こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

先日、断食教の信者と話しました。

本当は、断食教とは別の名前なのですが、とにかく断食を激推ししてきたので、このように表現しました。

その人は断食を始めて30年近く経っている。

そして、断食で色んな症状が改善したことを目の当たりにした。

さらに、断食を続けると、手をかざして他人を治癒できるようになる。

そんなことを熱心に話し続けていました。

さて、メリットだけ聞くとすごいですね!

断食をすれば、自分の調子が良くなり、他人にも良い影響を与えることができる。

そんな印象を受けます。

ただし、せっかく症状が改善したのに、断食をする環境から離れてしまうと、食欲に負けて過食する人が多いとのことです。

中には、過食が原因で大腸癌になり、亡くなった人もいるそうです。

しかも、その人の父親も癌で亡くなったそうですので、説得力に欠けます。

よく考えていただきたい。

断食→過食→大腸癌

つまり、過食した要因に断食が関係しているなら、断食しなければ過食することもなく、大腸癌で亡くならなかったのでは?

その人の意見では、断食⇄過食、の繰り返しは仕方ないそうです。

実際、その人も何度も断食⇄過食を繰り返しているとのことです。

ここで、私はとある言葉を思い出しました。

狂気とは、即ち同じことを繰り返し行い、違う結果を期待すること

アインシュタイン(?)

およそ30年も同じことを何度も繰り返しているなら、それは狂気になってしまうのでしょうか。

あるいは、その断食方法が合っていないという可能性を考えられないのでしょうか。

ひょっとしたら、そうした可能性を考えられずに盲信していることを感じ、私は断食教というフレーズが浮かんだのかもしれません。

ちなみに、その人の言い訳(?)としては。

断食できなかった人の気持ちがわかるから、断食⇄過食を体験することは必要だそうです。

指導する立場になるなら、挑戦者と挫折者の気持ちを理解することは大事かもしれません。

ですが、そもそも断食が万人に共通する健康法なら、挫折する人の気持ちを理解できなくても困らないと思います。

断食を実践している姿を見せ、自分が食欲に負けそうになった時の対策を伝えればいいのです。

30年も経っているのに食欲に負けて断食⇄過食を繰り返し、断食を実践できていないのに、何を勘違いしたのか、他人に説教しようとするから、そんな言い訳をする。

そんな氣がしました。

そもそも、過食してしまう人の気持ちを理解するなら、過食を一度体験すればじゅうぶんなはずです。

何度も繰り返すのは、その断食方法が自分に合ってない可能性があります。

にもかかわらず、断食⇄過食を繰り返すのは、魂が未熟だから。

それを繰り返す中で魂の修行をしている。

そんなことを言ってました。

また、こうした盲信者の特徴として、例外が万人に共通すると固執する傾向があります。

特殊な例として、青汁だけで生活している女性をご存知の読者がいるかもしれません。

その女性には、青汁一杯の食生活が合っていただけであり、他の人は他の食材を同じ量を摂取するだけでその女性に近い生き方をできるかもしれないわけです。

断食に関わらず、世の中の勉強法や上達方法には色んな方法があり、中には自分に合うものがあれば、ない時もあります。

ない時は、自分で編み出す方が結果的に良い可能性もじゅうぶんあります。

私たちは、魂を磨くため、生まれてくる前に計画を立ててからこの世にやってきます

その計画内容は、他人と全く同じことはありません。

他人の生き方をヒントにすることも時には必要です。

ですが、霊障によって人生の方向性を示すコンパスが狂っていたら、自分に適した生き方とはズレてしまいます

そのコンパスを正し、今世の宿題を果たしませんか

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