投稿者: あの世とこの世合同会社

  • カミは願いを叶えない:公平無私

    カミは願いを叶えない:公平無私

    神様ってどんな存在でしょうか?

    人間の願いを叶えてくれる存在?

    それなら、この世は人間の願いによって左右される世界になります。

    人間の願いによって左右されるということは、あなた以外の誰かの思い通りの世界になる可能性があるということです。

    ということは、神様へのお願い上手な人がこの世の王みたいな立場になる。

    おかしいと思いませんか?

    あの人がお金持ちなのは、努力ではなく、神様に愛されているから?

    そうだとしたら、あなたが他人よりも恵まれている点があるのは、あなたの努力とは無関係。

    そうなってしまいます。

    ですから、神様が人間の願いを叶える存在であるなら、この世はおかしいという印象を受けます。

    それもそのはず、人間の願いを叶える神様は、邪神ですから。

    願いを叶えてもらっている人間が、必ずしも幸福とは限らないのは、頼っている対象が邪神だからです。

    一方、あの世とこの世の仕組みが滞りなく運行させているカミは、公平無私の存在です

    私たちを見守る、縁の下の力持ち。

    見返りを要求しません。

    捉え方によっては法則のような存在かもしれません。

    わかりやすく例えるなら、因果応報が近いでしょうか。

    ですから、カミを信奉する人の人生がうまくいくのではなく。

    本来すすむべき道に向かっている人は、さらに進みやすく。

    本来の人生の方向性からズレている人には、ズレた分のペナルティがある。

    ただ、そのペナルティは、そっちの方向ではないよと氣づかせるためです。

    こんな話があります。

    とあるクライアントがご神事を依頼したものの、言い訳をして支払いをしませんでした。

    他のことにお金を使っていたらしく、単に踏み倒していたようです。

    その後、クライアントが所持していた物件に原因不明の火災が発生しました。

    その被害額は、ちょうどご神事の金額と同じだったようです。

    まさに、因果応報とでも呼ぶべき出来事だと思います。

    これが邪神なら、怒り狂って支払うべき金額以上の代償を支払わせていたかもしれません。

    あの世とこの世の法則にえこひいきがあってはいけない。

    太陽の光が、なぜか一部だけしか照らされないなんてことがあったらおかしい。

    経済的にうまくいってもどこかで破綻するのは、小さな違和感や人生のズレを見て見ぬふりしたからかもしれません。

    あなたは何を基準に生きていますか?

    お金? 安定? 仕事? 恋愛? 健康?

    あの世とこの世の法則を基準に生きることが、魂にとっての最善です。

    今世の宿題を果たしていきましょう。

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  • 病気治しの罪と罰:罰編

    病気治しの罪と罰:罰編

    病気は、ゲームでいう縛りプレイのようなものである。

    あるいは、病気になる選択を積み重ねてきた結果である。

    そんな感じのことを罪編で書きました。

    では、その罪に対してどんな罰が待っているのか。

    今回はそのあたりについて書いていきます。

    まず、病気の人がいるとします。

    その人の魂の本体が、今回の人生はあえて病気の体を選んでこの世に転生してきたとしましょう。

    その人にとって、病気で大変な思いをし、限られた命の火を灯して他人に希望を与えることが今世の宿題の一つなのです。

    にもかかわらず、病気治しの力を持っている他人が、自分には病気を治せる能力があるからと、自己満足のために病気を治したとしましょう。

    すると、どうなるのか?

