カテゴリー: 未分類

  • 科学や宗教を盲信する人間がいるのはなぜ

    こんにちは!あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    科学や宗教。

    どちらを盲信するにしろ、時代が異なるだけで、人間の根本はさほど変わっていない。

    そんな氣がしています。

    科学的根拠がないから。

    教義ではそれは間違っていると書かれているから。

    自分の言葉では説明できません。

    ですが、自分の考えが正しいということを信じたいから信じる。

    要は、自分が信じたいことを信じるのでしょう。

    その方が、自分にとって都合が良いから

    とある総合病院にて、“もうこの患者は意識が戻りません。奇跡でも起きない限りは”といったことを、医師と看護師から言われたお客様のご家族がいました。

    ところが、私がお客様から依頼を受け、1時間ほど対面で氣功施術をすると、後半のあたりで一度だけかすかに手が動き、翌日に意識が戻りました。

    医師と看護師、あるいは氣功師の私。

    どちらを信じますか?

    きっと、私のことよりも、社会的地位を認められ、多くの人間が信奉する医者のことを信じるはずです。

    大多数の人が信奉する医者を信じる方が好都合であることもわかります。

    氣功や霊能力といった、科学的に証明されていないことを信じていると周りの人に公言したら、人間関係に問題が生じる可能性がじゅうぶんにあります。

    ですから、身の回りの人が信奉している価値観の中で、自分にとって都合の良いものを信じます。

    本当は信じていないけど思考を放棄しているから、科学や宗教といった、その時代で最も信者が多い価値観の信者になりやすいのかもしれません。

    ただし、全ての人間に当てはまるとは思っていません。

    なぜなら、魂の属性転生回数によって傾向があるからです。

    400回ある輪廻転生において、200回未満の比較的若い魂は理系の傾向が高いです。

    加えて、見えない存在を感じ取れてしまい、影響を受ける霊媒体質と、まるで感じ取れない唯物論者/非霊媒体質の二つに大別されます。

    非霊媒体質が科学寄りであることは、言うまでもありません。

    しかも、霊媒体質と非霊媒体質の比は3:7と、後者の方が多いです。

    そう考えると、科学を信じる傾向にある人間が多いことに納得できるものです。

    さて、氣や念や霊能力が物理学者などの実験によってその存在を認められたら、科学主義者たちは信じるでしょうか。

    おそらく、信じないと思います(笑)

    なぜなら、結局のところ、その人間たちは科学を信じているのではなく、自分の考えが正しいと信じているからです。

    自分の言葉や何らかの方法で自分を表現する。

    私は他人の言葉と自分が体験したことを交えて考えるようにしています。

    それがあなたにしかできないことであり、あなたの今世の宿題の一つに含まれているのかもしれませんね。

    そんな人生にコミットしたい方は、ご相談ください。

    お問合せは《こちら》から

  • お坊さんのいない法事

    5万円の神事によって、一度で確実にご先祖さまに成仏していただけます。

    ・毎年のお盆や年忌法要に意味を感じない。
    ・お坊さんの仏事に対して疑問を感じている。
    ・ご先祖さまがちゃんと成仏できているか心配。

    そう思っているあなたにお伝えしたいことがあります。
    実は、当ウェブサイト経由でご依頼いただく先祖供養を一度行うだけで、ご先祖さまは確実にあの世に戻れます。
    無事にあの世に戻ることで、その後の五十回忌までに渡る法事や法要、毎年のお盆の先祖供養をする必要はなくなります。

    ただし、上記のことは、あくまで霊的な観点から述べたことであって、法事や法要そのものが不要だと主張しているわけではないこと、ご理解いただけたら幸いです。

    例えば、お盆には家族が顔を合わせ、ご先祖さまのことを思い出すという意味合いがありますし、盆踊りや精霊流しといった、お祭りのようなイベントもありますので、そうした楽しみを体験することは重要だと私は考えます。
    ですが、

    ・ご先祖さまに祟られたくないから…
    ・やらないとバチが当たりそうだから…
    ・毎年やることが義務だと思っているから…

    といった消極的な理由で法事を依頼しているあなたにとって、必ずしも、法事や法要をしなくてもいい、ということが伝わったら幸いです。
    リモートで行うため、何かを用意していただく必要はありません。

    先祖供養を検討している方はコチラからお問合せください。

    一度の先祖供養で十分な理由 

    私たちが先祖供養を依頼する主な動機は、

    ・良いことをして徳を積みたい
    ・ご先祖さまに成仏してもらいたい
    ・ご先祖さまにあの世で幸せになってほしい

    といったところでしょうか。

    あの世、極楽浄土、天国などなど、言葉は異なりますが、要は、ご先祖さまが死後に幸せならいいわけです。
    逆に、ご先祖さまが死後、不幸になっているのはどんな状況でしょうか。

    成仏できていない、あの世に行けていない、地獄に落ちているといった状況でしょう。

    つまり、死後に行くべき場所に行けているかどうかが重要となります。

    一説によると、人が死後、魂が肉体から離れた直後、あの世に通じる扉が開かれます。
    この扉はすぐに閉じてしまうので、亡くなったらそのまま、その扉を通ればあの世に戻れます。

    あの世に戻った魂は、この世で換算すると28年間をあの世で過ごします。
    生前を振り返り、来世にどのような課題を果たすかを決めると言われています。

    しかしながら、死後、この世になんらかの未練があり、扉を通らなかった場合、この扉は閉じてしまいます。
    しかも、一度閉じてしまった扉を自力で開けることはできないそうです。
    そうなってしまうと、そのご先祖さまはこの世をさまよう地縛霊となってしまいます。

    そうして地縛霊化してしまったご先祖さまにあの世に戻っていただくには、
    強い霊能力を持つ“霊能力者/陰陽師”に依頼するしかありません

    ですから、真にご先祖さまが成仏し、無事にあの世に戻ってもらいたい方は、一度ご相談いただけたら幸いです。
    リモートで行うため、何かを用意していただく必要はありません。

    先祖供養を検討している方はコチラからお問合せください。

    儀式そのものに霊的な意味はない

    あえてハッキリと書いてしまいますが、
    法事・法要そのものに、霊的な意味はありません。

    その理由は、先ほど述べたように、
    大事なのは、霊能力を持っている人物に依頼するかどうか。
    だからです。
    ※仏陀、キリスト、安倍晴明、モーゼといった偉人レベルの霊能力が必要です。

    しかも、霊能力の強さは生涯変わりません。
    仏教のとある宗派では厳しい修行に取り組んでいますが、修行の内容や期間と霊能力の強さは関係がありません。

    そして、修行を経て霊能力を得られるなら、修行したであろう坊主が管理している墓地で幽霊を見かけることはないはずです。

    つまり、成仏させられない坊主が何年修行をして、何度先祖供養をしても、あなたのご先祖さまは成仏しません。

    確かに、強い霊能力を持つ坊主がごく稀にいるかもしれません。
    ただ、そんな坊主がどこにいるか、ほとんどの人は知ることができません。
    探すにしても、一度に何万円もかかる先祖供養を何度も依頼することは、あまりお勧めできません。
    余談ですが、

    法事・法要の相場は一回1万円〜5万円
    一周忌〜五十回忌までに10回としますと、10〜50万円

    かかります。
    ところが、ご先祖さまは、一度でもあの世に戻れればそれで十分なのです。

    ですから、5万円の神事を一度だけご依頼いただき、ご先祖さまに無事にあの世にお戻りいただくことが、
    子孫である私たちがご先祖さまにできる、必要最低限の孝行となります。
    ※続柄とお名前がわかる方のみ、対象となります。

    お盆も法事も、家族が久しぶりに顔を合わせる機会であり、ご先祖さまを思い出すきっかけとしても大事な用事だと考えております。
    ただ、ここまで読んでくださったあなたにとって、
    もっとも望ましい先祖供養の仕方を模索していただけたら幸いです

