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  • 生臭坊主と葬式仏教①

    新千夜一夜物語第8話:生臭坊主と葬式仏教

    『くそ! やられた!』
    青年は激怒していた。

    祖父母はことあるごとにお経を口にし、信心深かった。当然、母方の曽祖父の葬儀は丁重に行われていたはずである。だが、母方の曽祖父は地縛霊化していた。
    葬儀にお金をかけたところで地縛霊化した先祖は救われなかったならば、自分でそれっぽい儀式をしてお経を読んでも同じことではないか。

    先日のお礼を兼ね、青年は陰陽師に会って質問することにした。

    『先日は血脈の先祖供養をしてくださり、ありがとうございました』

    深く頭を下げる青年。声がかすかに震えている。

    「それはいいが、今日はやけに荒れているようじゃな。何かあったかな?」

    声のトーンや表情から、青年の怒りを察した陰陽師が訊ねた。

    『話は他でもありません。葬式のことです』

    「で、葬式がどうかしたかな」

    『葬式代はどうしてあんなに高いのでしょうか? しかも、高い葬式代を支払ったのに、結局僕の母方の曽祖父は地縛霊化していましたし、あれじゃ何のために葬式をやったのかわけがわかりません』

    陰陽師はしばらく青年の瞳を見つめた後で、おもむろに口を開いた。

    「先日話したと思うが、霊能力がない坊主が仰々しく儀式を行なっても地縛霊は救われん。それでも、昨今の葬儀が主流となっているのにはそれなりの理由があるのじゃ」

    『どのような理由でしょうか?』

    「そなたは“檀家(だんか)制度”という言葉を知っておるか?」

    『言葉は知っていますが、どのような内容かはよくわかりません』

    ばつが悪そうに答える青年。陰陽師はかすかに笑って口を開いた。

    「“檀家制度”が始まったのは江戸時代のことになる。“寺請制度”とも呼ばれ、庶民が縁組、旅行、移転、就職する際には僧侶が発行する証明書(寺請け状)の発行を義務づけたのじゃ。今でいうところの戸籍係の任務を、幕府が寺に引き受けさせたわけじゃな」

    『どうしてまた、そんな面倒そうなことを? 日常生活における大事なことをする時には、その都度お寺の許可が必要ということですよね?』

    「江戸幕府も歴代の幕府同様、封建性を建前としていた。つまり各大名に、土地の所有権を認めていたわけじゃな。しかも江戸幕府の場合、直前に関ヶ原の戦いという、文字通り、天下分け目の戦争をおこない、負けた西軍の大名たちを日本の僻地に追いやったため、税金を徴収するための人口調査を幕府の役人に直接行わせるのを躊躇せざるを得なかったという事情があった。それにキリシタン問題も絡んでおった。豊臣秀吉によって発令されたキリシタン(バテレン)追放令を支持した徳川幕府は引き続きキリシタン弾圧を徹底するために、この“寺請制度”を利用したわけじゃな」

    『キリスト教を厄介払いにするためにお寺に区役所や市役所の役割を代行させたのはわかりますが、それと葬式代が高くなることに、どのような関係があるのでしょうか?』

    「おぬしは、村八分という言葉を知っておるかの」

    「はい」

    「では、その意味はどうじゃ」

    「いいえ、そこまでは」

    「当時、特に地方では、何か悪いことをするとその村に住めなくなり、村の外れの竹やぶなどに住まなければならなかったのじゃが、そんな一家でも二分、つまり子供が生まれた時と人が死んだときだけは、そのことを宗旨人別帳に記載してもらえたわけじゃ」

    「なるほど、それで村八分なわけなのですね」

    納得顔で頷く青年に、陰陽師は続けた。

    「しかもじゃ、 “檀家制度”によって庶民は僧侶の許可がなければ縁組や就職といった日々の重要な活動ができなくなってしまうだけではなく、現代では想像もつかないくらいの上下関係ができてしまった。その結果、庶民は僧侶からの要求を受け入れざるを得なくなってしまったわけじゃ」

    『なるほど、だから、僧侶が決めた葬儀代が高くてもその金額で依頼するほかなかったと。人は必ず死にますし・・・』

    陰陽師は首肯すると、言葉を続けた。

    「大乗仏教といえども今まで托鉢で生計を立てていた僧侶が突然固定客を獲得し、しかも独占事業となったわけじゃ。よほど修行を積んだ僧侶でない限り、欲望が大きくなっていってもそれはそれでしかたないことじゃったのであろう。好き放題できるようになったことで、儀式そのものの種類を増やしていき、檀家から様々な名目でお布施を受け取れるようにしていったわけじゃ。現代でもよく広告・宣伝している先祖供養もふくめ、次々と儀式が拡大していったのはそういった経緯があるのじゃよ」

