマートフォンで内容を確認しつつ、陰陽師に事件の経緯を話した。
『実母は三男が低栄養状態で動かなくなっても、ママ友の言いつけを守り、彼に食事を与えなかったようです。また、救急車を呼ぶ事態になっても、自らの意志で呼べず、ママ友の指示を仰ごうとしていたことは、尋常ではないと感じました』
「たしかに、この事件は、通常の殺人事件とはまた毛色が違う事件のようじゃな。して、その三人の情報はわかるかの?」
陰陽師にそう問われた青年は、スマートフォンの画面を見ながら、それぞれの名前や年齢を口にする。
陰陽師は青年の言葉に耳を傾けながら、紙に鑑定結果を書き記していく。
それぞれの属性表を一通り眺めた後、青年は口を開く。
『属性表を見る限り、しつけと称して食事を抜かれ、虐待を受けることは翔士郎くんの今世の宿題の一環であったのかもしれないとしても、今回のこの痛ましい事件は、赤堀容疑者にかかっている血脈の霊障の“5:一般・事件・加害者・死”の相が大きく作用したために、結果、死に至ってしまったと理解すべきなのでしょうか?』
「うむ。もちろん、ここまでの事態になるためにはほかにも様々な事情が複雑に絡み合っているのであろうが、各人の属性を見る限り、そのように考えるのが実相に一番近いかもしれんな」
そう言い、一つ頷いた後で、陰陽師が言葉を続ける。
「その証左として、三人が揃って“魂の属性7:唯物論者”であることが挙げられよう。以前(※第40話参照)にも説明したと思うが、魂の属性7の人物の場合、霊脈の先祖霊の霊障がない分、“魂の属性3:霊媒体質”の人物に比べ、血脈の先祖霊の霊障が色濃く顕在化する傾向が強い。また、霊脈先祖の霊障が今世の宿題に対してアゲインスト/逆接な“重し”、つまり、人生の方向性が今世の宿題と逆方向に働くのに対し、血脈先祖の霊障は、今世の宿題をさらに重篤化させるという機能を持つ」
『なるほど。霊脈先祖と血脈先祖の霊障とで、今世の宿題に対して顕在化する方向性が異なるケースがあり得るわけなのですね。そうしますと、“魂の属性3:霊媒体質”の人物には霊脈先祖と血脈先祖の霊障が両方かかっていることが多いので、彼らの場合は、今世の宿題に対し、霊障の影響が、かなり複雑なものになることも考えられるわけですね』
「その通りじゃ。して、今回のケースは、登場人物の全員が魂の属性7:唯物論者であることから、後者の典型例ということになる」
『なるほど』
陰陽師の説明に大きく頷いた後で、青年が言葉を続ける。
『翔士郎くんが重度の低栄養状態になっていた時に、赤堀容疑者が彼の様子を何度か確認しに来ていたようですが、その際、“暖かいからまだ大丈夫”などと考えずに、その時点で彼女が救急車を呼んでいれば、翔士郎くんは餓死せずに済んだわけですね』
「簡単に言うと、そういうことになるのじゃろうな」
苦々しい表情を浮かべる青年に対し、陰陽師は励ますように声をかける。
「もう一つ、三人の共通点として、全員の欄外の枝番が“7”と“9”であるというところに注目する必要がある。つまり、彼らを今世の宿題を果たすために一堂に会した舞台俳優と考えると、彼らは出逢うべくして出逢ったと言うこともできることになる」
『たしかに』
陰陽師の言葉を聞いた青年は、再び三人の属性表に目を通し、口を開く。
『今回のような事件が起きるためには、虐待をする役割の人間と虐待を受ける役割の人間が必要なのでしょうし、“性悪説”的な気質を持つ“7”と“9”という枝番を持つ人間が一堂に会したことは、“出逢いは必然”という法則を体現しているのだと思います』
青年の言葉に対し、黙ってうなずく陰陽師を見やり、青年は発言を続ける。
『ところで、翔士郎くんには血脈の霊障にも天命運にも“5:事件・被害者・死”の相がないようですが、彼は無事にあの世に帰還しているのでしょうか』
「確認しよう。少し待ちなさい」
青年が固唾を飲んで見守る中、陰陽師は鑑定を終え、口を開く。
「うむ、間違いなく、無事あの世に戻っておるようじゃ」
陰陽師の言葉を聞いた青年が、口を開く。
『それを踏まえてお聞きしたいのですが、どうして彼は無事あの世に戻ることができたのでしょう。血脈の霊障が、特に魂の属性7の人間には順接方向、つまり、今世の宿題が重篤化して働くのだとすると、赤堀容疑者が血脈先祖の霊障を持っていなければ、翔士郎くんはもっと長く生きられたのではないでしょうか?』