    ご先祖さまが無事にあの世にお戻りになった後、私たちはどうすればいいのでしょうか。
    答えはそんなに難しくありません。
    あなたがこの世に産まれてきた意味を果たすべく、目の前のことに全力で向き合い、悔いのない日々を過ごしてください。
    そうすれば、あなたがこの世を去る時に地縛霊化することはなく、無事にあの世に戻れるはずです。

    ”出逢いは必然”。
    つまり、この”出逢い”には、人同士に限らず、このランディングページと、今こうして訪れているあなたとの”出逢い”も必然のようです。

    ひょっとしたら、地縛霊化しているあなたのご先祖さまや、あなたの大切なご友人やペットがあなたに救いを求めて、このランディングページに導いてくださったかもしれません。
    少しでもご先祖さまや故人やペットのことが気になりましたら、ぜひ、ご相談ください。
    ご相談は無料にて承ります。
    リモートで行うため、何かを用意していただく必要はありません。

    先祖供養を検討している方はコチラからお問合せください。

    お客様の声

    ◎旦那親族のご先祖さまの先祖供養を依頼したのですが、今朝背中側からとてつもない清涼感とあたたかい感謝の気持ちが一気に溢れてきました。ほぼ同じタイミングで、御社から”神事がつつがなく完了しました”との連絡がありました。(30代女性)
    ◎これまで、自分ができることに全力で取り組んだものの、仕事も人間関係もうまくいきませんでした。きっと、自分は呪われていたり、何かが憑いていると思いました。そこで、神社やお寺での神頼みやお祓いやお墓参りなどを受け、さらに陰陽師や霊媒師や気功師と名乗る人物に教えを請うていろんなものを受けましたが、改善しませんでした。今となっては仕事もうまくいき、お互いに結婚を考えている女性とも出会え、今までの頑張りの報われなさは何だったのか、不思議でしょうがないです。先祖供養を受けて本当によかったです。心から感謝しています。(30代男性)
    ◎私に否定的な祖母が、祖父が好きだったあの子に優しくしなくては、と言い出したそうです。起き上がるのが辛いくらいの私の頭痛が減りました。そして、頭の中にあった祖父の生家の近くにいくことができ、その時に体がピリピリしました。相性の良い場所はピリピリし、悪い場所は冷や汗や熱が出たりします。(30代女性。亡くなった祖父に対する神事のご依頼)
    ◎(宮澤賢治)先生がついにあの世に戻られてうれしいです。没後もう長いので、あの世で休まれてほしいです。そして、虹が出ました!気づいてすぐ消えてしまいましたが、嬉しいです。(30代女性。宮澤賢治の子孫ではなく、ファンの方)
    あの人は成仏しているだろうか?と頭によぎったあなたは、ぜひ

    コチラからお問い合わせください。

    ◎あとがき

    ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

    私の人生の目的は、一人でも多くの地縛霊を救うことです。

    生きている私たちは、反省し、行動を改めることで過去を償い、過去の捉え方を変え、やり直すことができます。
    しかしながら、地縛霊化してしまった故人は肉体を持たないため、やり直すことができません。
    死後から、あなたがこの文章をお読みになっているこの瞬間もずっとです。

    私は学生時代にいじめられ、誰にも助けてもらえなかった過去があります。
    地縛霊たちは霊感がない人物には気づいてもらえません。
    気づいてもらっても、地縛霊を救える人物は稀有なため、見てみぬふりをされてしまいます。

    そんな地縛霊たちを本来の輪廻転生のサイクルに戻すには、ここまで読んでいただき、地縛霊の存在と、地縛霊に対する想いが湧いた、あなたの助けが必要です。

    私はあなたの相談に対し、できる限り対応したいと考えております。
    ぜひ、一度ご連絡を頂けたら幸甚でございます。
    リモートで行うため、何かを用意していただく必要はありません。

  • 先祖霊の奉納救霊祀りのご案内

    突然ですが、あなたのご先祖様は、無事に成仏していらっしゃいますか?

     

    自信を持ってYESと言えないあなたのご先祖様は、ひょっとしたら、肉体から離れる際に、この世になんらかの未練や執着があって地縛霊化しているかもしれません。

    あるいは、お葬式や法要をしっかり行なっているあなたは、自信を持ってYESと言えるでしょうか。

     

    誠に残念ながら、あの世とこの世合同会社の見解では、あなたのご先祖様の多くが成仏できていないと、お伝えせざるを得ないのが実情です。

    なぜでしょうか?

    そして、どうすればご先祖様にしっかり成仏していただけるのでしょうか?

     

    その理由と、ご先祖様にしっかり成仏していただく方法について、ご説明いたします。

     

    ◎あなたのご先祖様は、なぜ成仏できていないのか?

    《地縛霊とは》

    人は、臨終の際に魂が肉体を離れ、あの世へ通じる扉を通って成仏する/あの世に戻るのですが、この世に未練や執着があって決められた時間内に扉を通らなかった場合、あの世への扉が閉ざされてしまいます。しかも、一度閉じた扉は自力で開けることができないため、その魂はあの世に戻ることができず、地縛霊となってこの世に留まることになります。

     

    その後、あの世へ戻れなくなった魂は、どこへいくのでしょうか?

    あの世へ戻してくれそうな、頼りになる子孫にかかります。

    つまり、今これを読んでいるあなたのような子孫に、です。

    不幸にも、かかる子孫がいない地縛霊は、生前に縁があった土地にかかることになります。

     

    では、地縛霊化してしまうとどうなるのでしょうか?

    地縛霊には、死んでも死にきれない程にこの世に未練や執着があったのは言うまでもなく、しかも、その未練を抱えたまま、あの世に戻りたくても戻れず、苦しみ続けることとなります。

    それだけではありません。

    ご先祖様があの世に戻りたいと、救いを求めてあなたにすがることによって、以下の17つの霊障が、あなたに顕在化してしまいます

     

    ◎17つの霊障
    .財運
    .仕事運
    .精神
    .病気
    .事故/事件
    .家庭
    .親子(親・子との軋轢)
    .男女運(2/悪い(相性の合わない)人間と結婚するという男/女難 or 縁遠さ/同性愛)
    .子宝運(子供を持てないか、産んではならない子を産むことによって苦労する)
    10.伴侶との軋轢
    11.親族(主に伴侶の親族)との軋轢
    12.邪神1(相手の考えていることがわかる/暴力、諸事に支障をきたす)
    13.邪神2(第七感=近い未来がわかる。しかし、12.邪神1同様、霊障であるため、どうでもいい情報は得られたとしても、自分自身のことや人生の大事な分岐点で常に嘘の情報をつかみ、人生の方向性が徐々に本来の方向性からずれていく/暴力ではなく口による攻撃、人的な問題で諸事が前に進まず)
    14.人的トラブル
    15.痛み/危険な発作
    16.天啓/憑依
    17.その他

     

    これまでの人生を振り返って、あなたは上記のいずれかで大変な目にあったり、思い悩んでいることはありませんか?

