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  • “幸せ”がゴールだと思っていたあの頃の自分へ

    “幸せ”がゴールだと思っていたあの頃の自分へ

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    ネットやSNSのおかげで、私たちは無限に近い情報を手に入れられるようになりました。
    でも、そのほとんどは——私にとって、正直どうでもいいことばかりです。

    なぜなら、目の前で起きていないこと、自分が体験することのない出来事に、本質的な意味なんてないから。

    それでも、人はなぜ、そんな「意味のない情報」に夢中になってしまうのでしょうか?

    私自身の過去を振り返ると、その理由がはっきりわかります。
    ――現実から逃げていたんです。

    どれだけ知識を詰め込んでも、行動しなければ現実は一歩も動かない。
    頭だけで“わかったつもり”になっても、目の前の苦しさは変わりません。

    たとえば、仕事がツラいなら、転職するとか、部署を変えるとか、何かしら行動すればよかった。
    でも当時の私は、それすらせずに毎日同じ日々を繰り返していました。

    「人生の秘密を知れば、いつかハッピーな未来がくるはず」

    そんな幻想を追いかけるばかりで、現実を直視できなかったんです。

    じゃあ、逆に「意味のある情報」って、どんなものでしょうか?

    それは、自分の“今”に関係あるもの。
    つまり、目の前の現実にしっかりと結びついている情報です。

    仕事でミスして落ち込んでいるなら、「どうすればミスを減らせるか?」を考えるべきだった。
    苦手な同僚がストレスなら、「その人に反応しないコツは?」を探して行動すればよかった。

    つまり、イヤだと思っている現実にちゃんと目を向けて、その原因をひとつずつ改善していく。
    それこそが、人生を少しずつ変えていく本当の力です。

    「でも、スピリチュアル的な方法で、一発逆転できるんじゃないの?」

    そんなふうに思ったこと、私にもあります。

    でも、たくさんのスピリチュアルを見てきた今、思うのは――
    結局のところ、それもただの現実逃避で終わってしまうことが多いということ。

    確かに「物事のとらえ方」が変われば、心はラクになります。
    でも、目の前の現実そのものが都合よく変わってくれることは、ほとんどありません。

    じゃあ、どうしたら人は「幸せ」になれるんでしょうか?

    この問いに、私はこう答えます。

    人は、幸せになるために生まれてきたんじゃない。
    なぜなら、この世は「魂を磨くための修行の場」だからです。

    私たちの魂は、いろんな経験を通じて成長するために、あえてこの不完全な世界に生まれてきた。
    だから、不幸なできごとにも、実はちゃんと意味があるんです。

    そして面白いことに、不幸を体験した人ほど、ちょっとした幸せを強く感じられる。
    幸福度を「80→90」に上げるより、「-10→10」にする方が簡単です。

    たとえば、満腹で高級ワインを飲むよりも、運動後に水道水を飲む方が、よっぽど「うまい!」と感じる。
    そういうシンプルな仕組みなんです。

    だから、もし今、現実から目を背けている自分に気づいたら――

    まずは目の前の「イヤなこと」にしっかり目を向けてみてください。

    そして、それをどう改善していくか?に、時間とエネルギーを使ってほしい。

    もちろん、修行の場であるこの世界では、改善すればまた新たな課題がやってきます。
    一度幸せになっても、また別の「試練」がやってきて、幸福度が下がることもある。

    でも、その課題をひとつひとつ乗り越えていけば、
    確実に「幸福の平均値」は上がっていきます。

    気持ちの切り替えも早くなり、不幸を感じる時間が短くなる。
    その分、感謝したり、幸せを感じられる時間が増えていくのです。

    結局、こういうことなんだと思います。

    この世は修行の場。
    だからこそ、苦しみとちゃんと向き合うことで、結果として「幸せ」でいられる時間が増えていく。

    本当の幸せは、どこか外にあるんじゃなくて――
    目の前の「イヤな現実」の中に、ちゃんと隠れている。

    だからこそ、今世の宿題を果たしていきましょう。
    それが、自分がこの世に生まれてきた意味を見つける道になるのだと思います。

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  • 不運を幸運につなげて人生うまくいく

    不運を幸運につなげて人生うまくいく

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    不運だと感じる時ほど、この不運は後になって幸運に繋がるための布石。

