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  • 科学や宗教を盲信する人間がいるのはなぜ

    こんにちは!あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    科学や宗教。

    どちらを盲信するにしろ、時代が異なるだけで、人間の根本はさほど変わっていない。

    そんな氣がしています。

    科学的根拠がないから。

    教義ではそれは間違っていると書かれているから。

    自分の言葉では説明できません。

    ですが、自分の考えが正しいということを信じたいから信じる。

    要は、自分が信じたいことを信じるのでしょう。

    その方が、自分にとって都合が良いから

    とある総合病院にて、“もうこの患者は意識が戻りません。奇跡でも起きない限りは”といったことを、医師と看護師から言われたお客様のご家族がいました。

    ところが、私がお客様から依頼を受け、1時間ほど対面で氣功施術をすると、後半のあたりで一度だけかすかに手が動き、翌日に意識が戻りました。

    医師と看護師、あるいは氣功師の私。

    どちらを信じますか?

    きっと、私のことよりも、社会的地位を認められ、多くの人間が信奉する医者のことを信じるはずです。

    大多数の人が信奉する医者を信じる方が好都合であることもわかります。

    氣功や霊能力といった、科学的に証明されていないことを信じていると周りの人に公言したら、人間関係に問題が生じる可能性がじゅうぶんにあります。

    ですから、身の回りの人が信奉している価値観の中で、自分にとって都合の良いものを信じます。

    本当は信じていないけど思考を放棄しているから、科学や宗教といった、その時代で最も信者が多い価値観の信者になりやすいのかもしれません。

    ただし、全ての人間に当てはまるとは思っていません。

    なぜなら、魂の属性転生回数によって傾向があるからです。

    400回ある輪廻転生において、200回未満の比較的若い魂は理系の傾向が高いです。

    加えて、見えない存在を感じ取れてしまい、影響を受ける霊媒体質と、まるで感じ取れない唯物論者/非霊媒体質の二つに大別されます。

    非霊媒体質が科学寄りであることは、言うまでもありません。

    しかも、霊媒体質と非霊媒体質の比は3:7と、後者の方が多いです。

    そう考えると、科学を信じる傾向にある人間が多いことに納得できるものです。

    さて、氣や念や霊能力が物理学者などの実験によってその存在を認められたら、科学主義者たちは信じるでしょうか。

    おそらく、信じないと思います(笑)

    なぜなら、結局のところ、その人間たちは科学を信じているのではなく、自分の考えが正しいと信じているからです。

    自分の言葉や何らかの方法で自分を表現する。

    私は他人の言葉と自分が体験したことを交えて考えるようにしています。

    それがあなたにしかできないことであり、あなたの今世の宿題の一つに含まれているのかもしれませんね。

    そんな人生にコミットしたい方は、ご相談ください。

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  • 魂の属性②

    新千夜一夜物語第9話:魂の属性とこの世の善悪

    『ええっと、まず一番目の1/2は文字通りの“善悪”、別の言い方をすれば“執着”で、二番目の1/2は世の中に対して“厭世的”というか、“世の中に対し斜に構えている”性格かどうか。三番目の1/2は、他人に対しての“攻撃性”があって愚痴や文句が多いかどうか。四番目の1/2は、“人に受けた恨み/つらみを忘れず、執念深く覚えている”という性格かどうか。五番目の1/2は、“自己顕示欲”で、スポーツ・芸能・芸術を始め一般的な生活を営むにあたり必須な性格かどうか。おおまかに言うとこんな感じだったかと・・・』

    「細かい部分はさておき、大意は把握しているようじゃな」

    陰陽師が短く頷くのを見、青年は安堵のため息を吐く。

    「先日も言ったことじゃが、この1/2は世間でいうところの善悪ではないからの。あくまでその人が持っている性質というわけじゃから、全て1だから優れているとか、全て2だから迫害されるべきだとか、そういった意味ではないことをくれぐれもはき違えぬようにな」

    『前回ご教授いただいたように、これらの違いは、上下関係はなく、個性や性格の違いという感じで捉えています』

    真剣な表情で青年はうなずく。

    「そうであれば話を次に進めるとするが、そなたの場合、魂の属性3じゃから霊媒体質。中段と下段の1は“1・3・5・7・9”と五つの数字に分かれ、中段の1は霊媒体質の強さ、下段の1はそなたが魂1のグループに属性しているということを示しておる」

    『僕の場合、霊媒体質がもっとも強いグループなのですね。下段が1ということは、もっとも優れているグループという意味ではなく、あくまで1に所属していると』

    青年の言葉を聞き、陰陽師は満足そうに頷く。

    「次の魂の性質じゃが、上段の数字は4と7がある。ここもわかりやすく言うと性格のようなものを表しており、4の人物は温和で争いを好まず、周囲の意見に協調しやすい性格を有しているのに対して、7の人物は自分の主義主張をハッキリ表現する傾向が顕著じゃ」