    やるべきことをやり、向上心を持って日々自己研鑽に励んでいるにも関わらず、結果が伴わないことがあるとしたら、それはあなただけに原因があるのではなく、地縛霊化しているご先祖様の霊障かもしれません。

     

    繰り返しになりますが、ご先祖様はあなたを恨んだり、祟っているわけではありません。
    あなたに助けを求めてすがってきている結果、副次的に17つの霊障があなたに顕在化してしまっているだけなのです。

     

    そして、地縛霊化しているご先祖様の願いはただ一つ、“あの世に戻りたい”という思いだけです。

     

    ◎お寺の葬式、永代供養だけでは成仏しない理由

    そうは言っても、我が家は由緒あるお寺に任せてあるから大丈夫、と思っている方が多いと思います。

    たしかに、永代供養や先祖供養と言えば、神社仏閣に依頼するものとお考えの方が多いと思います。しかし、神社仏閣による永代供養や先祖供養では確実にご先祖様が成仏していただいているとは言えません。

    と申しますのは、そもそもブッダが出家を勧めた理由の一つに、霊的な能力は一代限りということがあります。

    現代の日本のように、世襲で寺を継いでいる僧侶のほとんどに、霊能力はありません
    いくら型通りのお葬式や法要を執り行ったところで、肝心の僧侶自身に霊的な能力がない限り、地縛霊化した霊を救う力はありせん

     

    仮に、お寺のお坊さんがしっかり先祖供養できているなら、お寺や墓地で幽霊が目撃されたり、墓地の近くの物件で怪奇現象が起こることがないはずです。

     

     

    信心深く、高額の代金を支払ってお葬式や法要を行なったあなたとしては、それだけの費用と時間をかけたのに、今もご先祖様が成仏できずに苦しんでいるとしたら、憤りを覚えるかもしれません。

     

    ご先祖様を成仏できない人物が、いったいなぜお葬式や法要、先祖供養を謳っているのでしょうか?

    その理由は、江戸時代の“檀家制度(寺請制度)”に端を発します。

     

    檀家制度”とは、庶民が縁組、旅行、移転、就職する際には僧侶が発行する証明書(寺請け状)の発行を義務づけたもので、今でいうところの戸籍係の任務を、幕府が寺に引き受けさせた制度です。庶民は僧侶の許可がなければ縁組や就職といった日々の重要な活動ができなくなってしまうだけではなく、現代では想像もつかないくらいの上下関係ができてしまいました。その結果、庶民は僧侶からの要求を受け入れざるを得なくなってしまいました。僧侶は好き放題できるようになったことで、儀式そのものの種類を増やしていき、檀家から様々な名目でお布施を受け取れるようにしていきました。現代でもよく広告・宣伝している先祖供養もふくめ、次々と儀式が拡大していったのはそういった経緯があります。

    ※詳しくは、(あの世とこの世合同会社が発行しているNOTE記載の)『新千夜一夜物語 第8話:生臭坊主と葬式仏教』をご参照ください。

     

    葬式と言えばお寺ですが、お寺の葬式や先祖供養は形式的なものであって、お亡くなりになった方を成仏できるから国に任されているわけではないのです。

    お付き合いなどがあり、法要や忌引きを突然止めることは難しいと思われます。

    慣習は慣習として、必要最低限やるべきことは続けていただき、同時に、ご先祖様が地縛霊化していないかを確認していただけたら幸いです

     

    また、ご先祖様だけでなく、あなたにとって大事なご友人や恋人、ペットも地縛霊化していることがあります。その魂たちは、あなたにかかっているとは限りませんが、今も助けを求めて苦しんでいるかもしれません。

    この文章を読んでどなたかのことが思い浮かんだとしたら、ひょっとしたら、その方は地縛霊化していて、あなたに救霊して欲しいとメッセージを送ってきているのかもしれません

     

    繰り返しになりますが、先祖霊は霊的に頼りになる子孫をしっかり見極め、かかっています。

    理由としては、仮にあなたが先祖霊を救霊しなかった場合、あなたにかかっている先祖霊は、あなたが亡くなるまで他の子孫にかかることはないため、あなたが生まれてからあの世に旅立つまでの何十年間も苦しみ続けるというリスクがあるからです。

     

    自分には関係ない、そんな役割はない、と思うかもしれません。

    ですが、故人に対して少なからず思うところがありましたら、地縛霊化しているかどうかの確認だけでもご依頼いただけたら幸いです。

     

     

    ◎ご先祖様に成仏していただくには?

    ここまで読んだあなたは、すぐにでもご先祖様に成仏していただきたい、と思ったことでしょう。

    では、どうしたらいいのでしょうか?

     

    ご先祖様に無事にあの世にお戻りいただくには、真に力を持った“霊能力者”に依頼することが必須となります。

    しかしながら、世の中には“霊能力者”と自称する人物が多く、誰に依頼すべきか、あなたには判断がつかないと思います。

     

    大日不可思議が提供しております“人物鑑定”では、対象の人物が“霊能力持ち”かを鑑定し、さらに、“霊能力持ち”である場合は9段階まで数値化しています。

    ここで重要なのは、9段階ある霊能力の中でも、本当の意味での先祖霊の神事ができるのは、上位1〜3段階に属する人物となります。

    そのような意味で、最上位の霊能力を持っている霊能力者集団である「大日不可思議」に神事を依頼する限り、間違いなく神事を執り行うことが可能となります。

     

    しかも、“霊能力”は、先述しましたように、修行によって得られるものではなく、一代限りの能力です。そのため、お坊さんや神主さんたちが修行をしたところで “霊能力”を得ることはできません

     

    ※もちろん、お坊さんや神主さんの中には上位に属する“霊能力持ち”の人物はいるかもしれませんが、非常に稀有であるため、そもそも出会うことが困難ですし、そのような能力を持った僧侶を特定することは、一般の方々には不可能です。

     

    では、それに満たない下位の霊能力者や、そもそも霊能力を持たない人物に依頼した場合、どうなるのでしょうか?

     

    それは、“除霊”になります。

     

    大日不可思議が執り行なっている“先祖霊の奉納救霊祀り”は、地縛霊化しているご先祖様にあの世にお戻りいただく”救霊”となりますが、“除霊”は地縛霊が今かかっている人や場所から強引にどこかへ移動させるだけで、根本的な解決とはなりません。

     

    “除霊”を受けたあなたは、ひょっとしたら、何らかの症状が軽くなるかもしれません。

    ですが、あの世に戻りたいと願い、あなたにすがってきていたご先祖様は、依然としてこの世のどこかで苦しんでいるのです。

     

    *本来であれば、魂は肉体を離れた後にあの世に戻り、この世の時間でいう28年間をあの世で過ごし、今世の振り返りと来世の課題を決めて再びこの世に産まれます。この輪廻転生を400回繰り返すのが、大日不可思議の教義の根幹の一つとなります。

    つまり、この世に留まっている間は魂磨きの修行が中断してしまうため、あの世の視点から考えても、望ましくない状況になっているのです。

     

    今のあなたにも、少なからず後悔している過去があると思います。

    生きている私たちはそれなりに人生をやり直すことができますが、お亡くなりになった方々は肉体がないため、この世でやり直すチャンスはありません。

    死してなお後悔の念を抱き、お亡くなりになった方々の中には1000年以上もこの世に留まり続けているご先祖様もいらっしゃいます

     

    そのようなご先祖の方々が、大日不可思議の“先祖霊の奉納救霊祀り”を通じて、無事にあの世にお戻りになり、さらにあなたが抱えている霊的な重荷が取り除かれ、本来歩むべき人生を体験し、悔いなく今世の使命を全うしていただけたら幸いです。

     

     

     

    なお、一般的な先祖供養では、儀式や御供物を通じて祭祀を行うことが多いですが、大日不可思議が執り行う“先祖霊の奉納救霊祀り”では、あなたに宗教的な物や飲食物等のご用意や、特定の場所への移動など、何らかのアクションを取っていただく必要はありません。

     

    また、先祖霊を救霊することにより、副次的に17の霊障が解消されますが、効果には個人差があることと、人生がうまくいったり、お金や社会的地位といった現世利益を確約するものではないこと、ご了承いただければと思います。

    ◎ご感想

    心身の健康が安定しました。
    先祖霊の奉納救霊祀りを受ける前は、年に1〜2回ペースで重い感染症等に罹患したり、救急搬送されるような体調不良に見舞われていました。
    大きな病院へ搬送されても内蔵の異常を見過ごされ、発見が遅れて重症化したこともあります。

