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  • 新千夜一夜物語 第28話:大量殺人事件と不動明王(後編)

    新千夜一夜物語 第28話:大量殺人事件と不動明王(後編)

    青年は思議していた。

    相模原施設殺傷事件の加害者である植松聖の、“意思疎通が十分にできない障碍者には人権がない”という主張についてである。
    事故などで後天的に障碍者となってしまう人物もいるが、生まれながらの障碍者がいる。
    障碍者と健常者とで、命の重さや今生の課題は異なるのだろうか?
    なぜ大量殺人事件が、起きるのだろうか?

    一人で考えても埒が開かないと思い、再び青年は陰陽師の元を訪れた。

    『先生、こんばんは。本日も大量殺人事件について教えていただけませんか?』

    「もちろんかまわんが、今日は具体的にはどういった話かな?」

    青年は、相模原施設殺傷事件の内容と植松被告の主張を陰陽師に伝える。

    「なるほど。で、そなたは植松被告の“意思疎通が十分にできない障碍者には人権がない”という主張に対して、どう思う?」

    陰陽師にそう問われ、青年は腕を組んで黙考する。
    湯呑みに注がれた茶を飲む陰陽師に見守られ、やがて青年は口を開いた。

    『難しいテーマですが、もちろん、彼の主張に全面的に賛成することはできません。我々は魂磨きのために400回の輪廻転生を繰り返しているわけですから、障碍者であっても1回の人生には変わりはないと考えますので』

    「うむ。今生の魂磨きのために彼らが障碍のある体を選んであえて転生してきている以上、障碍者の命の重みと健常者のそれが等しいことは自明の理なわけじゃから、そなたの見解は基本的に間違っておらぬと思うぞ」

    『とすれば、まだまだ天命が残っていたのでしょうから、植松被告の手にかけられた方々には同情してしまいます』

    そう言って顔を伏せる青年に対し、陰陽師は諭すように言う。

    「そなたの気持ちはわからんでもないが、その点に関しては、かならずしもそなたに同意できん。と言うのも、以前も話したように、3.11の被災者の大多数があのような大災害で命を落としたにもかかわらず、あらかじめそれを納得した上でこの世に転生してきておることは、地縛霊化した人物がまったくと言っていいほどいないことからも明らかなんじゃが、今回の事件でも地縛霊化した人物は誰一人おらんところをみると、事情は同じなのじゃろう」

    陰陽師の言葉に対し、青年は腕を組み、眉間にシワを寄せながら口を開く。

    『つまり、あの大量殺人事件が起こるべくして起きたと?』

    「うむ、様々な状況証拠からみて、そういうことになるじゃろうな」

    『ということは、植松被告のように、加害者役を担うことが今世の役目となる人物もいるということなのですね?』

    「その通りじゃ」

    『 “この世”は魂磨きのための修行の場ですから、“地上天国”が実現しない、実現することに意味はないとわかっていても、凶悪犯罪が減ってくれたらと願わずにはいられません』

    苦渋の表情で言う青年に対し、陰陽師は微笑みながら口を開く。

    「以前(※第10話参照)、400回の輪廻転生が終わった後の世界について説明したが、この世での魂磨きの修行を終えた魂には、観音のように他者を助け、導く役割を持つ存在がいる一方、不動明王のように他者を懲らしめる役割を持つ存在もいる。それ故、たとえこの世の物差しでは悪と判断される事件を起こしたとしても、永遠の世では必要な役割というのが、我々人間の“思議”で考えうる最良の答えかもしれん」

    陰陽師は湯呑みの茶を一口飲むと、言葉を続けた。

    「“罪を憎んで人を憎まず”という言葉があるが、あれなどはこのあたりの事情を実にうまく表現していると思う。もし我々が彼と同じ魂を持ってこの世に転生したとして、他人には理解できない“使命感”みたいなものが我々を包み込み、あのような犯罪に走らせる可能性は決して否定できぬからな」

    『ということは、彼が受けた教育や、これまでの体験からの学びだけであのような行動を取ったわけではないと』

    「それだけではない。もし我々の意思や行動が自分自身の意志だけではなく、この世の目に見えぬ力に触発される性質のものであるとすれば、あのような行動をとった本人自身も、なぜあのような行動に及んだのか、本当の理由は理解していないのかしれんからな」

    『なるほど』

    禅問答の様な陰陽師の言葉をしばし自分の中で咀嚼するように口をつぐんでいた青年。やがて、顔を上げると、口を開いた。

    『仮に、今回の事件が、植松被告本人の側から考えてそうだとして、このような悲惨な事件が、周りの人々に何らかの学びを与えるきっかけにもなる可能性もあるのでしょうか?』

    「もちろんじゃとも」

    青年の質問に、一つ頷いた後で、陰陽師が言葉を続けた。

    「まず、彼の家族じゃが、彼がこのような事件を犯したことで、大きな変化を余儀なくされる。そのあたりが彼を中心とした一連の人々が共通の舞台俳優であるという根拠ともなっているわけじゃが」

    『なるほど』

    「逆に被害にあった人々を中心に考えると、輪廻転生が“双六(すごろく)”のようなものであることと、また被害者の方々が地縛霊化していないことも考え合わせると、今世での宿題を終えた人間はいち早くあの世に戻り、次の一コマに進むための準備を始めるという“あの世とこの世の仕組み”に類する問題が介在していたことも疑う余地はないと思う」

    『つまり、殺された方々は、すでに今世の宿題を終え、適正な期間にあの世に帰るために、あの事件に遭遇したと』

    「そこまではっきりと断定できないとしても、処々の状況を考え合わせるかぎり、その可能性は極めて高いじゃろうな」

    『なるほど。捉え方によっては、植松被告のおかげで次のステップに進めた、と言うこともできるのですね。そのあたりの話になると、正に“不可思議”の世界の話です』

    青年の言葉に大きく頷きながら、陰陽師が続けた。

    「さらに言えば、犠牲者になった家族も今回の“悲劇”に登場する舞台俳優たちで、彼らは彼らで、この悲惨な事件を通して間違いなく何かを学んでいるはずじゃ」

    『そう言われてみれば、たしかに』

    青年は小さく唸りながら、首を縦に振った。そして、物思いにふけるように、青年はしばらく黙ったままでいた。
    やがて、青年は感慨深げに言った。

    『いずれにしても、あの悲惨な事件には、これほど多くの人たちが関わっているわけですね』

    「さよう。さらに、この事件に遭遇した我々のような傍観者の存在まで当事者に含めるのであれば、加害者の行動に感情的な判断を下すだけではなく、今回の事件から自分は何を感じたのか、何を学ぶのか、それらを糧としてどう生きていくのかといったことを考えてみることが肝要だとワシは思う」

