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  • 制限を超えて見つける自分らしさ

    制限を超えて見つける自分らしさ

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です。

    自分らしさは、制限によって磨かれます。

    制限がない自由な状況の中で好き勝手にやっているのは、他の人も好き勝手にやっているという意味では同じこと。

    そんな氣がしています。

    制限というのは、私たちの邪魔をしているようで、実は私たちを磨いてくれる味方だったりします。

    守破離という言葉がありますが、制限はに該当すると思います。

    制限がある中、他の人と同じことしかできていない状態というのは、まだまだ守の段階です。

    そして、他の人と同じことをやっていても、滲み出てしまう個性。

    それがなのでしょう。

    は、個性を磨き続け、新たに他人を導く守を作ることかもしれません。

    武道などの道には、さまざまな流派があり、型はそれぞれ似ているようで少し異なっています。

    例えば、仕事で他人と同じことをさせられている。

    そんな時、自分らしくないと感じるかもしれません。

    過去の私はそうでした。

    金融機関で1円もミスできない仕事をし、マニュアル通りに効率良く仕事をこなすことばかり考えていました。

    やることが決まっているので、自分がやらなくてもいいと思い、生きている意味(笑)を考えて、早く辞めてしまいました。

    まだまだ改善できることはたくさんあったと、今なら思えます。

    けれど、同じ作業に見えても仕事の速さや丁寧さは異なります。

    接客でも対応の仕方はそれぞれ異なります。

    今の仕事をしていて自分らしくないと感じるのは、個性を出せるレベルまでその仕事に取り組んでいないと考えることもできます。

    製品、客、従業員、社員など、同じくくりにするのではなく、自分らしさを求めるなら、関わる対象にも個性があると考えてみましょう。

    AさんとA客、AさんとB客、BさんとB客など、シチュエーションが同じでも、異なるやり取りや結果が生じることがあります。

    私の氣功が合う人がいれば、他の人の氣功が合う人もいます。

    こうしたことを知らずに、相手の個性を無視して対応していると、お客様は不満を覚えることが少なくありません。

    そして、仕事内容と自分らしさというのは、思っているほど関係がありません。

    むしろ、制限が多い仕事の中で自分らしさを出せない人は、自由になったら、むしろ何をしたらいいかがわからなくなるでしょう。

    今の制限の中で、いかに自分らしさを発揮できるか

    まずはそこから始めることが重要だと思います。

    制限から逃げるのではなく、制限に立ち向かいましょう。

    そして、制限と存分に向き合い、学ぶことがなくなったら、他の道を探してみましょう。

    とはいえ、私たちの魂はそれぞれ異なりますので、必要な体験も異なります。

    当然、不要な制限、体験もあります。

    それらにはもうコリゴリで、自分の人生に必要な道だけを進みたい。

    そう感じているあなたは、ご相談ください。

    お問い合せは《こちら》

  • 他人の成功体験を鵜呑みにしない方が良い理由

    他人の成功体験を鵜呑みにしない方が良い理由

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    世の中のほとんどの人が、人生で成功したいと考えていることでしょう。

    そして、世の中には数え切れないほどの成功者によるセミナーがあります。

    にもかかわらず、実際に成功している人の数は多くはありません。

    成功者と同じことをしているのに成功できない。

    なぜでしょうか?