    先祖霊の奉納救霊祀りを受けてから2年近く経ちますが、1度も大病にかかっていません。

    お水が美味しくなりました。
    お水に対する神事をして頂いてから、水道水の匂いや味が確実に変化しました。
    目に見えないものを信じないパートナーから浄水器をつけたの?と聞かれる程でした。
    異性関係の悩みが減りました。
    元から異性関係の悩みが多く、決して良い恋愛とは言えない恋愛が多かったです。満たされず、安心できない関係性ばかりでした。
    劇的な変化があった訳ではないですが、少しずつ時間と共に異性関係の悩みが減ったように感じます。(20代女性)

    パートナーの先祖霊の奉納救霊祀りの効果がだいぶ出てきているようで、
    グループホームの定員がMAXになったようです。
    昨年は人数がなかなか集まらなくて1日営業することが多かったのですが、
    今回はその必要がなく、
    自然に人が集まりました。(30代女性)

    先祖霊の奉納救霊祀りのお陰か、主人に出征の話が出たようです。
    長年悩んでいた職場での人間関係も改善され始め、主人も大変喜んでおります。
    (30代女性)

    なんだか最近、人との出会いが神がかっているかのように、
    素晴らしい方と知り合うことができています。

    新年早々、僕にとってとてもプラスになりそうな方に出会うことができました。
    これからその方とともに、自分のやりたかったことが達成できるよう、
    いろいろ試してみたいと思います。(20代男性)

    父親の先祖霊の奉納救霊祀りを依頼した日から、父の癇癪が一度もありません。
    さっそく効果が出ています。(20代女性)

    ピルの継続処方と一緒に、子宮頸癌とエコー検診を受けてきました。
    2年前、先祖霊の奉納救霊祀りを受ける前は左卵巣が腫れ、
    チョコレート嚢腫があったのに、今はとても綺麗で腫れも完治しました。(30代女性)

    約4年間毎日の悪夢に悩まされていましたが、先祖霊の奉納救霊祀りをお願いしてから、
    やっと朝まで眠ることができました!
    睡眠外来や精神科にも通いましたが、さほど効果がなく諦めていたので、本当に助かりました。
    自分が想像もし得ない内容の悪夢や、人為的な悪意を感じる悪夢(自分が苦しむポイントを押さえたような感じです)に苦しんでいる方がいらっしゃいましたら、心からお勧めします。(20代女性)

    一日過ごした実感だと、ちょっとしたミスでも落ち着いて対処できました。
    今までなら慌てたりマイナスに考えて落ち込んでいたと思います。
    頭の回転も良好でさっそく効果を実感しています。(20代女性)

    お陰様で毎日充実した日々を過ごしております。素晴らしい人たちと出会うことができ、縁が広がり、刺激を受けています。何より、ほとんどの人に嫌われません。むしろ好かれて嬉しいです。どうぞお体にお気をつけて、ますますのご活躍をお祈りしております。(40代女性)

    ご相談はこちらからお願い致します。

  • お盆をクリスマスのように楽しむ

    もうすぐお盆の時季ですね。

    • お盆でどんな用意をすればいいのか?
    • きちんと決まった用意をしなければならないのか?
    • ちゃんと用意しなければ、バチが当たるのではないか?

    そんなお悩みを抱えているあなたにお伝えしたいことがございます。

    お盆で用意すること

    私が思うに、お盆で用意することは、大きく分けて二つです。

    ①その日に家族が食べたい料理
    ②玄関や家の周りに着ける電飾

    なぜこの二つになるのか、説明していきます。

    ①その日に家族が食べたい料理

    お盆に限らず、故人へのお供物として料理を用意しますが、その理由はお盆という言葉にあります。

    柳田國男氏の書籍によりますと、
    お盆のという漢字は“瓫と書きます。

    この漢字には行器”(ホカイ)食べ物を入れて神霊に供える器という意味があります。

    そして、食べ物を供える対象である神霊には祖霊、すなわちあなたのご先祖さまの魂も含まれるようです。

    つまり、ご先祖さまに食物を供えるという習俗お盆には含まれているわけです。

    しかしながら、よく考えればわかるように、ご先祖さまや故人は肉体を持っていないため、食物を必要としません。

    ですから、わざわざご先祖さまのためにと、家族の分とは別に料理を用意する必要もありません。

    よく故人がお腹を空かせてしまうから、といった話を耳にしますが、肉体がない以上、空腹、胃が空っぽになるということがありません。

    仮に、故人が食べ物を必要としているなら、お供えした料理が減るはずです。

    では、食べ物を供える意味がないなら、ご先祖さまに何もしなくていいのでしょうか。

    お盆というイベントにおいて、せっかくなら、ご先祖さまのために何かしたい、ということでしたら、ご先祖さまを供養しようというそのお気持ちでじゅうぶんだと私は考えます。

    そうは言っても、気持ちだけでなく、ご先祖さまへの感謝の気持ちを示すために、何らかの行動をしたいという方もいらっしゃると思います。

    “故人がお供えした物の気を食べている”
    “あの世への子孫からのお供えによって、故人に対する審判の判断基準が変わる”

    という説もあるようですし。

    そんなあなたは、お盆の期間に用意した料理を味わって食べてください。

    一口食べて、料理が減るごとに、今、ご先祖さまと共に食事している。

    そう思い、目の前の料理をお供えしつつ、家族で食事を楽しみましょう

    きっと、ご先祖さまも、しんみりと暗い雰囲気で一緒に食事をするよりも、賑やかに、明るい雰囲気で食事をすることを望んでいることでしょう。

    ですから、クリスマスパーティーのように、あなたとご家族が楽しんで食べられる好物やご馳走を用意するのもいいかもしれませんね。

    たとえば、こんな風にするのもよろしいかもしれません😊

    <引用元:シャーマンキング>

    よく、ナスとキュウリを、牛と馬に見立てて用意するという話が出てきますが、私は気にしなくていいと思っています。

    というのも、お盆で元々備えられていた食材は、ナスとキュウリなどを四角く刻んだ“水の子”と呼ばれる料理でした。

    ナスとキュウリだった理由は、それらはお盆の時季の旬の食材で比較的多く採れたからではないかと私は仮説を立てます。

    今の時代は食べ物に恵まれ、旬を問わずに食材を選べます。

    ナスとキュウリにとらわれず、ご家族で食べたい料理を食べましょう。

    また、一説によりますと、ナスの牛とキュウリの馬は、農作業の際に牛や馬は貴重な労働力だったため、牛と馬を労い、感謝してナスとキュウリを見立てたそうです。

    この説が正しいなら、ナスの牛とキュウリの馬はご先祖さまのためではないこともお分かりかと思います。

    よって、ご先祖さまがナスの牛やキュウリの馬に乗るという話も、後の時代になってから創作されたものでしょう。

    よく、ご先祖さまが家に帰ってくる時は牛に乗ってのんびりと、一方、家からあの世に戻る時は馬で急いでと聞きます。

    なぜ、ご先祖さまを急いで帰らせるかというと、餓鬼などの良からぬ存在がご先祖さまと一緒に着いてくるからだそうです。

    日頃から施餓鬼をし、しかも確実に餓鬼たちがあの世に戻れているなら、心配する必要はありません。

    ですが、良からぬ存在に対して有効な手続きを行えていないから、そうした見えない存在に対して恐れを感じているのでしょう。

    余談ですが、クリスマスといえばチキンですが、元々は牛や豚を食べていたようです。

    ところが、アメリカ大陸に進出した当時のヨーロッパの人々は、現地で牛や豚を飼育することが難しかったようで、その代わりとして、アメリカ大陸に多くいた七面鳥の肉を代用したという説があります