    『おっしゃる通りだと思います。僕などはまだまだ世間の倫理規範に基づいて物事を判断し、物事を善悪で判断してしまいがちですが、そうではなく、もう少し大きな視野で物事の本質を見極め、それを自分の人生に活かすことが大事なのですね』

    「我々は、聖人君主ではない。じゃから、時には過ちを犯すこともあるじゃろう。そんなとき、一つの指針となると思われるのが“脱社会”的な生き方なのじゃ」

    『“脱社会”的な生き方、それはどのような生き方なのでしょう?』

    そう訊ねる青年に、陰陽師は説明を続ける。

    「前にも説明したと思うが、社会的責任、愛する家族までを捨てて世捨人となることを勧めたブッダの教えは、決して“社会の規範”に則ったものではなかった。しかし、彼は決して、“反社会”的になることを説いたのではなく、“社会の規範”を超越した“脱社会”的存在になることを目指せと説いたわけじゃが、この“脱社会”的な生き方こそが、時には偏狭となる“社会の規範”を超越し、常に第三者的なものの見方、大局的なものの見方を持って生きる指針、つまり“如実知見”になるわけじゃ。そして、そのような生き方こそが、結果として、“修行の場”であるこの世での正しい生き方となることじゃろう」

    『自らの宿題を果たすためにも、“反社会”的になるのではなく“脱社会”的になることを目指せ、ということですね、よくわかりました』

    そう言う青年に対し、陰陽師は満足そうに微笑みながらうなずく。
    ふと、青年はスマートフォンで現在時刻を確認する。

    『今日も遅くまでありがとうございます』

    そう言い、青年は席を立って深々と頭を下げた。

    「気をつけて帰るのじゃぞ」

    陰陽師はいつもの笑みで手を振り、青年を見送る。

    帰路の途中、青年は過去の人生を振り返っていた。ふと蘇る思い出に対し、善悪の判断や感情的な反応をするのではなく、なぜあの出来事が起きたのか、あの出来事が自分の人生にどのような影響を及ぼしたのかといった、大局的見地でもって振り返ることができた。
    そして、これから起こる日々の出来事に対し、冷静に観察して不動心で対応しようと決意を新たにするのだった。

     

     

     

     

     

     

     

    帰宅後、青年の電話に陰陽師からの着信があった。

    「まだ起きておったか?」

    『はい。何かありましたか?』

    「こんな時間に電話をかけて悪いとは思ったが、植松被告の主張に対して、どうしても補足をしておきたいことがあって連絡をさせてもらった」

    そこでいったん言葉を切った陰陽師が、青年におもむろに訊ねかけた。

    「ところで、そなたは“楢山節考”という小説・映画について、何か知っておるかな?」

    思いがけぬ質問に戸惑いながら、青年はとっさに断片的な記憶を拾い集め、口を開く。

    『実際の映画はまだ観たことはありませんが、たしか、食料が不足していた昔の日本において、口減らしのために高齢者を真冬の山に捨てに行く話だったかと』

    「そなたの記憶に若干の補足をしておくと、舞台となる東北地方の山村では70歳になった老人を鳥葬する山へ息子が背負って捨てに行くという因習があった。で、主人公は母親のことを想い、少しでも母親を捨てに行く日を遅らせようとするのじゃが、曾孫が産まれることを契機として、母親は家計のことを考え、丈夫だった歯を自ら折って食べ物を食べられない状態にしてしまう。つまり、そうすることによって抵抗する息子に決断を迫ったわけじゃ」

    『なるほど。なんだか、胸が痛む話です』

    「主人公の母子に関してはこのような感動的な筋立て話が進む一方で、主人公は母親を置いて下山する途中、一組の親子を見かけることになる」

    『下山する途中ということは、母親を山の中に置き去りにして戻る途中ということですよね?』

    「さよう。主人公が帰り道に遭遇したもう一組の親子は、村一番のケチという設定で、父親は70歳を過ぎても“楢山まいり”を拒否しており、最期は実の息子に無理やり連れられ、谷へ突き落とされてしまう」

    『なるほど。究極の親子関係が如実に現れるストーリーなのですね・・・』

    「“楢山節考”は棄老伝説をベースにしていることから、そのどこまでが真実だったかは定かではないものの、そのような民話が残されている以上、似た様な慣習が長期間に渡り存在していたことだけは間違いない事実であるし、これらの伝承の本質は、全体が生き残るために、時には脆弱な一部を切り捨ててきたという厳然としたルールが存在していたというところにある」

    『たしかに、動物の世界でも、たとえ、かたわでなかったとしても、脆弱な生まれの個体は、格好の標的とされてしまうのでしょうし』

    「この全体と個という問題は、今回の新型コロナ騒ぎであらためてクローズアップされた人類普遍の問題なのじゃが、より多くの者が生き延びるために、個人の生命や権利をどう考えるべきなのかという、まさに哲学的な命題を含んだ大問題なのじゃよ」

    『つまり、健常者でもまともに生きられない場合に、非健常者をどう扱うべきかという話ですね』

    「さよう。それがいいことか悪いことかはともかく、戦前までは、奇形児は生まれた瞬間に殺されていたわけじゃし、攻撃性のある精神障碍者は、座敷の奥に閉じ込めたりしていたという事実もある。さらに言えば、貧しい家では、生まれたばかりの赤子を密かに間引いていたという話も残っているくらいじゃからの」

    『なるほど、ほんの少し前までは、そんなことが横行していたのですね』

    「それだけではない。1961(昭和33年)年に国民健康保険法が改正され,国民皆保険体制が確立されるまでは、短期間で死に至る病ならまだしも、糖尿病や心臓病などで一命をとりとめ、ずるずると生き永らえてしまった場合、高額な医療費のために一族が潰れてしまうことも決してめずらしいことではなかったんじゃ」