    その理由として、三つ挙げられます。

    ①生まれ持った運の違い
    ②適性の差
    ③霊障の影響の有無

    ①生まれ持った運の違い
    私たちにはそれぞれ設定してきた運が異なります。

    全体運、ビジネス運、金運、人運、恋愛運、健康運。

    9点満点です。

    よくある話として、私はこんなに大変な目にあいましたが、今では大金持ちになっています。

    という話をきき、自分も今は大変だかえど、いつかはこの人のように成功して大金持ちになれると夢を持ってしまう傾向があります。

    ですが、その人は運の数字が9ばかりで、他の人は7や6やそれ以下の低い数字である可能性があります

    そうなると、言われた通りにやっても人生がうまくいかなかったり、そもそも成功のようにはどうしても実行できない人もいます。

    実行できず、いつまでたっても成功に近づいていないのに、セミナーに通ったりコンサルを受けていればいつかは成功できるだろうと、夢の人生を歩み続けてしまいます。

    運の数字は一人一人異なるのです。

    では、なぜ運の数字が異なるのでしょうか。

    それは、私たち一人一人がこの世に転生する前に、今世で体験したい人生をあの世で決めてきているからです。

    いつまで経っても成功しない人は、お金や社会的地位の方面での成功が、今回の人生には関係がない可能性が高いです。

    夢を生きるのではなく、現実をみて、自分に合った人生を歩みましょう。

    ②適性の差
    これはスペックの差といってもいいかもしれません。

    先ほど、運の数字が異なることを説明しましたが、それとは別に、分野ごとの適性の違いがあります。

    わかりやすい例だと、文系は得意だけど理系は壊滅的に苦手な人がいますし、全科目で満点近くを取れる医学部の人もいます。

    他にも、氣功は誰にでも扱えますが、私の氣功のレベルを9だとして、どんなに頑張っても1しか効果を出せない人もいます。

    一方、そうした人は、私がレベル1しか効果を発揮できない分野でレベル10の成果を出せる可能性があります。

    この適性も、今世の宿題に含まれているかどうかで、数字が変わってくるのです。

    では、自分の運に合わず、適性もない仕事を選んでしまい、いつまでも報われない人生を過ごしてしまうのはどうしてでしょうか。

    ③霊障の影響の有無
    私たちは日々、見えない存在の影響を受けています。

    そして、この影響の受けやすさにも、個人差があります。

    こうした霊障によって、人生の方向性がズレていきます

    芸能人やスポーツ選手のほとんどは、霊障の影響を感じない人々です。

    私や、これを読んでいるあなたは人混みで少し体調が乱れたり、他人の感情に敏感かもしれません。

    ですが、世間の成功者たちは、そうした影響をほとんど受けていません。

    それだけ、私たち霊媒体質からみれば、有利な条件で生きています。

    彼らがプロとして、進路に迷うことなく努力を続けられた要因の一つでもあります。

    私のようにやれば誰でも成功できると言う人は、そもそも人生の方向性がズレていないのです。

    そうではなく、本来は北に進むべきなのに、霊障によって南に進んでしまっている人もいます。

    そのことに氣づかずに、同じように頑張り続けても、いつまでも納得のいく人生を歩めません。

    今、これを読んでいるあなたは、見当違いの方向に努力していたり、あの時あっちの道に進んでいればよかったのに、と悔いが残っているかもしれません。

    もしもそうなら、自分の人生の方向性を正し、適性を知り、日々納得して成長する人生をあなたが歩めるようになることを願ってやみません。

    あなたには、あなたに合った人生のゴールがあるのです。

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  • 自分に合った生き方を見つけるーー人生は無限の可能性でできている

    自分に合った生き方を見つけるーー人生は無限の可能性でできている

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    人生の可能性は無限大、とよくききます。

    一方、人生の方向性が決まっていない人の悩みは無限大。

    そんな氣がしています。

    やりたいことがわからないあなたには、消去法がお勧めです。

    どんどんやりたいことを試してみて、違うと思ったらやめる。

    そのことを考え始めているなら、すぐにやってみましょう。

    うまくいくかどうかを考えることは、いったん置いておきましょう。

    実績解除をいかに早く、多く行っていくか。

    といったところでしょうか。

    ポイントは、期限を決めて、全力でやるです。

    悔いが残らないくらいにやり切っておけば、次に進みやすいです。

    期限を決めておくと、終わりが近づいてきてきたら、とつぜん意欲がわいてくることもあります(笑)

    そして、限界まで試行錯誤して得た学びは、他の分野でも活かせる知恵となります。

    「自分は本気を出していないだけ」と、言い訳しながらダラダラと一つのことを続けることは、お勧めしません

    人生を無駄にしています。

    なぜ、それに執着しているのかをよく分析してみましょう。

    ひょっとしたら、他の分野や環境でも果たせるかもしれません。

    たとえば、プロになれていないのにいつまでもダラダラと続けているのはなぜでしょうか?