    つまり、キリストの誕生日を祝うためのご馳走であれば、牛や豚に限らず、七面鳥でも良かったのでしょう。

    厳密な決まりではなく、臨機応変に変えても良さそうです。

    ですから、日本固有のイベントであるお盆に用意する料理も気にせず、クリスマスのようにご馳走や家族が食べたい料理を用意するのがよろしいかと思います。

    ②玄関やベランダに着ける電飾

    先に結論をお伝えしますと、これはなくてもいいです。

    というのも、大昔のようにわざわざ玄関の前に迎え火として火を焚かなくても、電気のおかげで現代ではほとんどの家は外灯も室内も明るく、家の場所がわかるからです。

    ちなみに、家の門口に火を焚くことをホーカイと呼ぶようで、①の行器(ホカイ)と音がほぼ同じです。

    ただし、どの家にも明かりがあり、ご先祖さまにとって他の家と区別がつかないのではないか?と心配する方には、他の家と区別するために、クリスマスのようにライトアップするとよろしいかと思います。

    そうは言っても、我が家は昔からの慣習通りに準備したいと考える方がいらっしゃるかもしれません。

    実際のところ、玄関の前に迎え火として置かれていた松明は1230年頃、鎌倉時代から、高灯籠になりました。

    同時に、その頃から、提灯や灯籠、墓参りの風習が始まったとも言われています。

    高灯籠とは、長い竿の先端に提灯を置いて灯す物で、少し形が変わりますが、お盆の時期には“灯籠流し”が開催されています。

    ちなみに、ネット通販でも買えますし、電気式です。

    つまり、時代と共にやり方や道具が変わっていますので、必ずしも松明を用意しなくてもよろしいかと思います。

    そうした形式にこだわることも大事ですが、より大事なことはお盆祭りをイベントとして楽しむことだと私は考えます。

    こちらの画像は、日本一の灯籠流しと言われている、“永平寺大灯籠流し”の画像です。

    この灯籠流しには、お盆の時期にやってきたご先祖さまを送り返したり、水死者や無縁仏を供養する意味があると言われています。

    言い換えると、迎え火に対する”送り火“としての役割があると思われます。

    余談ですが、大雑把に言って死者の魂を川に流す理由は、”ニライカナイ“と関係があると私は考えております。

    ”ニライカナイ“とは、海中や海の向こうにあの世があるという考え方です。

    川に灯篭を流すのは、いずれ川から海に、そしていずれは海の向こうに灯篭とともに死者の魂がたどり着くからと昔の人は考えていたのでしょう。

    川に流す理由として、他に考えられるのは、火葬ではなく風葬が主であった時代では、死体を川に捨てて放置していました。

    現代のインドでも、遺体をガンジス川に流す、水葬が行われているそうです。

    ひょっとしたら、川=死者が還る場所、というイメージがあったのかもしれません。

    地域によっては、迎え火と送り火をともに家の前に設置していたり、送り火は村人全員が海岸に行って火をつけたりと、やり方が異なります。

    この背景には、送り火が何らかの要因で村に火災を招いたため、安全のために海岸で行うようになったという説もあります。

    つまり、送り火の場所はどこでもいいと考えられるわけです。

    ちなみに、現代では、灯籠流しが環境汚染につながるという理由から、やめてしまった地域もあるようです。

    灯籠流しに、本当に死者の魂を供養する効果があるなら、灯籠流しをやめたことで何らかの不幸なできごとが起きたかもしれませんし、環境汚染を考慮した上でも断行すべきではないかと思われます。

    つまり、環境汚染という科学的な理由を優先してやめてしまう行為なら、そもそも灯籠流しにはそこまで霊的な効果があるとは言い難いと、私は考えました。

    それなら、灯篭を流さずに、お盆の時期に灯篭を家族で自作するか、購入して用意するのもよろしいでしょう。

    そうした理由も考慮して、多くの家庭にあると思われる、クリスマスツリーや、電飾をお盆でも使うことを推しました。

    クリスマスツリーや電飾を、年に一度だけでなく、お盆でも使って楽しんでみてはいかがでしょうか?

    もちろん、お盆=提灯(和風の明かり)だと認識している人が多いと思いますので、クリスマスツリーを出すのは室内だけにし、ベランダなどには、トナカイやサンタクロースといったクリスマスを想起させる物を外した電飾で明るくするのが無難でしょうか。

    ここまで読んだあなたは、お盆に対するハードルが下がり、さっそくお盆の準備に取り掛かろうと思ったことでしょう。

    残るは、いつお盆をするか、ですね。

    お盆の期間は諸説ありますが、一番早い始まりの日が7/1で、終わりの日が8/24のようです。

    この期間内でも、昔の太陰暦を意識するなら7/15現代の太陽暦を意識するなら今年は8/1315です。

    この三日間を表盆と呼ぶのに対し、8/24は裏盆と呼ばれています。

    7/18/24まで電飾を出すのは長過ぎる!と感じる方は、お好きな日数に短縮すればよろしいかと思います。

    世間に合わせるなら8/138/15(8/24)に。

    元々の由来に合わせるなら7/15がよろしいかと思います。

    お盆の由来

    なぜ、お盆は7月15日なのでしょうか。

    実は、お盆の由来は、日本の民族信仰と仏教という、二つの説があります。

    過去の日本には、1月と7月の初春と初秋の最初に祖霊が訪れてくるという民族信仰があります。

    ちなみに、旧暦の1/157/15も満月の夜になるそうです。

    そして、この“瓫は、食べ物を入れて神霊に供える器という意味を持つ、ホトキの言葉の一つです。

    この神霊には祖霊、すなわちあなたのご先祖さまの魂も含まれていますので、日本の民族信仰におけるお盆の目的は、“先祖供養”と言えるでしょう。

    また、お盆の盂蘭盆経(うらぼんきょう)”という仏教の経典のから来ているという説があります。

    そして、この盂蘭盆経に初秋の満月の日付(7/15)が書いてあり、日本の民族信仰と仏教の日付が重なっています。

    盂蘭盆経の内容は、ブッダの弟子の一人が、死してなお飢えて苦しんでいる彼の母親を助けようと、食べ物を捧げたというものです。

    彼の供養が功を奏したからか、彼の母親は無事に成仏することができ、彼はブッダに先祖に対して食べ物を供えることは、ブッダの弟子なら誰でもすべきかと問うたところ、YESと答えたそうです。

    この死後も飢えている人物に食べ物を備えて供養することを施餓鬼と言います。

    なお、ブッダは、

    “妻子も、父母も、財宝も穀物も、親族やそのほかあるゆる欲望までも、すべて捨てて、犀の角のようにただ独り歩め

    ブッダのことばースッタニパーターの第一 蛇の章の三:犀の角

    と述べていたようです。

    それなのに、親の供養を勧める旨の記載があることは矛盾していると私は感じました。

    ちなみに、盂蘭盆経は、56世紀に中国で成立した偽経であり、儒教の孝行倫理が影響を受けて創作されたという説があります。

    もちろん、親を大切にする教えは大事だと思いますが、盂蘭盆経がブッダの教えに沿っているとは言いがたいです。

    また、そもそも、この施餓鬼は時季を問わずに行われているため、お盆にやる必要はないものです。

    お盆の時期にお坊さんを呼んで読経をあげてもらう習慣があるようですが、お盆と仏教が関係ないと感じる理由があります。

    それは、盆棚の存在からわかります。

    盆棚とは、お盆の時期に先祖供養をするための棚で、仏壇とは別に、お盆の時期に作る物です。

    もともと自宅に仏壇があるなら、仏壇で一緒に供養すれば盆棚を作る必要はないと思います。

    さらに、先祖供養するのに盆棚が必要なら、盆棚を設置していないお盆以外の時期にお坊さんが仏壇に読経しても、先祖供養としての役割を果たしていると言えるのでしょうか。

    このことから、必ずしもお盆にお坊さんを呼ぶ必要はないことがわかります。

    さらに言うと、村に寺院が設置されていなかった昔は、村人が読経していたそうです。

    村人が読経していたということは、読経はお坊さんの専売特許ではなく、親族や家族が読経しても構わないのです。
    読経は練習すれば誰でも読めます。

    赤の他人であるお坊さんよりも、子孫に読経してもらった方が、ご先祖さまは喜んでくれると思います。

    お盆でわたしたちがすべきこと

    ここまで読んでくださったあなたは、お盆で準備することには厳密な決まりや効果がないことがおわかりかと思います。

    ただし、儀式的な行為に霊的な意味はなくとも、その行為を行おうとする目的があることはじゅうぶんに理解されていると思います。

    その目的とは、大きく分けて二つあります。

    ①先祖供養
    ②無縁仏・餓鬼に対する供養

    これらに共通して行うべきことは、“地縛霊の救霊”となります。

    人は死後、魂が肉体から離れた後に、あの世へ通じる扉を通ってあの世に戻り、この世の時間で28年間かけ、あの世で今世の振り返りと、来世の課題を設定し、再びこの世に転生するという説があります。