    『今では健康保険制度を当たり前と思っていますが、当時の医療は現代の常識からは想像ができないくらい高額だったわけですね』

    青年は、電話越しに一つ頷いた後で、言葉を続ける。

    『どこで読んだ記事かは忘れてしまいましたが、植松被告は“保護者の疲れ切った表情、施設で働いている職員の生気の抜けた瞳。障碍者は車椅子に一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し、保護者が絶縁状態にあることも珍しくない”と言っていたようなのですが、“介護施設は姥捨山”と言われる所以も、今のお話を聞いているとよくわかる気がします。たとえ偏狭な常識だったとしても、彼からすれば、車椅子に一生縛られている障碍者の“存在理由”がおそらく理解できなかったというか、看破できなかったのだと思います』

    「たしかに処々の事情も踏まえるかぎり、植松被告の主張は、正しいとまでは言わんが間違っているとも言い切れない側面があることも、また事実じゃろう」

    『ということは、時代が違えば彼の主張は正論にもなり得たのでしょうか?』

    「たとえば、今回の新型コロナウィルスで全人類の半数近くが死に絶えるようなことでも起これば、あるいはそうなるかも知れんな」

    『つまり、そのような非常事態の中では、人類が築き上げてきた“倫理規範”よりも、自然界における“弱肉強食”のような理論が先に立ってしまうと』

    「まあ、そういうことじゃな」

    一瞬の沈黙ののち、ふたたび、電話口から陰陽師の声が響いた。

    「ところで、そなたは植松被告が法廷で“最後にひとつだけ”と言ったことを知っておるかな?」

    『はい。ただ、裁判長に認められず、発言できなかったと理解していますが』

    「ネットの記事によると、あの時発言したかった最後の一言は、“大麻の合法化“だった、と裁判後、留置場を訪れた新聞記者に彼が語ったそうじゃ」

    『そう言えば、彼は検査で大麻の陽性反応が出ていたものの、そのために刑事責任を問えない心理状態ではなかった、という報道をどこかで読んだ記憶があります』

    そこでいったん言葉を切った青年は、あらためて陰陽師に問いかけた。

    『ところで先生は、大麻に対してどういう意見をお持ちですか?』

    「と言うと?」

    『僕としては、ネガティヴなイメージが多い大麻ですが、用途を見る限りメリットも多い気がしているのですが』

    「もちろん、危険性が高いLSDのような人工ドラッグとは区別することが前提となるが、大麻に関しては、すでに多くの国で医療用の使用が認められておるし、オランダのように嗜好用として認められている国さえあることを考え合わせると、彼の主張は単に時代がちと早すぎただけと言えなくもないじゃろうな」

    しばらく逡巡した後、青年は口を開いた。

    『そう言えば、彼は頭が1で“枝番”も1で、さらに大局的見地が90と高いことから、単純に悪や誤りとは言い切れない主張ではないかと思います。大麻は、神道における神事の重要なアイテムであったと同時に、昔の日本人の生活と関わりがあった植物と聞いたこともあります。そのような経緯からも、彼の主張はあながち間違っていないのではないかと』

    「現在、アメリカでも、アラスカ州、ワシントン州、オレゴン州、コロラド州、メイン州、カリフォルニア州、マサチューセッツ州、ネバダ州、バーモント州、ミシガン州、イリノイ州の11州が嗜好品として、40州以上がマリファナを医療で使用することを認めておるわけじゃから、ひょっとしたら、今回あらためてその有害性がクローズアップされたタバコの代わりに、想像より早く、日本で合法化されるかもしれんな。また、日々現出する、無差別殺人、大量殺戮など一見凄惨な犯罪も、そのような犯罪が存在することで我々が様々な学びが可能となる理由から、そのような犯罪者の身に罪を負わせて一件落着という“現行の法律”が再考される時期が、いつかは来るはずじゃ」

    『なるほど。彼は死刑になっても悔いはないと言っていますから、長期的に見て後の時代のスタンダードになることを見越して、自らの命をかけて社会に問いかけたという見方もできるわけですね』

    「さよう。その時々の価値観を無視するわけにはいかぬとしても、そうした価値観に捉われることなく、日常の出来事とそれらが人類全体に及ぼす影響について、観察できるようにそなたも修行することじゃ」

    『かしこまりました。日々、精進します』

    「その意気じゃ。夜分遅くにすまなかったの」

    その言葉を最後に、電話は切れた。

  • 天命と転生回数②

    新千夜一夜物語第10話:天命と転生回数

    『今の時代、科学やITといった理系の分野の方が重要視されている気がしますが、200回以上の文系の人が世の中の影響に与えている分野というものは具体的にどのようなものがあるのでしょうか?』

    「もちろん、200回以上の人物にも一割くらいは数学者や医者といった理学系もおるわけじゃが、スポーツ選手・芸能人・芸術家などは当然のこととして、面白いのは板前やコックといった、いわゆる料理人じゃ。彼らは先程話した2(3)-3という例外を除き、皆2(7)-3という大山に位置しておる。三ツ星レストランのシェフは言うに及ばず、そこら辺にある大衆食堂のコックも皆この属性を持っているわけじゃな」

    『なるほど』

    「料理などは女の仕事ぐらいに思っておるかもしれんが、こと職業となると、動植物の尊い生命をいただくことになる食を司るということは、実は、非常に大事な、そしてとてもレベルが高い職業というわけじゃな」

    『確かに、料理人は文系の領域という感じがしますし、食物連鎖の頂点に立つ我々人間は、他の生き物の命をいただくことで命を長らえていますものね』

    意気込んでそう話す青年の言葉に小さく頷くと、陰陽師は言葉を続けた。

    「ところで、おぬしは日本の食文化の水準が高いということを聞いたことがあるかの?」

    『あります』

    「実は、食の有名人というのは今説明したように大山の270回台となるわけじゃが、日本人の“3:ビジネスマン階級”の割合が世界に比べて13%ほど高い」

    『ということは、20%に13%をたして、魂3の人が日本には33%もいるわけですか』

    「しかも、それだけではない。同じ魂3の中でも我が国の魂3は2期と3期が圧倒的なことから、日本の食文化のレベルが高いのもある意味当然といえば当然ということになる」

    『なるほど』

    「それだけではないぞ。この特徴は昭和40~50年代の、いわゆる、QC活動などにもいかんなく発揮された。全世界的にみて工場労働者は圧倒的に魂4が多いのじゃが、日本ではそうではなかった。流れ作業で働く彼らの中から様々な提案が生まれ、それが世界に名だたる生産技術の礎になっていったわけじゃ。産業革命を成し遂げたにもかかわらず、工場で働く労働者を監視するためにスーパーバイザーをつけ、そのスーパーバイザー達を見張るためにスーパー・スーパーバイザーをつけなければならなかったイギリスやアメリカと違い、日本の場合は、脳を持った働きアリが多数工場労働者の中に混在していたというわけじゃな」