    有名になってチヤホヤされたいという場合、本当の目的はチヤホヤされたいことなので、向いている分野を見つけてそれに打ち込む方がタイムパフォーマンスが良いでしょう。

    私の場合、自分が書いた文章が、読者が人生を前向きに生きるきっかけになってほしいという願いがありましたが、これはプロの作家でなくてもできます。

    当時は、プロの方が多くの人に読まれるだろうということと、何者かにならなければ収入を得られず、生活ができない、という現世利益的な観点で人生を決めていました

    大事なことは、自分に合った分野や環境で活躍することです。

    そして、自分にはこういう生き方しかできないなど、選択肢を狭めないことです。

    過去の私の例で説明すると、作家になると一度は決めたのだから、芽が出るまで続けなければならない。

    さらに言うと、他のことを探すのが面倒だったり、怖かったという感情的な言い訳もあったと思います。

    あなたにピッタリな分野や領域は、探せばいくらでもあります。

    それを見つけることが成功への近道であり、人生の宝探しなのかもしれません。

    あなたを悩ませ、一歩を踏みだすのを阻む思い込みや執着を手放し、収入面でも人間関係でも健康面でも不満がない状態を目指しましょう。

    自分のやりたいことがわからない、ぜったいにやめた方がいいとわかっているのに執着を手放せないあなたはご相談ください。

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  • 情報過多の時代を生き抜くーー本当に価値ある知識を選ぶために

    情報過多の時代を生き抜くーー本当に価値ある知識を選ぶために

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    現代社会では情報があふれ、誰もが知識にアクセスできる時代です。