    『僧侶ということは、先生の鑑定結果でいうところの“1:先導者”階級なのかと思いましたが、僧侶であっても欲望に負けてしまうのでしょうか?』

    「以前にも話したように、宗教の開祖となる人物の魂の階級はほとんどが1なのじゃが、その弟子である2世以降は基本的に“3:ビジネスマン”階級となる(キリスト教等含め、開祖以外の歴代のほぼすべての坊主は2(8)-3)。それに、中国語で書かれたお経を丸暗記するという能力も、“3:ビジネスマン”階級の専売特許のようなものじゃしな」

    『以前に魂の階級と仕事について話してくださったのは、このことだったのですね・・・』

    「そういうことじゃ。信者にはいろんな階級の人が集まってくる。そして、宗教を存続させるためにはお金がどうしても必要じゃ。そうなると、難しい教義を次々と生み出し、お金や人望を集めるのが得意な魂3の人間が実権を握るのは止むを得ない」

    『霊能力がない人が儀式の形だけマネをしているわけですね。魂1で霊能力持ちの人物は稀少でしょうし・・・』

    「既存・新興宗教の信者に限らず、宗教で救われない人が多数存在することには、そういった事情があるとも言えよう」

    『ひょっとして、お彼岸やお盆なども僧侶たちによって作られたのでしょうか?』

    「そういった年忌・命日法要や参拝も、檀家の義務だと僧侶に言われて慣習化されてしまったわけじゃ。ちなみに一つ例を挙げるとすれば、“三十三回忌”なども神道における他界観がベースであって、仏教本来の思想ではない」

    『え! そうなんですか?!』

    「柳田國男という民俗学者の“祖霊の山上昇神説”があってな。神道では死んだ直後の霊を“死霊”=ホトケと呼んでいる。ホトケには個性があり、死穢を持っているとされる。子孫がこのホトケを祀ることによってホトケは段々と個性を失い、死穢が取れて浄化されていく。そして、一定の年月が過ぎ、ホトケが完全に浄化されると“祖霊”となり、この“祖霊”のことを“和御霊”あるいは“カミ”と呼ぶ」

    未知の話に対し、青年はただ頷くばかりである。質問がなさそうなことを確認し、陰陽師は続ける。

    「死者の霊がホトケの段階では山の低いところにおり、そのホトケが昇華・浄化されるにつれて山の高いところに昇っていく。こうして死者の霊が少しずつ穢れや悲しみから離れ、清い和やかな神となっていき、その神がさらに昇華されることによって、“祖先神(祖神)”となると言われておる。そして、祖神になるまでの期間が三十三年と考えられておるのじゃ」

    『今までお盆やお墓参りなどをとても大事にしていたのですが、お話を聞いているうちに、なんだか墓参りをするのが馬鹿らしくなってきました』

    青年は顔を上げ、大きくため息を吐いた。

    『ふと思ったのですが、それは人民救済を説く大乗仏教だからであって、小乗仏教のお寺は違うのではありませんか? 小乗仏教は自らが悟りを開くことを主な目的にしていたと認識していましたので、死者のことを考える暇があるなら目の前の出来事に集中せよと説いていそうですが』

    「そもそも臨終に際して、ブッダは弟子たちに葬式自体を行うことを禁じたわけじゃから」

    『え、そうなんですか』

    「それだけじゃない。ブッダは自らを模した偶像などを作ることも、厳しく禁じたんじゃ」

    『しかし、中国や日本の大乗仏教のお寺に仏像(ブッダの像ではない)があるのはまだしも、タイやカンボジアやインドネシアにも仏像がありますが』

    「うむ、そのあたりが教祖のそもそもの教えが年を経るごとに変質してしまう証拠みたいなものじゃな」

    『なるほど』

    「ところで、大乗仏教の中でもっとも小乗仏教に近いといわれているのは禅宗なんじゃが、そなたは“生臭坊主”という言葉を知っておるかの?」

    『よく聞きますね。僧侶に対する蔑称だと思っています』

    「実は、“生臭坊主”は“ノウマクサンマンダー・バサラダン・・・“という真言の”ノウマクサ“をその語源としているのじゃよ」

    『そうだったのですね! 知らなかったです! 生臭いことを何かのたとえに使っているのかと思っていました』

    「語源を知らない人は、そなたのようになんとなく蔑称だと思っているじゃろうな。それはそれとして、京都では禅宗の二大流派の片割れである臨済宗の坊主が“白足袋様”と今でも呼ばれておるが、その由来を知っておるか?」

    青年は首を左右に振って応える。

    (続く)