    青年を横目で見ながら、陰陽師が話を続けた。

    「以前我が国の魂1にはほぼ1-1しかいないと言ったが、これなども上場企業のトップが2-3の武将という世界の常識からすれば非常識ということになり、これが欧米のトップダウンに対し、ボトムアップという日本独特の企業風土を生み出す源泉ともなっておるんじゃ」

    『つまり、魂の属性や転生回数の割合というものは国によって異なるものなのですね! 興味深いです!』

    「割合の違いは国にとどまらず、たとえば各県によっても異なったりする。一例を挙げるとすれば、京都などは人口の9割近くが2期(200回台)の“4:ブルーカラー階級”によって占められておる」

    『9割って、ほとんどじゃないですか!』

    「京都と魂の階級4の話は長くなるので、また別の機会に話すとして、もう少し転生回数と職業の関係について説明をしておくとしよう」

    陰陽師はグラスに注がれた水を飲み、口を開く。

    「たとえば、各省庁のキャリアの国家公務員の99.9%は2(7)−3じゃし、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教のいわゆるキリスト教三兄弟を等含め、伝統・新興の別なく宗教の開祖以外の坊主はそのほぼすべてが2(8)-3となる」

    『宗教の開祖のほとんどは1(7)−1すなわち、転生回数が300回台の“1:先導者”階級なのでしたね。僕は2(3)なのでスピリチュアルには縁があるものの、坊主になる天命ではないのですね』

    「端的に言うと、そういうことになるな。じゃから、くれぐれも何かに感化されて出家したり、仏道の修行を始めようなどと考えたりせんようにな」

    思い当たる節があったのか、青年は一瞬体を硬直させる。そんな青年の様子を見、微笑みながら陰陽師は口を開く。

    「もう一つ例を挙げると、1-1以外の第1期(301〜400回)の魂を持つ人間には、変人が多いという特色もある」

    『変人ですか・・・。大学4年生になると、進路も決まって卒業に向けて人それぞれ自由な行動を取っていくと思うので、なんとなくわかるような気がします』

    過去の自分の体験を思い出してか、青年は苦笑して頭をかきながら言った。

    「しかし、これらも魂の修行の追い込みの時期に指しかかっている第一期の人間の特徴を現世的に見るとそう見えるという意味に過ぎないことは先ほど説明した通りじゃ」

    『はい、きちっと了解しています』

    青年は、一つ頷いてみせた。

    『ところで、3期の人たちは大学生でいうと2年生ですよね。サークルにも単位の取り方にも慣れて、ある意味もっとも大学生活を満喫している時期とったところでしょうか?』

    「3期の人物は世の中に革新を起こす人が多いことも含め、現世的にみてもとても勢いがある。その結果、現世利益に走る傾向の人間が多い。その反面、少し失礼な言い方をすれば少し品がなかったり、世間から白い目で見られがちだったりもする」

    『猪突猛進みたいな印象ですね。欠点があるかもしれませんが、それを補って余りある世の中への影響力があるような』

    「もちろん、その前提として人間は多面体のようなものじゃから、転生回数という側面から見るとそのような理屈が当てはまるものの、たとえば頭の1/2から見ると一概に当てはまらなかったりする。それにじゃ、何度も言うが、これらの特徴を良し悪しで考えることは禁物じゃ。現世的にどのような特色を有していようと、それらはみな各々の転生回数で最適な魂の修行をするために必要な体験なのじゃからな」

    『そうですね。全く記憶にございませんが、僕にも3期だった人生があったんですもんね』

    突然、青年は難しい顔をして黙り込む。陰陽師は微笑みながら青年が口を開くのを待つ。

    『ところで、400回の輪廻転生を終え、魂の修行が完了した後、我々の魂はどうなるのでしょうか?』

    恐る恐る口を開く青年。

    「最後にその話をして今日は終わるとしようかの」

    陰陽師の視線を追って青年が時計を見ると、23時を過ぎていた。

    「魂の誕生から400回の輪廻転生を経ると、その魂は永遠の生命を取得して“セントラルサン”の元でそれぞれの職責を担う。この職責というのは鑑定結果のように四つの階級に分かれておる」

    『“セントラルサン”と永遠の命についてはよくわかりませんが、あの世でもこの世と同じく魂1~4という階級がついて回るのですね。ただし、それらは上下関係ではなく、あくまで役割の違いと』

    「というよりも、我々の魂は、それぞれ魂1~4に見合った職責を果たすために、“カミ“によって作り出されたと考えた方がわかりやすい。そもそも3次元でないわけじゃから、永遠の生命においてどのような職務があるのかはともかく、明確な目的をもって各々の魂が生み出され、400回という輪廻転生を経て独り立ちした魂が、“セントラルサン”の元でそれぞれの職責を担うという仕組みなわけじゃな」

    小さく頷く青年を横目に、陰陽師は話を続けた。

    「さらにじゃ、正しく理解しないとならないのは、あの世と“セントラルサン”がまったく別の世界/領域だという点じゃ」

    『永遠の世とあの世が違うということはなんとなくわかりましたが、それじゃあの世で我々は何をしているのでしょう?』

    首を傾げながら青年は言った。

    「まず基本的な問題として、あくまでもあの世で魂は誕生する。さらに大事なことは、400回の修業が終了するまで、魂の本体は常にあの世にいて、その“分け御霊”みたいなものがこの世とあの世を行き来するという点じゃ。また、あの世とこの世を機能面で分類すると、この世が魂の修行の場という、スポーツジムのような世界だとすると、あの世は修行を終えた魂の休息場所であるとともに次の転生に向けた計画を練る場所といった側面を持っていることになる」

    『なるほど。だから、あの世で28年間休んでから、ふたたびこの世に転生するのですね。トレーニングも休まずに続けていたら逆効果でしょうし』

    「もちろんあの世は3次元のこの世のように過去から未来に向けて時間が一直線に流れているわけではないから、一概に時間的な表現は難しいとしても、この世を基準とした計算ではそのようになる」