    しかしながら、この世に何らかの未練があり、あの世へ通じる扉を通らないでいると、その扉が閉じてしまいます。

    しかも、一度閉じたその扉は、自力で開けることができないそうです。

    そうなると、肉体から離れた魂はあの世へ戻れず、この世をさまよい続ける地縛霊と化します。

    地縛霊化したあなたのご先祖さまは、子孫であるあなたに救いを求めます。

    彼ら/彼女らは霊感があり、見えない存在に対する理解がある、霊的に頼りになる子孫を選んでいます。

    子孫がいない人物が地縛霊化した場合、どうなるのでしょうか。

    そうした地縛霊たちのことを、無縁仏・餓鬼として説明いたします。

    ちなみに、肉体を持たない霊は食べ物を必要としないことはさきほど触れましたので、地縛霊にとって共通している、唯一にして最大の願いが、“あの世に戻ること”です。

    先ほどの地縛霊の話で、霊的に頼りになる子孫に救いを求める、とお伝えしました。

    ただ、現代のように食べ物に恵まれ、平和な世の中ではなかった時代、たとえば戦国時代では、流行病で命を落としたり、餓死したり、戦で若くして亡くなったことで子孫がいなかった人物がいることは、想像に難くないと思います。

    こうした、子孫を持てなかった地縛霊は、救いを求める子孫がいないため、生前に縁があった“土地”にかかことになります。

    お盆では、自宅に帰ってくるご先祖さまと一緒に、餓鬼などのよからぬ存在がついて来るという説があります。

    そのためか、送り火を用意したり、きゅうりを馬に見立て、早く帰ってもらおうとするのは、餓鬼にも帰ってほしいという意図があったと思われます。

    実際、怪奇現象が起きる建物の土地には地縛霊がかかっていることが多く、救霊の神事を依頼した後は、怪奇現象が止まったとのお声がありました。

    昔の人々も怪奇現象を体験し、餓鬼・無縁仏である地縛霊からの被害を受けていたのかもしれません。

    では、ご先祖、無縁仏、餓鬼を問わず、地縛霊にあの世に戻っていただくにはどうしたらいいのでしょうか

    あの世へ通じる扉を開けられるのは、優れた霊能力を持つ人物だけです。

    その霊能力者/陰陽師の力を借りることで、地縛霊は死後からずっと続く長年の苦しみから解放されます。

    霊能力にはピンからキリまであり、地縛霊を確実にあの世に戻せるのは、偉人で言うと、ブッダやキリストや安倍晴明クラスの能力者です。

    また、霊能力の強さは生まれつき決まっており、修行などによって後天的に強くすることはできないという説があります。

    お墓で幽霊を見かけることが多いと耳にすることがあると思われます。

    修行によって霊能力を強くできるなら、修行したお坊さんが地縛霊をあの世に送れることから、お墓で幽霊をみかけることはないはずです。

    このことは、神社で怪奇現象が起こることも同様の理由でしょう。

    つまり、お坊さんや神主は修行をしているからと言って霊能力を持っているとはかぎりませんし、彼らの中から稀有な霊能力者を見つけることは至難と思われます。

    余談ですが、霊感がある人物は全人口の3割という説があります。

    霊感がない7割の人物は、たとえば、私が氣を送っても何も感じません。

    見えない存在は信じない、科学万能主義といった傾向を持つ人物が多いです。

    そうした7割の人物は、霊という存在を信じませんから、当然、ご先祖さまが地縛霊化して苦しんでいることを考えもしませんし、霊能力者/陰陽師に関わろうとしないか、何らかの縁があっても、まともに話を聞こうとしないことが多いでしょう。

    ですから、ここまで読んでくださったあなたは、霊などの見えない存在についてある程度の理解があり、ひょっとしたら霊感をお持ちかもしれません。

    ”出逢いは必然”。

    つまり、この”出逢い”には、人同士に限らず、このランディングページと、今こうして訪れているあなたとの”出逢い”も必然のようです。

    ひょっとしたら、地縛霊化しているあなたのご先祖さまが、あなたに救いを求めてこのランディングページに導いてくださったかもしれません。

    本当の意味で先祖供養をしたい、無縁仏や餓鬼にも供養したいとお考えの、心優しいあなたは、一度ご相談ください。

    そして、本当の意味でご先祖さまが救われているうえで、お盆の儀式をお祭りのように楽しんでいただけたら幸甚に存じます。

    ご先祖や地縛霊を供養したいと頭によぎったあなたは、ぜひ

    コチラからお問い合わせください。

  • 新千夜一夜物語 第54話:硫酸事件と魂の属性

    新千夜一夜物語 第54話:硫酸事件と魂の属性

    青年は思議していた。

    2021年8月24日の夜、白金高輪台の出口のエスカレーター付近で、花森弘卓容疑者が22歳の会社員男性に対し、追い抜きざまに持っていた硫酸を振りかけた事件についてである。
    硫酸は皮膚に触れるとすぐに炎症を起こし、放置しておくと火傷にまで悪化する、極めて危険な鉱酸である。
    被害者の男性は顔に火傷を負い、失明こそまぬがれたが両目の角膜が損傷し、全治6カ月の傷を負った。また、たまたま彼の後ろにいた会社員女性(34)も硫酸が足にかかり、軽い火傷を負った。

    加害者と被害者は大学のサークルの先輩・後輩の関係で、学生時代に被害者が先輩である加害者に“タメ口を聞いたこと”が、加害者が犯行に及んだ主な動機であるという。

    人によって捉え方が異なると思うが、そのような些細とも言えそうな出来事に対し、一生残るような傷を負いかねない硫酸を、しかも顔面にかけるとは、青年には度し難く感じられた。

    加害者はどのような魂の属性を持っているのか?
    今回の事件には、やはり“5:事故/事件”の相が関与しているのだろうか?