「中々いい質問じゃが、そのあたりの話は、思議の世界のみならず不可思議の世界の理屈が含まれておるゆえ論理的な説明は難しい、と同時に、仮説としての回答も複数考えられる。じゃが、今回彼が地縛霊化しなかった理由の最たるものは、一種の“相殺勘定”が起きたためと考えるのが実相に一番適しておるのじゃろうな」
『“相殺勘定”でしょうか』
訝し気にそう訊ね返す青年に、陰陽師が言葉を続ける。
「仮に彼の今までの生活が今世の宿題の一環だったとしても、今回赤堀容疑者が碇家に介入したことで、彼女の持つ血脈の霊障の“重し”が、翔士郎くんの宿題をより過酷なものにしてしまったことは間違いない。よって、今回の一件は、彼がこれから遭遇するであろう先々の宿題との間で、“相殺勘定”が起きるほどのインパクトを持っていたわけじゃな』
『つまり、彼は、今回の一件で想定外の過酷な宿題をこなしたため、後の宿題を免除されたわけですね。言い換えれば、彼の本来の寿命が仮に80歳だったとすると、本来なら残りの75年をかけてこなすはずだった今世の宿題を、この一件でわずか半年の期間に凝縮してこなしてしまったと』
「結論から言うと、そう言うことになる」
そう答える陰陽師の言葉に大きく頷いた後で、青年は言葉を続ける。
『ところで、今回の事件に関し、もう一つ気になっていることがあるのですが』
「と言うと?」
『赤堀容疑者個人のことです。彼女は、今回の事件以外にも、過去に金銭トラブルを度々起こし、身近な人々から相当なバッシングを受けてきたようなのですが、お聞きしたいのは、それらのトラブルも彼女の今世の宿題の一環なのかということです』
「具体的に、どういった金銭トラブルなのかな?」
陰陽師の問いに答えるべく、青年はスマートフォンを操作し、読み上げる。
『赤堀容疑者は、学生時代から虚言癖があり、最近になっても虚言癖のクレーマーとの理由で、周囲から嫌われていたようです。また、結婚に際し、元旦那から結婚式の費用を受け取っておきながらそれを式場に渡さなかったり、彼の名義で数百万円の借金をした上に、彼の銀行のキャッシュカードを持ったまま蒸発し、結果、離婚となったようです』
陰陽師が黙って耳を傾けているのを確認し、青年は言葉を続ける。
『また、碇さんに近づく際は、偽名を使ったり年齢を10歳近く偽っていたようです。そして、SNSの偽アカウントを作って旦那さんが浮気をしているように嘘情報を流し、浮気調査名目で現金や預金通帳を騙し取っていたこともわかっています。しかも、翔士郎くんの葬儀代は創価学会から出されたという理屈を使って、碇利恵さんが受け取った香典を、創価学会に渡したと嘘を言い、着服していたとも言われています』
「確か、創価学会では香典を持っていかない決まりがあったと記憶しておるが」
『はい。僕も学会員の知人からそう聞きました』
ぽつりと言った陰陽師の言葉に対し、青年は一つ頷いた後で、声を少し震わせながら言葉を続ける。
『赤堀容疑者の所業は、それだけにとどまらず、碇家の月20万円の生活保護費を合計1200万円ほど搾取していたようです』
「ほう、生活保護費までも、とな」
「それだけではありません。碇家の4人が赤堀容疑者から与えられたわずかな食料を分け合わざるをえない事態に追い込まれていたにもかかわらず、赤堀容疑者自身は自らの3人の子供たちには水泳やバレエをやらせたり、綺麗な服を着せていたとの情報もあります』
「赤堀恵美子の人運が9点満点中7点、仁が50点、陰陽五行に火の気質を持つことも考え合わせると、それらの所業も、たとえ彼女に血脈先祖の霊障の“14:人的トラブル”の相があったとしても、彼女の今世の宿題の一環なのじゃろう」
『今のお話に関連して一つ気になったのですが、赤堀容疑者の現在の夫は宗教家のようなのですが、碇利恵さんが洗脳されたような状態になったことと、何か関係があるのでしょうか?』
青年の問いを聞いた陰陽師は、指を小刻みに動かした後、鑑定結果を紙に書き足していく。
青年が属性表を見終える頃合いを見計らい、陰陽師は口を開く。
「魂の属性7:唯物論者である人物が宗教家を名乗ることに対しては、今さら特筆せぬが、どうやら、彼が赤堀容疑者に何らかの入れ知恵をした可能性はあるとしても、今回の事件には直接関係ないようじゃ」