    さらに陰陽師は、言葉を続けた。

    「それともう一つ。伝統・信仰宗教が想定する“天国”とか“極楽浄土”という言葉には、“善“以外のものは存在しないイメージがあるが、実際の”セントラルサン“の存在する世界/領域はそうではない。同一の魂同士が集まっているあの世と違い、”セントラルサン“の存在する世界/領域では、たとえば、1-1-1-1-1という数字を持った魂1~4が同一チームを構成して、共通の職責をこなしている。同様に、1-1-1-1-2という数字をもった魂1~4は別チームとして他の職責を果たし、1-1-1-2-2という数字を持った魂1~4は魂1~4で、また別の職責を果たしているといったイメージとなる。このような検証に基づけば、血脈ではなく”霊統のご先祖“や”ソウルメイト“といった問題も、この分類に従うということになる」

    『ということは、魂の特徴を表す五つの数字は魂の誕生以来ずっと不変ということなのでしょうか?』

    「そのとおりじゃ。“イワナ”と“ウナギやナマズ”が一緒に生活するのが無理なように、五つの数字や鑑定結果が異なる人物同士が一緒にいると何らかの不調を感じるのは、魂のチームが異なることで生じているともいえよう」

    『ビジネスや恋愛・結婚の相性が魂の階級や属性で異なることも納得しました。鑑定結果の魂の諸々が近い人物の方が、相性が良いと認識しています』

    「他にも相性の良し悪しの条件はあるが、その傾向が強いことは間違いのない事実じゃ」

    陰陽師は時計を再び見、書類を片付け始めた。

    「それと、先述してきた五つの数字における1/2の“別”は、ともすれば“光が光たるためには影が必要”と捉えがちであるが、そのような“善と悪”の分類そのものが、“思議”(人間の考えが及ぶ世界)の世界の概念なのじゃ。そもそも、そのような“分類”そのものが、400回の輪廻転生を終えたあとの世界では、何の意味もないわけじゃからな」

    『未知なる世界の話ですね・・・“セントラルサン”や永遠の生命についてはまた今度聞かせてください』

    青年は深々と頭を下げる。陰陽師はいつもの微笑みで彼を見送るのだった。

     

  • 天命と転生回数①

    新千夜一夜物語第10話:天命と転生回数

    青年は鑑定結果と天職診断の紙を並べ、思索にふけていた。
    自分の天職がわかったものの、なぜあの三つだったのか。天職はどのように決まるのか? 魂の属性や輪廻転生の回数によって今世の役割や性質は変わるのだろうか? 

    次々と疑問が浮かんでくるものの、一向に納得できそうにない。
    居ても立っても居られなくなり、青年は再び陰陽師の元を訪ねるのだった。

    『先生、先日の続きをお願いいたします』

    「今日は輪廻転生の回数と今世の役割について、じゃったな」

    陰陽師は紙とペンをテーブルに広げ、続けた。

    「まず、転生回数と今世の役割というものは、そなたが思っているよりも厳格なものだということはよく覚えておいて欲しい」

    背筋を伸ばし、真剣な表情で青年は頷く。

    「転生回数の四つの数字の持つ意味じゃが、それらをそれぞれ大学生活に置き換えるとわかりやすいかもしれん」

    『大学生活ですか?』

    「うむ。転生回数が4期すなわち1回〜100回は大学一年生、3期すなわち101回〜200回は二年生、2期すなわち201〜300回は三年生、1期すなわち301〜400回は四年生といった具合にな」

    鑑定結果を取り出し、青年は口を開く。

    『と言うことは、僕は200回台なので、大学三年生に当たるというわけですね』

    「その通りじゃ。三年生といえば、ゼミに所属したり就職活動にむけていろいろ考える学年じゃから、物質的な話よりも精神世界や魂の年齢を見据えたことを考える時期とも言えよう」

    『そうですね。物質的なことよりは自然や宇宙といった精神世界の方に興味があります』

    「魂の年齢的にも半分を過ぎ、それなりにあの世とこの世の仕組みを理解しやすい時期に差し掛かっていたからこそ、今世は魂の修行の場という話も腑に落ちやすかったじゃろうな」

    首肯する青年。

    『とてもわかりやすかったです。ちなみに、僕は230回台ですが、10回台の数字にも違いはあるのでしょうか?』

    「もちろん。輪廻転生回数の100の位や魂の階級の1〜4に限らず、30回台は総じて魂の属性が3の人間にとっては心身ともに不安定となりやすいという特徴がある。そうした不安定な心身と向き合うことで、結果的に選ぶ職業がスピリチュアル系となる可能性が極めて高くなるわけじゃな」

    『確かに。僕も天職ベスト2位に気功師があったのもその一貫なのですね』

    「さらに言うと、鑑定結果の中には陰陽五行に基づいた長所と短所という項目があるのじゃが、その中の長所19.という項目である“不思議な経験”のスコアが高得点である可能性が極めて高い」

    『そうなのですね。ちなみに、僕の“19.不思議な経験”のスコアはどれくらいなのでしょうか?』

    「ちょっと待ちなさい。今、鑑定してみよう」

    陰陽師は半眼になって集中し、指を小刻みに動かし始める。青年は固唾を飲んで見守っている。

    「そなたのスコアは73点。どちらかというと高い方じゃな」

    『何点以上ですと高いということになるのでしょうか?』

    「明確な基準で言う“高い“は80点以上となる。ただ、100点満点であるため、100点に近くなるにつれて霊障による心身へのダメージは二次関数の曲線のように大きくなっていくことになる」

    『僕のこれまでの人生はそこまでぐちゃぐちゃではありませんでしたし、霊的な経験があると言ってもそこまでひどい霊障はありませんので、そのあたりの話はじゅうぶんに納得できます』

    頷きながら青年は言う。

    「この傾向は、意味するところはちょっと異なるが、実は魂の属性7(唯物論者)の人にもあてはまる」

    『とおっしゃいますと?』

    「端的に言うと、魂の属性3の人間のように霊的な問題はまず生じないものの、人生が一般の人間とはかなりずれているという意味では、“19.不思議な経験”の範疇に入るというわけじゃな」