    同時に、誤った情報も流布しています。

    そのような背景があってか、現代の知識は他者を批判し、自分の優越感を満たすために使われる道具になりがちな印象を受けます。

    ソクラテスは「無知の知」の精神、すなわち「自分が知らないことを知る」という謙虚な姿勢を説いていました。

    その姿勢とは対極的に、安直に知識をひけらかし、時には誤った知識で他者を批判する人々の姿勢は、自らの無知をさらけだしているようにも思われます。

    ただただ知識をひけらかしている人間に対しては、

    「それで? だからなんなのでしょうか?」

    と問いかけると、その後の返答は口数が少なくなります。

    というのも、そうした人間は、自分の意見を知識で代弁していることが多いからです。

    知識を持つこと自体は悪いことではありませんが、それが他者を傷つけたり、自分を正当化するためだけに用いられると、本来の知の意義が損なわれてしまいます。

    なぜ、その知識を得ようとしたのか。

    その知識によってどのように現実に変化を起こせるのか。

    といった、動悸や目的をハッキリさせた上で知識を得ることが重要です。

    そうすることで、知識を元に考え、行動にうつしていきやすくなります。

    テレビで野球などをみて偉そうにウンチクを語っている男性が、そのスポーツの名選手ではないことは明かです。

    ソクラテスが言った「無知の知」は、単なる謙虚さ以上の意味を持っています。

    それは、自分が完全ではないことを認め、学び続ける姿勢そのものです。

    本当にそのスポーツを熟知し、プロの選手たちの立場に立って考えられるなら、選手たちのプレイに対して、安易に評価することはないでしょう。

    そうした役に立たない知識は、情報の無駄遣いのようなものだと私は考えます。

    その知識を得る時間や労力が無駄ですし、それをきかされる人の時間を無駄にします。

    闇雲に知識を仕入れて自己満足に浸るのではなく、人生の目的を果たすために役立つために必要な知識を取捨選択していきましょう。

    どう取捨選択したらいいかがわからない人は、まずは自分の人生をどうしたいかを明確にしましょう。

    人生の方向性が不明瞭だから、他人の情報に踊らされてしまうのです。

    人生の方向性を明確にしたい方は、ご相談ください。

  • 解脱RTA !400回の輪廻転生をクリアするために

    輪廻転生と魂磨きの修行について説明すると、何度か言われることがあります。

    シンプルに、もう修行したくない、という内容です。

    この世に絶望して生きる気力がなくなって引きこもったり、この世に転生したくないといった感じです。

    かくいう私も、高校時代は絶望していました。

    未来で良いことがある、みたいなことをよく言われました。

    ですが、当時の私にとって、未来の良いことよりも、現在の苦痛の方が勝っていたのです。

    こうした、つまるところ、現状から逃げ出したいという人に対し、ブッダは解脱を説いていたのでしょう。

    時代が変わっても、人間の悩みというのはさほど変わらないのかもしれません。

    私たちは、どうあがこうとも、400回の輪廻転生をショートカットすることは不可能でしょう。

    それだけの回数を、この世で修行しなければならないのですから。

    ですから、肉体を得てこの世に転生している間は、輪廻転生の輪から解放されることは不可能です。

    ブッダが説いた方法でも無理でしょう。

    では、400回という決められた回数を受け入れるとして、この世での修行を早く終える、短縮することはできないのでしょうか。

    その答えはあるといえばありますが、多くの人が選ばないだろうということと、それをやることによるリスクが大き過ぎます。

    要は、自死することです。

    輪廻転生の回数は400回と決まっていて、その回数を変えることができないなら、一回の人生を短くすればいいのです。

    ですが、大き過ぎるリスクがあります。

    それは、地縛霊化することです。

    地縛霊化すると、次の輪廻転生に進めなくなります。

    そうなると、400回の輪廻転生を果たすことが永遠にできなくなります。

    輪廻転生の輪から解放されようとしたのに、むしろ永遠に抜け出せなくなってしまいます。

    今感じている苦痛を、場合によっては永遠に味わい続けなければならなくなる可能性が考えられます。

    では、自身せずに、どうしたら早く400回の輪廻転生をクリアできるのでしょうか。

    答えは、さっさと今世の宿題を果たすこと

    これに尽きると思います。

    私たちは生まれてくる前に、今世で果たすべき目的を決めてきています。

    これを最速で果たしてしまえばいいのです。

    例えば、世の中に絶望している人がこの記事を読み、自死する方がいいんだと思って実行したとします。

    死後に未練があれば地縛霊化しますが、やり切っていれば短命であっても次の輪廻転生に進めます

    ですから、生きているのが辛くて、この世が嫌いで、二度と転生したくないとお考えの方は、神事を済ませて今世の宿題を果たすモードに移行しましょう。

    どうせいつか死んでしまいますし、早くあの世に戻りたいなら、ゲームのRTAのように、最速でクリアしてしまえばいいのです。

    通常プレイのように、ストーリーとは関係ないカジノやミニゲームを楽しむのもまた一興。

    自分が進むべき人生に方向性を戻したい方は、ご相談ください。

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  • 自分を救えるのは自分だけーー後悔しない人生の作り方

    自分を救えるのは自分だけーー後悔しない人生の作り方

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    この世に生きている全存在にとって、なんとしても回避すべきことがあります。