    『僕の場合は4なので温和で同調しやすい性格なのですね。それなりに自覚があります』

    「下段の数字は“親近性”を示しておるのじゃが、1に近いほど裏表がない性格となり、9に近づけば近づくほど、腹に一物があったり、二枚舌であったり、性格が荒くなる傾向がある」

    『ということは、上段の数字が7で下段の数字が9ですと、世間一般でいう犯罪者タイプということになるわけなのでしょうか?』

    「いささか極端な表現ではあるが、そう理解してもらっても問題ないじゃろうな」

    『なるほど、了解です』

    「7(9)を世間一般でいう犯罪者タイプとすると、その対になる4(1)に近づくほどよさそうな印象を受けるじゃろうが、実はそう単純な話でもない。上段の数字が4であっても下段の数字が9の人物の場合、表面では同意している素振りを見せておきながら裏では言葉と裏腹の行動を取る可能性が高いのみならず、時には、世間を騒がすような重大事件を引き起こしたりもする」

    『つまり、誘拐事件や殺人事件ということですね』

    「そのとおりじゃ」

    『しかし、それでは4(9)であれ、7(9)であれ、どちらも悪者ということになるじゃないですか』

    「そう言ってしまうのとその通りなのじゃが、4と7の違いをもう少し具体的に説明すると、同じ事件を起こしても、4(9)の場合は、周りの人間がどうしてあの人がこんな事件を、と驚くに対し、7(9)の人間が同じ事件を起こした場合、周りの評価は、あの人ならそんなことをしでかす可能性は大いにある、といった具合になるわけじゃな」

    『なるほど』

    「一方これが9(9)あたりになると、周囲の評価は、あの人間ならいつかはこんな事件を起こすと確信していた、となるわけじゃな」

    納得顔で頷く青年を横目で見ながら、陰陽師は先を続けた。

    「話を4と7に戻すと、たとえば、4(5)と7(1)の人間の場合、その後ろに続く数字が1-1-1-1-2と共通しているため、基本的な性格の強さがほぼ等価ということもできるのじゃが、4(5)が何かの提案に対して同意を示したとしても、その実腹の中では真逆のことを考えている可能性があるのに対し、7(1)の場合は、納得できないことにははっきりとNOと言う反面、一度YESと言ったことには最後まで責任を持つといった傾向が強い」

    『つまり簡単に言うと、7(1)の人間の方が自分の主義・主張をハッキリしてくれる分、行動が荒いのかもしれませんがまだわかりやすそうですね』

    「じゃからこそ、一部上場企業の大方の社員や世を動かす多くの人間は、ここの番号が7(1)か7(3)になっているわけじゃがな」

    『なるほど』

    「繰り返しになるが、今までの説明はあくまでも各々の数字を持った魂がこの世でどう見えるかという話であって、それをもって魂や人間の優劣を決めるものではないということをよく理解してほしい」

    『了解しました』

    大きく頷く青年を横目で見ながら、陰陽師が話を続けた。

    「今まで説明してきた善と悪という概念についてより正確な認識を持ってもらうために、今度は別の例を使って説明しよう」

    『お願いします』

    陰陽師は紙に二つの図を描き、説明を始める。

    「例えば、そなたのように善側の人間を“清流に住むイワナ”、悪側の人間を“下流の沼地に生息するウナギやナマズ”と分類したとすると、両者が一緒に生活をすることには、生物学的に考えて無理があると思わんか?」

    『たしかに、おっしゃる通りだと思います』

    「実際、繊細な魂にとってはその影響は深刻で、たとえば、同じ2(転生回数)-3(魂の階級)-7(具体的気質/OS)-3(具体的性格/ソフト)、魂の属性が3(霊媒体質)の人間同士であったとしても、7(7)(魂の性質と親近性)-1-2-2-2-2(魂の現世における特徴)といった数字を持つ人間と一定の関係を持つだけで、潜在的に抱える精神性疾患が一気に顕在化/深刻化することさえある」

    『一定の関係を持つだけで、ですか。そういえば、相手が特に何かをしたわけではないのに、一緒にいるだけでイライラしたことがあるのはそうした理由だったのかもしれないわけですね』

    陰陽師は首肯して答える。

    「とはいえ、その事実をもって、イワナが“善”でウナギ/ナマズが“悪”だという意味では決してない。現世でこの五つの数字を分析するとそのような結果になるという話であって、それをもって各人/魂の優劣の基準となるわけではないことは先ほども説明した通りじゃ」

    『はい!』

    青年は大きく首を縦に振る。

    「転生回数と魂の善悪の説明をしたことじゃし、いよいよ転生回数と今世の役割について説明したいところじゃが」

    陰陽師は時計を見、青年もつられて時間を確認する。

    「今日はもう遅い。また次回に話すことにしよう」

    『今日も遅くまでありがとうございました。またよろしくお願いいたします』

    青年は席を立って頭を下げ、部屋を後にする。
    善悪というのは表現や見方であり、立場や性質の違いに過ぎないのだということを再び自分に言い聞かせ、青年は玄関の扉を開けるのだった。

    ご自分に先祖霊による障害があるかどうかか気になる方は、

    までご連絡ください。