    『なるほど』

    「具体的な例を挙げると、テレビの番組で、“客の来ない店”といった趣旨の番組があるじゃろう。職種は様々だとしても、彼らのほとんどは転生回数が230回台となる。本来調理人は武士・武将問わず2(7)(=270回台)の職業なのじゃが、一日に一人ぐらいしか来ない食堂を十年以上も経営している店主などは、例外的に2(3)(=230回台)なことが多い」

    『精神世界に興味を持たない属性の人たちでも、同様に30回台という輪廻転生の影響を受けているのですね。意外です』

    「魂の属性7の人たちの多くにとっては、このようなメカニズムを受け入れることは難しいかもしれんが、魂の修行という意味ではおしなべてそういうことになる」

    『ちなみに、他にも特徴はあるのでしょうか?』

    「芸能関係の仕事に就けるのは2−3−5−5・・・2で、さらに転生回数が240回台、数字で言うと2(4)−3の人間に限られるという話を前回したと思うが、それ以外にも魂には“山場”というものが存在している。“3:ビジネスマン階級”だけは、第3期の190回台、数字で言うと3(9)−3の時期に例外的な“大々山”があるのじゃが、それ以外の魂は、100回ずつに区切った各40回台が小山、そして70回台、数字で言うと、1~4(7)−3が大山という仕組みになっておるわけじゃ」

    『転生回数でそこまで決まっているのですね』

    興奮気味に青年は言う。

    「芸術家・芸能人やプロのスポーツ選手とお笑いタレントたちが畑違いの歌・楽器演奏や絵画・小説、伝統芸能といった芸能分野でも才能を発揮することができるのは、彼らが共通して2-3-5-5・・・2という数字をもっているからなのじゃな」

    『確かにそうですね。僕でも、お笑い芸人が本を出版したり、画家として有名になるケースをいくつか知っています』

    「転生回数についてもう少し補足をしておくと、世に言う文系と理系のうち、転生回数が少ない3期と4期は理系、後半になる1期と2期は文系という傾向が顕著となる」

    『大まかに文系と理系までわかるのですか! では、3(9)−3はどんな業界になるのでしょうか?』

    「3(9)−3はどちらかというと理系になるわけじゃから、ソフトバンクの創業者の孫正義や楽天の三木谷浩史のようなIT業界で革新的なことを行う人物はもちろんこれに該当するし、1(4)-1であるパナソニックの松下幸之助を唯一の例外として、現在の一部上場企業上位400社の創業者たちも、皆3(9)-3となる」

    「え、そうなのですか」

    「それだけではない。たとえば、医者もほぼすべてがそうじゃし、理系分野のノーベル賞を受賞する人物も皆この時期となる」

    『科学は人類の発展に大きく貢献しているので、転生回数が多い人たちなのかと思っていました』

    「200回以上が文系ということをふまえると、極端な言い方をしてしまえば、アインシュタインよりもお笑い芸人の方が魂としては上位ということもいえるわけじゃな」

    体を揺すりながら陰陽師が笑うと、青年もあまりに突拍子のない話につられて笑う。

    『輪廻転生100回台において3(9)−3が大々山ということは、彼らが芸能界で活躍することもあるのでしょうか?』

    「実は、先ほど厳格だと言った理由がそこにあるわけじゃが、一見無秩序に見えるこの世は、その実、各人が様々な宿題を抱えて転生してくる“魂磨きの場“としての機能として、見えない厳しいルールが多数存在しておるんじゃ。たとえば、3(9)−3、しかもその後5-5…2という番号を持った人物が何かの間違いで芸能界に迷い込んだとしても、この世からその時期はともかくとしても“排除命令”が出る仕組みとなっておる。しかもその“排除命令”はかなり強烈なもので、たとえば若くして不治の病にかかってみたり、精神に異常をきたしてみたり、事故に遭ってみたり、犯罪に手を染めてみたりと、かなり徹底している」

    『ということは、テレビやネットでよく見かけていた芸能人が、突然姿を消してしまうのはそうした理由なのでしょうか?』

    「業界が業界だけに複雑な事情があって一概には言えんが、その可能性は極めて高いじゃろうな」

    神妙な表情で青年は何度もうなずき、やがて口を開く。

    (続く)

     

     

  • 魂の属性②

    新千夜一夜物語第9話:魂の属性とこの世の善悪

    『ええっと、まず一番目の1/2は文字通りの“善悪”、別の言い方をすれば“執着”で、二番目の1/2は世の中に対して“厭世的”というか、“世の中に対し斜に構えている”性格かどうか。三番目の1/2は、他人に対しての“攻撃性”があって愚痴や文句が多いかどうか。四番目の1/2は、“人に受けた恨み/つらみを忘れず、執念深く覚えている”という性格かどうか。五番目の1/2は、“自己顕示欲”で、スポーツ・芸能・芸術を始め一般的な生活を営むにあたり必須な性格かどうか。おおまかに言うとこんな感じだったかと・・・』

    「細かい部分はさておき、大意は把握しているようじゃな」

    陰陽師が短く頷くのを見、青年は安堵のため息を吐く。

    「先日も言ったことじゃが、この1/2は世間でいうところの善悪ではないからの。あくまでその人が持っている性質というわけじゃから、全て1だから優れているとか、全て2だから迫害されるべきだとか、そういった意味ではないことをくれぐれもはき違えぬようにな」

    『前回ご教授いただいたように、これらの違いは、上下関係はなく、個性や性格の違いという感じで捉えています』

    真剣な表情で青年はうなずく。

    「そうであれば話を次に進めるとするが、そなたの場合、魂の属性3じゃから霊媒体質。中段と下段の1は“1・3・5・7・9”と五つの数字に分かれ、中段の1は霊媒体質の強さ、下段の1はそなたが魂1のグループに属性しているということを示しておる」

    『僕の場合、霊媒体質がもっとも強いグループなのですね。下段が1ということは、もっとも優れているグループという意味ではなく、あくまで1に所属していると』

    青年の言葉を聞き、陰陽師は満足そうに頷く。

    「次の魂の性質じゃが、上段の数字は4と7がある。ここもわかりやすく言うと性格のようなものを表しており、4の人物は温和で争いを好まず、周囲の意見に協調しやすい性格を有しているのに対して、7の人物は自分の主義主張をハッキリ表現する傾向が顕著じゃ」