    それは、後悔です。

    最後の最期でこの世に未練が残り、地縛霊化したら、全てが台無しになるといっても過言ではありません。

    たとえ、どれだけ幸/不幸な人生であったとしても、です。

    では、地縛霊化しそうな人生を歩んでいるかどうかを、現時点で判断するにはどうしたらいいのでしょう。

    反省と改善

    これに尽きると思われます。

    この世は修行の場ですから、日々、何らかの悔やまれるできごとがあるかもしれません。

    たとえ今日、何らかの失敗をしたとしても、その日の夜にでも振り返り、今後は同じような失敗をしない方法を考えたとします。

    そして、実際にその方法を実行に移して昨日のミスを繰り返さなければ、それでいいのです。

    あの時、ああしておけば…と思う体験のおかげで、成長できるのです。

    そうした成長の糧になれば、過去の体験も浄化され、悔やむことがなくなります。

    一方、同じ体験をくりかえし、またやってしまった…と過去の自分の行動をくりかえし悔やんでも、それだけでは意味がありません

    むしろ、失敗という体験ばかりが増えて自信を喪失し、今後の士気の低下にもつながることでしょう。

    また失敗するかも、という思考が脳に存在していたら、失敗しやすくなるものです。

    ですから、反省と改善をし続けましょう。

    漫然と日々を過ごすのではなく、一日の記録をつけ、振り返る習慣を身につけましょう。

    日記でもなんでも構いません。

    大事なことは、過去の体験を学びに変え、未来の糧にすることです。

    人が自分の人生に価値を感じられるのは、過去を振り返った時だと思います。

    頑張っているのに自分に価値を感じられない人は、ぜひ、これまでの実績を振り返ることをお勧めします。

    こうした日々をくりかえしていれば、最後の最期に走馬灯を眺め、今世の総振り返りをする時も、悔いなくあの世に戻れるでしょう。

    そして、あの世で今回の人生で体験したことを基に、来世の目標を定め
    再びこの世に転生できます。

    ですが、走馬灯の中に後悔する映像ばかりだったとしたら、あの世に帰還することができず、この世に留まり続けることになります。

    あの世とこの世のサイクルから外れてしまうわけです。

    自力ではどうしようもできません。

    助けてくれる人を見つけられたとしても、助けてくれるとは限りません。

    自分を助けられるのは自分だけです。

    ですから、振り返りと改善の習慣を身につけ、日々後悔しない生き方を実践していきましょう。

    ちなみに、振り返りと改善の習慣を続けていると、同じ失敗をくりかえしていることに氣がつくかもしれません。

    このような、改善しようとしているのにくりかえす失敗は、霊障が要因になっているかもしれません。

    霊障がかかっていると、人生の方向性がズレてしまいます

    その結果、やらなくていい苦行が増え、後悔する体験が増えやすくなります

    これからの人生を後悔することなく、意味のある時間にしていきたい人は、ぜひご相談ください。

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  • 「時間を無駄にしない生き方」学び方と働き方の新しい提案

    「時間を無駄にしない生き方」学び方と働き方の新しい提案

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    微分積分は社会に出て使うのか?

    そんな表現を見かけたことがあります。

    私が思うに、ほとんどの人にとって必要ないと思います。

    さらに、微分積分に限らず、義務教育より後に学ぶ、高校や大学の内容の多くが、社会に出て使わないと思います。

    実際、私は環境経済学を専攻しましたが、社会に出て役に立ったと思うことはありません。

    しかも、社会で想定される事務の仕事と直接関係ないことが多いです。

    私が思うに、受験勉強は脳トレみたいなものです。

    国語をしっかり学習しなければ、読解力も表現力も稚拙なままです。

    それは、SNSをみていれば想像に難くないでしょう。

    同様に、英語や数学に取り組むことで鍛えられる思考力はあります。

    他には、大学で専攻を作っておくことで、同じ専攻の人々と距離が縮まりやすいというメリットがあると思います。

    そういう点も踏まえると、高校や大学というのは、同世代で近い学力や価値観を持つ仲間を作れるということが、最大のメリットではないのでしょうか。

    ところが、学生時代に仲が良かった友人たちと、社会に出てからも交流が続いているかと問われると、私の場合、少ないと思います。

    同業の人やお客様と交流会している機会の方が多いです。

    そう考えると、私がタイムマシンで過去に戻れるとしたら。

    義務教育を終えたらさっさと働く

    そして、仕事で必要な知識が出てきたら、通信の高校・大学で学ぶ。

    そんな風に考えます。

    不確定な未来のため、高学歴を得るために時間を使い、受験する。

    今度は就職するため、卒業するため、興味がない授業に出席し、時間を浪費する。

    高校も大学も、学費と時間がかかります。

    一度しかない貴重な人生とお金を浪費するより、自分が必要だと感じることに自分で稼いだお金を用いて勉強する

    社会に出て何年もすれば、学歴は重要視されなくなります。

    通信制でも高学歴の大学を卒業すれば、その大学を卒業したと認識されます。

    受験勉強に何年も費やすより、そっちの方がずっと効率的だと私は思います。

    学歴コンプレックスがある人は、お金に余裕があるなら、通信制について調べてみることをお勧めします。

    割に合わないかもしれませんが😅

    ですから、今でも私は、親に対して申し訳ない氣持ちがあります。

    そうは言っても、今もなお、たまに会っている大学の同級生とのご縁はかけがえのないものであり、感謝しかありません。

    ただ、私たちにはそれぞれ今世の宿題が設定されているのと同様に、学力の限界値も決まっています。

    学歴などの他人が作った価値観を一番に生きるのではなく、私たちの魂が決めた人生の目的はなんなのか。

    幸せになるためだけに、私たちはこの世に生まれてきたわけではありません。

    生まれてきた目的を果たすことを第一に、日々を大切に生きましょう。

    お問い合せは《こちら》

  • 未来の自分を信じすぎないで:行動を変えるタイミングは今

    未来の自分を信じすぎないで:行動を変えるタイミングは今

    こんばんは!あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    ダイエットは明日から、という言葉をよく見かけた時期があります。