    独りで考えても埒が明かないと思い、青年は陰陽師の元を訪れるのだった。

    『先生、こんばんは。本日は硫酸事件について教えていただきたいと思い、お邪魔致しました』

    「先日起きた事件のことじゃな」

    『そうです。僕の見立てでは、加害者と被害者の全員に“5:事故/事件”の相がかかっていると思いますが、それよりも、加害者の魂の属性が特殊なのではないかと思いました』

    そう言い、青年は事件の概要を陰陽師に説明する。
    青年の言葉に耳を傾けながら、陰陽師は3人の鑑定結果を紙に書き記していく。

    花森弘卓SS

    被害者の男性SS

    被害者の女性SS

    3人の属性表を眺めた青年は、小さく唸ってから口を開く。
    『やはり、全員に“5:事故/事件”の相がかかっていますね。また、人運の数字が“7”以下転生回数の十の位の数字が“3”、すなわち“数奇な人生を歩む傾向がある”ことも、全員に共通していますので、大雑把に言ってしまえば、今回の事件の役者としてこの三人が引き寄せ合ってしまったと考えることができそうです』

    「そう考えることもできよう。ところで、人運が出てきたため、総合運について補足するが、総合運が9点満点として、なおかつ9点の項目の運がある場合、その項目で苦労することは今世の宿題に含まれていない傾向がある。そして、8点の場合は、霊障とは関係なく“何らかの問題を抱える”ことになり、7点以下になってしまうと、“かなり大きな問題を抱える”結果となる。また、総合運が1点下がる毎に、それ以外の項目は、総合運9点の場合と比べて、さらに1点ずつ下がることになる

    陰陽師の言葉に対し、青年は大きく頷いてから、口を開く。

    『今度は加害者の属性に焦点を当てて考えますと、血脈の精神疾患の“10:攻撃性”が要因の一つと考えられます。実際、手間がかかる硫酸を事前に準備したり、被害者の通勤経路を把握するなど、実際に犯行に及ぶまでに考えを改める機会は何度かあったにも関わらず、歯止めが効かなかったことは、血脈の精神疾患は“性向”に該当することもあることを考慮すると、その影響があったのでしょう』

    《霊脈先祖の霊障》
    今世の宿題に対して逆接な“重し”、つまり、人生の方向性が今世の宿題と逆方向に働く
    《血脈先祖の霊障》
    今世の宿題に対して順接、すなわち“無用な重し”となって顕在化する

    「攻撃性という点で付言するとすれば、インターフェイスの三番目の数字が“6”であることも要因として挙げられる。というのも、インターフェイスの三番目に“6”がある場合、“攻撃性”という意味が考えられることもあるのじゃ」

    陰陽師の言葉を聞いた青年は、再び加害者の属性表を見やり、口を開く。

    『なるほど。そう言えば、属性表の“魂の特徴”の三番目の“攻撃性”の上段の数字が“2”ですので、この点も彼の“攻撃性”を増長しているようですね』

    「さらに言うと、五番目の“自己顕示欲”の数字も要因の一つとして考えられる」

    『自己顕示欲の強さと攻撃性に 、どういった関係があるのでしょうか?』

    訝しげに問い掛ける青年に対し、陰陽師は該当する箇所の2−7の数字に印をつけ、口を開く。

    「自己顕示欲が直接攻撃性に結びついているのではなく、自己顕示欲の枝番、すなわち下段の数字が現世ではそのまま“人格”を表しておるのじゃ。ここの数字が“9”であると“喧嘩っ早く、キレやすい乱暴者”ということになるが、“7”であってもかなり“強引さ/攻撃性”が目立つ

    『なるほど。ただ、それらの傾向は代表的な例であって、属性表の他の数字との組み合わせで“人格”の強弱や性質が変わる、という認識でよろしいでしょうか』

    「概ね、その認識で合っておる。後は、加害者が頭2−3であることも主な要因の一つと考えられる」

    陰陽師の言葉を聞いた青年は、頭1/2に関して紙に書き始める。

    頭1:農耕/遊牧民族の末裔。世のため・人のためを地で行動する傾向がある
    頭2:狩猟民族の末裔。“我”が強く、物事を自分の利害関係で判断する傾向がある

    頭2である人物の場合、1〜9まである枝番が“1”に近いほど頭2の傾向が顕著になり、“9”に近いほど頭1の傾向になっていくとお聞きしましたが、頭2の枝番が“3”である加害者は、かなり自己中心的な考えをする傾向があるようですね』

    「そうではあるが、実際にそのような言動を取っていたのかの?」

    『実際、加害者は、昨年の9月に“家に泊まりに行っていいか?”と被害者にLINEを送っていたようで、被害者は多忙を理由に断りましたが、その後も同様のメッセージが届いたため、加害者をブロックしたようです。すると今度は、態度を改めるように求める内容が書かれた、差出人不明の手紙が被害者に届いたとあり、被害者のことを考えず、かなり自己中心的な言動を取っていたと思います』

    「なるほど。して、被害者の男性はどのような人物なのかな?」

    陰陽師にそう問われた青年は、スマートフォンを手早く操作し、やがて口を開く。

    『被害者の大学時代の友人によると、“彼は皆に慕われていて、恨みを持たれていたとは考えづらい“と証言しています』

    「被害者の属性表を見る限り、加害者に比べて被害者の方が社会性があると思われるが、被害者が対象となってしまった要因として、人運が“4”と極端に低いこと、血脈と天命運の“5:一般・事故・被害者・怪我”の相がかかっていることが考えられる」

    被害者の男性SS

    『なるほど。犯行前、加害者は琉球大学の卒業生名簿を手に入れるため、琉球大学を訪ねていたようで、4月には同じサークルだった別の知人にも接触し、恨み節の言葉とともに犯行をほのめかしていたため、標的は複数いたと思われます。その中で、被害者の男性は不運にも選ばれてしまったようですね』

    「その可能性が高いようじゃな」

    『被害者は血脈先祖の霊障の“5”の相だけでパフォーマンスが40%も塞がれていることを考慮しますと、ひょっとしたら、事件前にLINEが送られてきた時に会って話をしていたら、その時の口論や暴行による怪我で済んでいた可能性が考えられるのでしょうか』

    「仮定の話であるゆえ断言できぬが、加害者と被害者の間で何らかのトラブルがあることは、お互いの今世の宿題を果たすために避けられない出来事だったかもしれぬが、今世の宿題に対して順接、“無用な重し”として顕在化する血脈の霊障の影響によって、被害者が硫酸を顔面にかけられるほどの大怪我に発展してしまったと考えることもできる」

    陰陽師の言葉を聞いた青年は、深いため息を吐いた後、口を開く。

    『なるほど。こうして、大学時代の出来事を忘れず、数年越しに犯行を行った要因の一つとして、魂の特徴の四番目の項目である“恨み辛み”の上段の数字が“2”であることが考えられます』

    「そなたの言う通りじゃな。最後に、この事件に巻き込まれてしまったと言えなくもない、被害者の女性について、そなたはどう考える?」

    『被害者の女性は人運が“7”ですから、やはり彼女も何らかの人間関係のトラブルを通じて学ぶことが今世の宿題に含まれていると思われますが、彼女にかかっている天命運の“5:一般・事故・被害者・怪我”の相の影響で、よりによって二人とは無関係であるにも関わらず、今回の事件に引き寄せ合ってしまった可能性があると考えています』

    被害者の女性SS

    「被害者の女性に関しては、残念ながらその可能性が考えられる」

    そう言い、陰陽師は湯呑みに注がれた茶を一口のみ、言葉を続ける。

    「して、加害者である花森弘卓はどんな人生を歩んできたか、ネット上で確認できるかの?」

    陰陽師にそう問われた青年は、スマートフォンを操作し、口を開く。

    『小学生の頃の彼はクラスの中で浮いていて、いつも一人だったようで、クラスの展示物をかたっぱしから壊したり、生きたバッタをクラス共用の鉛筆削りに詰めたりと、周囲に迷惑をかけていたようです。また、彼がイジメの標的にした子に対し、石を投げつけたり、暴力を振るう他、毛虫やナメクジや牛の糞を食べさせるなどの、蛮行を取っていたとのことです』

    「なるほど。彼の属性表から推して知るべし、といったところじゃな」

    『他にも、彼が高校三年の時に、体育館のステージの自由参加の出し物に立候補して、たった1人でサイリウムを使ってヲタ芸を披露したとありますが、多くの人物は、こうした出し物を一人で実行しないだろうと思います』

    「まあ、そうじゃろうな」

    陰陽師の相槌に対し、青年は言葉を続ける。

    『こうした行動を取る要因の一つとして、彼の魂の特徴の中で二番目と五番目、すなわち“厭世的”と“自己顕示欲”の項目の上段の数字が“2”であることが考えられます。当該の特徴を持つ彼は、前者の特徴によって浮世離れした行動を取る傾向があると思われ、後者の特徴が加わることによって、わざわざ大勢の前でやってみせたのではないかと思われます』