    そう思い込みたくなる時期があると思います。

    ところが、実際には、何も得るものがない不運と、幸運に繋がる不運の二つがあります。

    前者と後者は、人生において混ざってやってくるので、区別するのが難しいです。

    両者をゲームで例えてみましょう。

    ゲームは初めは楽しいものの、やがて飽きてきます。

    そこで、次のMAPや狩場に進んで新しい敵と戦うことになります。

    ただし、次の狩場はそれなりに自由に選べるので、選び方はプレイヤー次第です。

    敵を倒した後に得られるアイテムが高価で経験値が多い狩場に行きたくなるのは当然といえば当然です。

    同時に、そこにいるのは強敵ですので、経験も装備もじゅうぶんでないプレイヤーがいくと、即やられます。

    ゲームは何度でもやり直せますので、同じ狩場の強敵に挑むことは可能です。

    さて、何も得ることがない不運といのは、何も対策を立てずに全く同じ状態で挑むことに似ています。

    強敵にやられることがただの不運だったと思い、同じ体験を繰り返し続けます。

    冷静に考えると、おかしいですよね(笑)

    自分の人生を変えられるのは自分だけ。

    そう言いつつ、取るべき対策から目を逸らし、同じ状況のまま挑みます。

    この、同じ体験を繰り返し、わかっているのにやめられない状態が、何も得ることがない不運です

    運命を、本人の意志や力量の及ばない領域だとするなら、わかっているけどやめられなくなっている不運も運命の一つだと思いませんか?

    一方、幸運に繋がる不運の場合はどうでしょうか。

    強敵に挑んで一度はやられる点では同じ不運です。

    ですが、やられた後に、強敵を倒すためにどんな装備やレベルが必要なのかを熟考すると、話が変わります。

    一度の準備で倒せるとは限りません。

    しかし、準備や対策を立てたことで前回よりは強敵を追い詰められたことでしょう。

    その後は、より装備を整えたり攻め方や避け方、それらのタイミングを研究し、いずれは強敵を倒せるようになります。

    敵にやられるという同じ不運な体験をするなら、しっかり対策を立て、今後は強敵に勝利して経験値とアイテムを得るという幸運に繋げたいですよね。

    あなたが過去に体験した不運の中に、何度もくり返している似たような体験はありませんか

    過去の体験から学び、成長し、今後の人生に活かせる日々にしたい方はご相談ください。

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  • 幸せに生きるコツは期待しないこと

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    期待するから、期待通りに現実が進まない時に不満を感じます。

    しかも、期待が大きいほど不満は強くなります。

    逆に、何も期待しなければ、不満もなければ不幸を感じる機会も減るでしょう。

    人は鏡とききますが、私は全てが鏡だと思っています。

    その瞬間に反応したすべてが自分、という感じです。

    他人、組織、社会に対し、不平不満ばかり言う人がいます。

    そうした人物は、期待し過ぎているのかもしれません。

    例えば、あの人はこうしてくれるに違いない、組織や社会とはこうあるべきだからこうしてくれるだろう、云々。

    口では偉そうに批判していますが、実際に改善策を考えることがなければ、具体的になんらかの行動を取っているわけでもなさそうです。

    本当に現実を変えようとしている人は、批判を言っている暇なく動いていますからね!

    勝手に期待して、勝手に裏切られる。

    世の中が自分の思い通りになると思っている。

    ワガママというか、お子様というか、世間知らずといったところでしょうか。

    こうした状態になっていることに氣づき、理解するために、自分のことを棚に上げ、他人、組織、社会に不平不満を言っているのかもしれません

    不平不満を言わずにいられないくらいに期待しているなら、自分が相手の期待に応えられているかも考えてみましょう。

    相手の期待に応えていないのに、相手にばかり期待するのは、おかしいですよね。

    ただし、相手がこう期待しているに違いないと決めつけないように(笑)

    あるいは、他人の期待に応えられず、自分に自信を持てない人は、自分に期待し過ぎかもしれません。

    期待するのをやめ、現実を受け入れて観察してみましょう。

    そうすれば、何かを勝手に期待して勝手に裏切られて不幸になる機会は減るでしょう。

    自ずと、自分ができることややるべきことに意識が向き、できないことや誰かに任せることの線引きができるようになるかもしれません。

    では、何も期待しないなら、何を基準に生きればいいのか

    そんな声がきこえてきそうです。

    期待≒欲のように捉えることもできますので、人間の原動力として重要だと思うかもしれません。

    その基準は、期待や願いを叶えるなどのポジティヴな動機でもない。

    そして、不安や恐れを解消するなどのネガティヴな動機でもない。

    これなら悪くない。余生を費やしたり、命を賭しても後悔しない。

    そんな感じで、自分自身が納得し、誰になんと言われようとも、環境が変わっても続けられること

    それが天職だったり、今世の宿題の一つなのかもしれませんね。

    何かを期待せずに淡々とこなせること、なんだかんだ続けていることを思い浮かべてみるのもいいでしょう。

    独りでは難しいなら、私も一緒に考えます。

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