    ダイエットに限らず、何らかの分野で自分を変えたいと思っている人は、今すぐ取り組みましょう。

    今すぐ変わるのが難しいなら、明日を、最後の“◯◯は明日から”にしてください。

    というのも、未来の私たちは、現在の私たちの行動の延長だからです。

    例えば、寝て起きても、私であることは変わりません。

    百歩譲って、明日になって私が変わったというなら、睡眠によってスッキリしたくらいです。

    そうは言っても、例えば寝ることとダイエットには深い関係があるとは言い難いです。

    なぜなら、ダイエットでもっとも重要なのは、食事と運動だからです。

    寝て起きて明日になったとしても、食事と運動に対して変化のためのアクションを起こしたことにはなりません。

    ダイエットに失敗した私、という体験が蓄積されただけです。

    人生とは過去の積み重ねが現在を形成し、現在の積み重ねが未来を形成します。

    ですから、今変わらなかったなら、明日も変わらない行動を選択する可能性の方が高いと考えられます。

    それでも未来の自分に期待し、今日はダイエットに失敗したけど、明日の自分なら成功できると思うのなら、明日に先送りするのをこれで最後にしてください。

    それでダイエットに成功したなら、それはそれで望ましい結果です。

    おめでとうございます!

    ですが、明日のダイエットも失敗したなら、現実を受け入れましょう

    明日の自分は信用できない、と(苦笑)

    よく覚えておいてほしいのは、失敗=悪ではないということです。

    たとえ、明日のダイエットも失敗したなら、先述の通り、未来の自分に期待せず、今変わる選択をすればいいのです。

    それで思い立った今のタイミングでダイエットに取り組めたなら、過去の失敗は無駄ではありません。

    ダイエットに成功するために必要な体験となります。

    さらに大事なことは、できなかった自分を責める必要はないということです。

    ただ、今やろうと思ったことを先延ばししない

    そして、未来の自分に期待せず、思い立った時に取り組む

    この二点を心に刻んで行動を変えていけばいいのです。

    それでもやっぱり、今やらなきゃ、と思っているのに取り組めないなら、心身が疲れているのかもしれません。

    あるいは、体調は問題ないのに、わかっていても取り組めないという場合は、霊障によって人生の方向性がズレている可能性が考えられます。

    あなたの人生を変えられるのは、あなただけです。

    言い訳できない状況に追い込んでいけば、本当の意味で、良い意味で自己責任の人生になります。

    自分の人生の主導権を取り戻し、悔いのない人生を歩んでいきましょう。

    最後に、今回の話はダイエットを例に挙げましたが、日常の中で何らかの変化をもたらしたい場合、ダイエット以外のテーマでも当てはまると考えてみてください。

    同じことを繰り返していたら、ほとんどが同じ日々の繰り返しになります。

    何かを変えようと思ったなら、その瞬間に行動を変えてみてください。

    お問い合せは《こちら》から

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  • 痛みの先にある幸せ:過去の苦しみを乗り越えて見つけた感謝