    『僕の場合は4なので温和で同調しやすい性格なのですね。それなりに自覚があります』

    「下段の数字は“親近性”を示しておるのじゃが、1に近いほど裏表がない性格となり、9に近づけば近づくほど、腹に一物があったり、二枚舌であったり、性格が荒くなる傾向がある」

    『ということは、上段の数字が7で下段の数字が9ですと、世間一般でいう犯罪者タイプということになるわけなのでしょうか?』

    「いささか極端な表現ではあるが、そう理解してもらっても問題ないじゃろうな」

    『なるほど、了解です』

    「7(9)を世間一般でいう犯罪者タイプとすると、その対になる4(1)に近づくほどよさそうな印象を受けるじゃろうが、実はそう単純な話でもない。上段の数字が4であっても下段の数字が9の人物の場合、表面では同意している素振りを見せておきながら裏では言葉と裏腹の行動を取る可能性が高いのみならず、時には、世間を騒がすような重大事件を引き起こしたりもする」

    『つまり、誘拐事件や殺人事件ということですね』

    「そのとおりじゃ」

    『しかし、それでは4(9)であれ、7(9)であれ、どちらも悪者ということになるじゃないですか』

    「そう言ってしまうのとその通りなのじゃが、4と7の違いをもう少し具体的に説明すると、同じ事件を起こしても、4(9)の場合は、周りの人間がどうしてあの人がこんな事件を、と驚くに対し、7(9)の人間が同じ事件を起こした場合、周りの評価は、あの人ならそんなことをしでかす可能性は大いにある、といった具合になるわけじゃな」

    『なるほど』

    「一方これが9(9)あたりになると、周囲の評価は、あの人間ならいつかはこんな事件を起こすと確信していた、となるわけじゃな」

    納得顔で頷く青年を横目で見ながら、陰陽師は先を続けた。

    「話を4と7に戻すと、たとえば、4(5)と7(1)の人間の場合、その後ろに続く数字が1-1-1-1-2と共通しているため、基本的な性格の強さがほぼ等価ということもできるのじゃが、4(5)が何かの提案に対して同意を示したとしても、その実腹の中では真逆のことを考えている可能性があるのに対し、7(1)の場合は、納得できないことにははっきりとNOと言う反面、一度YESと言ったことには最後まで責任を持つといった傾向が強い」

    『つまり簡単に言うと、7(1)の人間の方が自分の主義・主張をハッキリしてくれる分、行動が荒いのかもしれませんがまだわかりやすそうですね』

    「じゃからこそ、一部上場企業の大方の社員や世を動かす多くの人間は、ここの番号が7(1)か7(3)になっているわけじゃがな」

    『なるほど』

    「繰り返しになるが、今までの説明はあくまでも各々の数字を持った魂がこの世でどう見えるかという話であって、それをもって魂や人間の優劣を決めるものではないということをよく理解してほしい」

    『了解しました』

    大きく頷く青年を横目で見ながら、陰陽師が話を続けた。

    「今まで説明してきた善と悪という概念についてより正確な認識を持ってもらうために、今度は別の例を使って説明しよう」

    『お願いします』

    陰陽師は紙に二つの図を描き、説明を始める。

    「例えば、そなたのように善側の人間を“清流に住むイワナ”、悪側の人間を“下流の沼地に生息するウナギやナマズ”と分類したとすると、両者が一緒に生活をすることには、生物学的に考えて無理があると思わんか?」

    『たしかに、おっしゃる通りだと思います』

    「実際、繊細な魂にとってはその影響は深刻で、たとえば、同じ2(転生回数)-3(魂の階級)-7(具体的気質/OS)-3(具体的性格/ソフト)、魂の属性が3(霊媒体質)の人間同士であったとしても、7(7)(魂の性質と親近性)-1-2-2-2-2(魂の現世における特徴)といった数字を持つ人間と一定の関係を持つだけで、潜在的に抱える精神性疾患が一気に顕在化/深刻化することさえある」

    『一定の関係を持つだけで、ですか。そういえば、相手が特に何かをしたわけではないのに、一緒にいるだけでイライラしたことがあるのはそうした理由だったのかもしれないわけですね』

    陰陽師は首肯して答える。

    「とはいえ、その事実をもって、イワナが“善”でウナギ/ナマズが“悪”だという意味では決してない。現世でこの五つの数字を分析するとそのような結果になるという話であって、それをもって各人/魂の優劣の基準となるわけではないことは先ほども説明した通りじゃ」

    『はい!』

    青年は大きく首を縦に振る。

    「転生回数と魂の善悪の説明をしたことじゃし、いよいよ転生回数と今世の役割について説明したいところじゃが」

    陰陽師は時計を見、青年もつられて時間を確認する。

    「今日はもう遅い。また次回に話すことにしよう」

    『今日も遅くまでありがとうございました。またよろしくお願いいたします』

    青年は席を立って頭を下げ、部屋を後にする。
    善悪というのは表現や見方であり、立場や性質の違いに過ぎないのだということを再び自分に言い聞かせ、青年は玄関の扉を開けるのだった。

    ご自分に先祖霊による障害があるかどうかか気になる方は、

    までご連絡ください。

  • 輪廻転生と自殺

    【新千夜一夜物語第1話:自殺と輪廻転生】


    『僕は死んでもいいと思っていたのに、どうして声をかけたんですか?』

    「その質問に答える前に一つ訊きたい。そなたは、どうして死にたいと思ったんじゃ?」

    『これ以上辛い思いをして生きるくらいなら、今すぐ死んだ方がいいと思ったんです』

    「未来に対して希望よりも絶望の方が多いと思ったわけじゃな?」

    『その通りです! よくわかりましたね! 僕の心が読めるんですか? さすが陰陽師ですね』

    「ほっほっほ。じゃがのお。残念なことに、自殺してもラクになるとは限らないんじゃよ」

    『どうしてですか? この苦しみから解放されるんですから、少しはラクになるはずです!』

    「そなたは、輪廻転生という言葉を知っておるかの?」

    『言葉と意味はなんとなく知っていますが、そういうあやしいのは基本的に信じないようにしています』

    「まあ、信じなくても構わん。そういう説もあると思って聞いておくれ。そなたの質問の答えにもなるからの」

    質問の答えが聞けると思い、黙る青年。現金である。

    「ワシがみるに、死んだあとに魂は肉体から離れてこの世からあの世に一度戻り、休息してから再びこの世に生まれてくるのじゃ」

    『この世とあの世って、どういうことですか?』

    「この世とは今ワシらが存在している地球のことで、あの世とは魂だけが存在する場所と考えてもらっていい」

    『死んだら終わりだと思っていたのに、また生まれてこないといけないんですか?!』

    「その通りじゃ。残念ながらそなたの命は1回限りではなく一定期間続いていく。しかも、今の肉体での修行を全うせずに中途半端な形で放棄するようなことがあれば、次の人生は今回よりもさらに過酷になる可能性がある」