『なるほど。それと、もう一つ思い出したのですが、創価学会員である赤堀容疑者は、碇さんも創価学会に入信させたようです。ひょっとして、碇さんを洗脳するにあたり、学会での上下関係も利用した可能性も考えられますが、二人が創価学会に入信することは、各々の今世の宿題の一環なのでしょうか?』
青年に問われた陰陽師は、指をかすかに動かしてから口を開く。
「いや。赤堀容疑者の夫同様、碇さんの洗脳に関しては、創価学会も無関係なようじゃ」
『わかりました。ところで、碇さんの元夫は、赤堀容疑者のせいで人生が台無しになったと言っていたようです。実際、碇利恵さんの場合、恋愛運が“3”と極端に低く、異性とのトラブルで悩むこと/トラブルを起こすことが今世の宿題の一環であることを考え合わせると、赤堀容疑者の嘘に惑わされたことを捨象したとしても、碇家の離婚は起こるべくして起こったのでしょうか?』
「二人の結婚の相性をみてみよう。少し待ちなさい」
陰陽師は指をかすかに動かした後、結果を紙に書き記した。
碇利恵さんからみて/利恵さんの元夫からみて B/B
『お互いにとってS(90点〜94点)以上の結婚が推奨(※第43話参照)とのことでしたが、お互いにとって“B”(60〜70点)ということは、今世の宿題を果たすパートナーとしては適していなかったと』
「双方にとって適しているとは言えない相性にも関わらず、二人が結婚にまで至ったのは、彼女の恋愛運の点数と血脈の霊障の合わせ技と思われる」
『と言うことは、“数奇な人生”を辿りやすい130回代の今世の碇利恵さんにとって、元夫と添い遂げることよりも、今回の事件に関わることの方が、優先されてしまったという事象も納得できます』
そう言い、何度もうなずく青年に対し、陰陽師が言葉をかける。
「そなたの見解に一つ付言しておくと、属性表には特に記載してはおらぬが、利恵さんの場合、同じ30回代の中でも、今世が33回目にあたることから、数奇な人生を歩む確率がさらに高かったという見方もできるわけじゃ」
『なるほど。下一桁の数字によって、宿題の傾向が変化することもあるわけですね』
新情報を知って興奮気味になった青年を片手で制し、陰陽師は説明を続ける。
「何度も同じ話をするが、“この世”が魂磨きの修行の場である以上、虐待を受けると知りながら、利恵さんの三男として翔士郎くんが生まれてきたことは、この世の道理なのじゃよ」
陰陽師の言葉を聞き、青年はしばらく黙考していたが、やがて口を開く。
『つまり、幼いうちに父親と離別し、今度は母親とも引き離されることも承知の上で、この世の宿題を果たすにあたり最適な環境を与えてくれる利恵さんを母親として選び、長男と次男が生まれてきたことも、同じ道理なのでしょうか?』
青年の問いに対し、黙ってうなずく陰陽師を見やり、青年は言葉を続ける。
『なるほど、それを聞いて安心しました。世間の常識からすれば、実の子を餓死させることは言語道断な行いなのでしょうが、“不可思議の世界”の基準でみれば、利恵さんは彼らにとって最適な母親だと考えられなくもないのですね』
「“子供は親を選べない”のではなく、“親を選ぶのは子供の方”という“不可思議”の世界の理屈からすれば、今回のような理不尽な出来事にもそれなりの意味があるということになるのじゃろうな」
そう言い、陰陽師は壁時計に視線を向ける。
それに気づいた青年も、スマートフォンで時間を確認する。
『もうこんな時間でしたか。今日も遅くまでありがとうございます』
そう言い、青年は席を立って深々と頭を下げた。
「今日もご苦労じゃったな。気をつけて帰るのじゃぞ」
陰陽師はいつもの笑みで手を振り、青年を見送った。
帰路の途中、青年は自分の家族のことを振り返っていた。
家庭における母親の役割はとても大きい。霊障がかかっていた過去の自分は、よく母親に対して悪態を吐いたり悲しませるようなこともしていた。
無用な重しが解消された今となっては、自分は母親を選んで産まれてきたことに納得でき、母親は母親なりに自分を育てるために最善を尽くしていたように感じられるようになった。
親子は互いの今世の宿題を果たすために必要不可欠な存在であり、無用な重しによって疎遠になっている親子が向き合えるよう、今世の宿題の話や先祖霊の奉納救霊祀りのことを伝えていこう。
そう青年は決意するのだった。