    痛みの先にある幸せ:過去の苦しみを乗り越えて見つけた感謝

    だいぶ前に、食事中に唇をかみました。

    その後、数日間は食事の際に、かんだ部分が痛みました。

    酸味がある物を食べると、しみて痛みが増します。

    せっかく美味しい物を食べていても、幸福度が半減してしまうのです。

    今となってはキズが完治したため、食事中に不快な思いをすることはなくなりました。

    キズがあった時はイヤな思いをしていましたが、今は快適な食事に感謝しています。

    何事もなく食事を済ませられることに感謝できる幸福は、不幸な体験のおかげでしょう。

    また、今から10年ほど前に、尿管結石になりました。

    痛みのあまり、何もでないのに嘔吐していました。

    あの痛みを例えるなら、小学校3〜5年生くらいの男子に腰を全力で殴られ続ける感じです。

    1回や2回なら我慢できますが、何度も殴られると、そろそろやめてほしいとなる痛みです。

    しかも、その痛みが1秒ごとに1回、定期的に腰にやってきます。

    横になっても痛みは変わらず、いつまでこの痛みは続くんだ。

    そんな感じで絶望していました。

    痛みに耐えながらネットで近くの病院を何件も調べて連絡し、ようやくお昼も診てくれる病院を見つけました。

    高齢の院長先生が、尿管結石は痛いだろうとのことで、時間外にもかかわらず、特別に診てくださいました。

    その時は尿管を拡張して結石が降りやすくなる点滴を打ったと思います。

    すると、すぐに痛みが弱りました。

    その数日後に石が出たので、石ができていたというより、石で詰まっていたことが痛みの要因なのだと感じました。

    その話を心臓病などの命に関わりそうな疾患を抱えている人に話したら、とてもあわれまれました。

    いえいえ、むしろ命に関わる疾患の方が大変ではありませんか、とききました。

    ところが、先方たちは行動は制限されているものの、痛みがあるわけではないとのことでした。

    ですから、体験しないとわからない視点や考えがあるのでしょうね。

    これを読んでいるあなたも、過去に二度と体験したくないことがあったかもしれません。

    ただ、その時に比べたら、今は相対的に幸福なのだと思います。

    もしも、今後ちょっとイヤなことがあったら、こう考えてみてください。

    あの時よりはマシ

    そうして、過去の自分の体験を糧に、目の前の現実に立ち向かってもらえたら嬉しいです。

    なぜなら、私たちには個々に生まれてきた目的があるからです。

    相対的な幸福を活かし、過去の自分を褒めつつ、今をせいいっぱい生きましょう!

    お問合せは《こちら》から

  • 幸せに生きるコツは期待しないこと

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    期待するから、期待通りに現実が進まない時に不満を感じます。

    しかも、期待が大きいほど不満は強くなります。

    逆に、何も期待しなければ、不満もなければ不幸を感じる機会も減るでしょう。

    人は鏡とききますが、私は全てが鏡だと思っています。

    その瞬間に反応したすべてが自分、という感じです。

    他人、組織、社会に対し、不平不満ばかり言う人がいます。

    そうした人物は、期待し過ぎているのかもしれません。

    例えば、あの人はこうしてくれるに違いない、組織や社会とはこうあるべきだからこうしてくれるだろう、云々。

    口では偉そうに批判していますが、実際に改善策を考えることがなければ、具体的になんらかの行動を取っているわけでもなさそうです。

    本当に現実を変えようとしている人は、批判を言っている暇なく動いていますからね!

    勝手に期待して、勝手に裏切られる。

    世の中が自分の思い通りになると思っている。

    ワガママというか、お子様というか、世間知らずといったところでしょうか。

    こうした状態になっていることに氣づき、理解するために、自分のことを棚に上げ、他人、組織、社会に不平不満を言っているのかもしれません

    不平不満を言わずにいられないくらいに期待しているなら、自分が相手の期待に応えられているかも考えてみましょう。

    相手の期待に応えていないのに、相手にばかり期待するのは、おかしいですよね。

    ただし、相手がこう期待しているに違いないと決めつけないように(笑)

    あるいは、他人の期待に応えられず、自分に自信を持てない人は、自分に期待し過ぎかもしれません。

    期待するのをやめ、現実を受け入れて観察してみましょう。

    そうすれば、何かを勝手に期待して勝手に裏切られて不幸になる機会は減るでしょう。

    自ずと、自分ができることややるべきことに意識が向き、できないことや誰かに任せることの線引きができるようになるかもしれません。

    では、何も期待しないなら、何を基準に生きればいいのか

    そんな声がきこえてきそうです。

    期待≒欲のように捉えることもできますので、人間の原動力として重要だと思うかもしれません。

    その基準は、期待や願いを叶えるなどのポジティヴな動機でもない。

    そして、不安や恐れを解消するなどのネガティヴな動機でもない。

    これなら悪くない。余生を費やしたり、命を賭しても後悔しない。

    そんな感じで、自分自身が納得し、誰になんと言われようとも、環境が変わっても続けられること

    それが天職だったり、今世の宿題の一つなのかもしれませんね。

    何かを期待せずに淡々とこなせること、なんだかんだ続けていることを思い浮かべてみるのもいいでしょう。

    独りでは難しいなら、私も一緒に考えます。

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