    陰陽師が黙って青年の言葉に耳を傾けている様子を見やり、青年は言葉を続ける。

    『また、彼は今世の使命における、“基本的使命”と“具体的使命”の下段の数字が7−3と4つも離れていますので、これらの数字がより大きく離れている人物は、常軌を逸した行動を取る傾向があるのではないかと予想しました』

    「概ね、そなたの言う通りじゃな。他に、特徴的なエピソードはあるかの?」

    『彼は高校時代から、自分で育てた昆虫をヤフーオークションで売っていたようです。また、昆虫以外にも手広く転売をしていたようで、当時流行っていたアニメの映画が公開された時も、週替り特典の色紙やメッセージカードなどを、転売することを見据えて毎週映画館に通っていたとのことです』

    青年の言葉を聞いた陰陽師は、小さく笑ってから口を開く。

    「それは、商魂たくましい、“魂3:武士”らしい行動じゃな。実際、彼は理系の傾向がある転生回数期が第三期に属しており、今世は特に昆虫を中心とする“生物学”に適性があると考えられる

    『なるほど。ちなみに、彼のビジネス運と金運はともに“7”ですから、昆虫の育成や販売、アニメグッズの転売を業種とした法人の設立まで、規模を大きくすることは難しいと考えましたが、いかがでしょうか?』

    「いや、そうではない。それらの運の数値はあくまで結果を前提とした運であることから、結果的にはそなたが予測した通りになる可能性はじゅうぶんにあるものの、未来は不確定という前提で考えれば、彼が商売の規模を拡大できるかどうかは、今後の彼の行動次第であることはわかるかの?」

    陰陽師に言葉を聞いた青年が首肯しているのを見やり、陰陽師は言葉を続ける。

    「ただし、彼が大規模な事業計画を立て、いざ実行したとしても、成功する確率/運が“7”と低いことから失敗することが多いということじゃ」

    『そして、その二つの運が低い彼にとっては、そうした失敗を通じて学びを得ることが今世の宿題の一つに含まれている可能性があると』

    「概ね、そなたの言う通りじゃ。ところで、彼は恋愛運が“3”とかなり低いが、異性関係はどうだったのじゃ?」

    陰陽師にそう問われた青年は、スマートフォンを手早く操作し、口を開く。

    『彼はボーカロイドやアニメソングが好きで、“彼女を作るのは無理だと思う。僕の彼女は宇宙人しかいないかな”と語っていたそうですので、異性とはあまり縁がなかったと思われます』

    「そなたが見つけた情報から察するに、現実世界の女性に対する興味を失ったということかの?」

    『そうかと思いきや、予備校時代に、とある女子生徒に対して異常とも言える執着心を発揮し、トラブルを起こしていたようです』

    「というと」

    『その女子生徒が帰宅する途中にサラリーマンにナンパされたことがあったようで、それを聞いた加害者は、見方によってはストーカーと言っても過言ではないほどの行為をしていたようです。他にも、その女子生徒の誕生日に、彼女の家の前で加害者が待っていて、彼女が友人たちと帰宅した際に、急に地面に膝をついて赤い薔薇の花を渡し、歯が浮くような台詞を並べ、ヤドカリの”つがい”をプレゼントしたこともあるそうです』

    「なるほど」

    そう言い、陰陽師は指を小刻みに動かした後、再び口を開く。

    「加害者の“トンチンカン度の高さ”は80じゃな」

    『トンチンカン度でしょうか?』

    怪訝な表情でそう言う青年に対し、陰陽師は小さく頷いてから口を開く。

    「そう、トンチンカン度じゃ。それは、現実的な問題において、一見こんがらがった事象を瞬時に見分ける/簡潔に表現できる能力を意味し、そのスコアが高くなるほど、話が噛み合いにくくなる傾向がある

    陰陽師の言葉を聞いた青年は、しばらく黙考した後、やがて口を開く。

    『つまり、加害者は自分の行動がお目当ての女子生徒にどのように受け取られるかを想像することが苦手であり、奇行とでも言うような行動を取ってしまった要因に、“トンチンカン度の高さ”も関係しているということでしょうか』

    「“トンチンカン度の高さ”だけで決まるものではなく、あくまで主な要因の中の一つ、と理解すればよいと思う。ちなみに、彼の恋愛運の数字である“3”には、“女性”、“女性的側面”、“奉仕”、“マゾ的気質”、“変態趣味”、“狂気”という傾向がある

    『なるほど。ネットの情報を見る限りでは、それらの中でも特に“狂気”が顕在化してしまったという印象を受けます』

    「一概には言えぬが、そう捉えることもできよう。そして、恋愛運の“3”は、広義の意味では“異性運”のなさとなる。つまり、彼はまともな恋愛・結婚をすることが難しく、多くの異性との問題で悩むことを通じて学びを得る傾向がある

    陰陽師の言葉を聞いた青年は、大きく頷いてから、口を開く。

    『今度は彼の家族関係についてお聞きしたいのですが、彼の父は有名な整体師で、中国人の母も医療関係の仕事に就く裕福な家庭で育ったようですが、両親共に既に他界しています。家族はとても仲が良く、夏休みなどに3人で中国へたびたび旅行に行っていましたが、7年ほど前に父親が病気で亡くなり、その数年後には母親も亡くなってしまったとのことです』

    「なるほど」

    『また、彼が高校生くらいの頃、母親に馬乗りになって首元を掴み、今にも殴りそうな雰囲気だった、と近所の人が見かけたことがあったようですが、今回の硫酸事件や彼の学生時代の言動や、彼の諸々の魂の属性や攻撃性があることを踏まえると、元々こうした出来事を起こしやすいのではないかと思われます』
    青年の言葉を聞いた陰陽師は、ふむと相槌を打った後、鑑定結果を紙に書き足していく。

    花森弘卓・父SS

    花森弘卓・母SS

    青年が二人の属性表を見終えた頃に、陰陽師は再び口を開く。

    「その時はたまたま近所の人が見かけて発覚したと思われるが、実際には他にも家庭内でのいざこざがあったかもしれぬ。じゃが、母子ともに人運が“7”以下であることを考慮すると、そうした母子関係の中で学ぶことが、両者の今世の宿題の一つである可能性があるのじゃよ」

    『なるほど。子は自らの今世の宿題を果たすのに最適な母親を選んで産まれてくるということでしたね(※第44話:福岡5歳児餓死事件と今世の宿題参照)』

    「まあ、そういうことじゃ。話を戻すが、今回の硫酸事件は社会的には許されがたい出来事として認識されていることは、紛れもない事実じゃ。しかしながら、加害者と被害者の双方にとって、今回の事件を通じて学ぶべきことがあったことも考えられることを、覚えておくようにの」

    そう言い、陰陽師は壁時計に視線を向ける。
    それに気づいた青年も、スマートフォンで時間を確認する。

    『もうこんな時間でしたか。今日も遅くまでありがとうございます』

    そう言い、青年は席を立って深々と頭を下げた。

    「今日もご苦労じゃったな。気をつけて帰るのじゃぞ」

    陰陽師はいつもの笑みで手を振り、青年を見送った。

    帰路の途中、青年は過去の出来事を振り返っていた。

    自分は金運と恋愛運が共に“7”以下で、それらの項目で起きた問題を通じて、人生における重要な学びを得たことを理解しているものの、今になって振り返れば、霊障や天命運の影響によって必要以上の損害を受けていたことを、どういうわけか判断できている感覚がある。

    ふりかかる難が今世の宿題と関わっていることもあるため、全ての難をなくすことは霊的な観点からは望ましくないが、自分と縁がある人物が大難を体験することで抱える後悔が少なくなるよう、霊障について説明し、大難を小難にするために神事の案内をしていこう。

    そう、青年は思議したのだった。