    『ただでさえ今の人生が辛いのに、次はもっと辛い人生になるということですか?! どうせ何度も生まれ変わるんだったら、修行が過酷にならなくてもいいじゃないですか!』

    「何度も無限に生まれ変わるというわけではなく、生れ変わる回数が決まっておるのじゃよ」

    『……ちなみに、何回あるんでしょうか?』

    「400回じゃ」

    『よ、400回も……。これは僕だけではなくみんななのですか? 僕はもう修行したくないので、せめて何回か免除できないんですか?』

    「この回数は誰しも例外はない」

    『マジですか……。でも、来世は猫になってのんびり可愛がられながら修行をしたいと思っていたんですけど、そのようなことは不可能なのでしょうか?』

    「残念じゃが、その通りじゃ。人間は400回生まれ、人間としてしか生まれ変わらない。つまり、そなたは来世も人間ということになる」

    『そ、そんな……。羨ましいな、猫め。ちくしょう……』

    猫には猫なりの大変な猫生があると思うが、ひどい言い様である。

    『じゃ、じゃあ、休息ってどれくらいですか?! 死んだらすぐに生まれ変わるんですか?!』

    「あの世に戻って再びこの世にやってくるまでにこの世の数え方で計算すると28年かかる」

    『なんだか微妙な数字ですね』

    「微妙かどうかはともかく、そなたの祖父母が亡くなって、そなたに孫ができる頃には地球のどこかにいるということじゃ」

    『なるほどです。そう思うとなんだか不思議な感じですね。僕のおじいちゃんが僕の孫の年代として生まれ変わっているなんて』

    「じゃが、ここに一つ問題がある」

    『とおっしゃいますと』

    「亡くなった人がみんなあの世に帰還できるとは限らないんじゃ。そなたは地縛霊という言葉を聞いたことがあるかの?」

    『はい。特定の場所に居座ることで心霊スポットを作り、近づく人に取り憑いたり害を与える恐ろしい存在ですよね? 僕は見たことがないのでよくわかりませんが』

    「ふむ、その認識は半分以上ハズレじゃのお」

    『え、僕の認識はそんなに違っていますか?!』

    「地縛霊というのは基本的に悪意がなく、必ずしも人に悪さをしているわけではないのじゃ」

    『でも、テレビ番組でカメラが突然使えなくなったり、写真に変な画像として映っているのを見たことがありますが』

    「あれはな、あの世に帰還できなくて苦しんでいるゆえの現象なんじゃ。気づいてほしい、あるいは助けてほしいから、ああ言った現象を引き起こしているのじゃよ」

    『そうだったんですか……。もしそうだとすると、なんだかかわいそうですね……』

     実際には、呪いのように特定の条件を満たした人物の念が生きている人に害を与えることもあります。

    「じゃから、そなたが今ここで命を絶ったとして。この世に未練や執着が残っていたら次の人生が過酷になるどころか、魂のままこの世に留まり続けることになってしまうというわけじゃ」

    『でも仮に魂だけになったのだから、それはそれで行きたいところに自由に行けるんじゃないですか?』

    「そうではないぞ。地縛霊の行き先は二つに別れる。一つは親族や子孫に憑く」

    『僕には直系の子孫がいないので、両親か親族の子孫の誰かに憑くんですかね?』

    「ふむ。では、仮にそなたが親族の子孫の誰かに憑いたとして、その人が亡くなったらどうなると思う?」

    『え? 僕の魂もその人と一緒にあの世に帰還するんじゃ?』

    「いや、それは無理じゃな」

    『どうして無理なのでしょう』

    「それはな、自力であの世に還る権利があるのは死んだ瞬間の一回きりだけだからじゃ」

    『えっ、それじゃ一度あの世に戻り損ねたら自力であの世に戻ることはできないのですか』

    「そのとおり。仮にそなたが憑いていた人間が自力で親が無事にあの世に無事帰還できたとしても、残念ながらそなたの魂はこの世に留まったままじゃ」

    『そしたら、今度はどうなるんですか? また違う親族の子孫に僕は憑かなくちゃいけないんですか?』

    「そう、そのとおりじゃ」

    『でも、もし親族が全員この世からいなくなってしまったら……?』

    「亡くなった人間に子孫がなく、縁者が誰もいない場合は、残念ながら死んだ土地に憑くことになる」

    『だから、特定の場所に地縛霊は居座っているんですね……』

    「まあ、そういうことじゃな」

    『じ、じゃあ、地縛霊にならずに無事にあの世に帰還するにはどうしたらいいんですか?』

    「まずは死ぬ瞬間にこの世に思いを残さぬ生き方をすることじゃ。簡単に言ってしまえば、毎回の人生において悔いが残らぬように、魂の修行に専念することが大事になってくるというわけわけじゃな」

    『ということは、僕が今まで苦しい思いをしてきたのも、修行なのでしょうか?』

    「そういうことじゃ。人生には楽も苦もある。楽ばかりに見える人だって陰で苦しい思いをしているかもしれん。逆に、苦しみしかないと思っているそなたの人生においても、捉え方を変えれば楽や幸せがあるはずじゃ」

    『いえ、それだけは絶対にないです』

    即答かつ完全否定。取り憑く島もない。

    「今のそなたにはわからないじゃろうが、いずれの体験もそなたにとってかけがえのない“魂磨き”になっているということを悟る日が来るかもしれん」

    『“魂磨き”ですか。そんなことなんて別にしたいとは思いませんが、地縛霊化してこの世に留まり続けるのもイヤですね』

    「まあ、そうじゃろうな」

    『ちなみに、僕が地縛霊化して親族の子孫の誰かに取り憑いたら、その人はどうなるんですか?』

    「いい質問じゃ。それは次回に話そう」