    相手の今世の宿題を果たす邪魔をしたことになります。

    永遠の世の仕組みは割とシンプルで、わかりやすい言葉で表現すると、因果応報が近いです。

    ですから、相手の今世の宿題を邪魔した人間は、自分の今世の宿題も邪魔されます

    つまり、病気治しをした人間は、自分と相手の今世の宿題を反故することになってしまうのです。

    一方、今世の宿題に病気を体験することを設定していない人が大病を患うことがあります。

    その要因は、主に霊障や他者からの念の可能性が高いです。

    しかも、その霊障や他者からの念を解消しなければ、病気治しをしても根本的に解決しません。

    むしろ、病気治しをした人間に地縛霊たちが期待して、病人だけでなく、病気治しをした人間にも霊障が影響を与える可能性もあります。

    霊障は、本来なら体験する必要がない無用な重しとなって、私たちの今世の宿題を邪魔します。

    MMORPGで例えてみましょう。

    高レベルのハイプリーストが、良かれと思って自己満足で初心者を無償で支援するとします。

    その結果、初心者はゲームを攻略するために必要なことを学ぶ機会を奪われます。

    やがて、初心者が中級者レベルになったと思えば、支援を切り上げることもあるでしょう。

    すると、なんちゃって中級者はレベルの割にプレイがヘタで、その後は失敗ばかりします。

    そして、支援しなくなったハイプリーストのことを責め始めます。

    仮にハイプリーストが1000回支援しても、そのことを忘れます。

    ですが、支援しなかったことをいつまでも忘れません。

    そうした恨みは他のプレイヤーに悪い噂を流すきっかけになり、ハイプリーストは風評被害を受けるかもしれません。

    そこまでひどいことをされなくても、初心者を無償で支援するハイプリーストがいるという噂を聞きつけた人間から、依頼のメッセージが殺到するかもしれません。

    そうなると、無償で支援するハイプリーストの性格上、全てを断ることはできず、頼みをきいてしまうかもしれません。

    その結果、本当にハイプリーストの支援を必要としているPTや一緒にプレイしてきた相棒たちとダンジョンに行く機会が減ってしまいます

    こうして、自分勝手に病気治しをした人間は、本来の人生の方向性から離れてしまい、今世の宿題を果たしにくくなってしまうわけです。

    いかがでしたか?

    実は、この話は病気治しに限った話ではありません。

    あなたも他人に振り回され、自分の人生を生きていないと感じているかもしれません。

    心当たりがあるなら、今からでも遅くありません。

    霊障と他者からの念を解消し、今世の宿題を果たしていきましょう

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  • 病気治しの罪と罰:罪編

    病気治しの罪と罰:罪編

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    この世をMMORPGの世界で例えると、生まれつき病気を抱えている人は、あえて縛りプレイをしているようなものだと、先日書きました。

    そう考えると、なぜ病気になっているのかを知らずに、勝手に欲望のままに病気治しをすることは、余計なお世話になっていると考えることもできます。

    ノーマルモードに飽きたから、せっかく今回は常にバッドステータス状態のキャラメイクをしてハードモードにしたのに、台無しじゃないか!

    そんな感じでしょうか。

    さらに言うと、レベルマックスのプリーストが、初心者にヒールをし続けるとします。

    本来なら、初心者はすぐに敵にやられてしまうから、防御や回避を練習すると同時に、敵に有効な装備を揃える必要があります。

    それなのに、プリーストによる大きなお世話によってゴリ押しで勝ててしまうとしましょう。

    そうなると、ゲームで学ぶ機会を奪ってしまいますし、初心者はプリーストがいるから大丈夫だと無謀なチャレンジをし続けます。

    当然のことながら、プリーストもいずれは自分に適したダンジョンに行き、離れることになります。

    プリーストの支援なしでは、初心者は敵に勝てなくなります。

    さらに、誰かの助けをアテにするようになります。

    なぜなら、学ぶ機会がなかったので、自力で上達するのは難しい段階に来てしまったからです。

    良かれと思って手を貸したプリーストは、大きなお世話をしていたわけです。

    これが、プリーストの罪です。

    今度は、現実の病で考えてみましょう。

    ほとんどの病には何らかの原因があります。

    感染症が流行している場所に、不用意に行ったら感染するでしょう。

    乱れた生活習慣を続けていても、病になっていきます。

    つまり、縛りプレイの一環として先天性の病を抱えて生まれてきた人を除き、病になるのは自己責任ということです。

    さらに言うと、一部の感染症を除き、病を治すのは自分の免疫力であり、自分次第です。

    そのことに氣づかずに、病気を誰かに治してもらおうと他力本願でいると、再発します。

    なぜなら、霊能力にしろ手術にしろ、一時は病気の部位がなくなっても、同じ生活習慣を続けていたら再発する可能性があるからです。

    癌を切除したのに別の場所にまた癌ができ、また切除して…。

    そんなことを繰り返していたら、いずれ体は動かなくなりますし、病気治しのための費用を稼ぐこともできなくなるでしょう。

    お金を支払えない人間は後回しにされ、自力ではどうにもならない状況になるでしょう。

    これが、病気治しの罪です。

    私たちの人生は、日々の選択の延長です。

    自分の選択が、人生の方向性が、魂が望む生き方に合っているのか

    同時に、他人の学びを奪い、人生の方向性を狂わせていないか

    日々の選択を大切にしていきましょう。

    『ジャンケットバンク』 第142話:人間ー感情=現実 より抜粋

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  • ゲームでいう縛りプレイと、生まれつきの体調

    ゲームでいう縛りプレイと、生まれつきの体調

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    人間は本能的に生存を求める生物です。

    ですから、死に近づく病を忌避するのは当然です。

    ですが、本当に病気は悪なのでしょうか?

    病気になることで氣づきや学びを得、余生が濃厚になることもあります。

    少なくとも、私は怪我や病気を通じ、健康であることはとてもありがたいことだと気づけました。

    さらに、人生は有限であり、命や時間の使い方をシビアに考えることができるようになりました

    このように病気から学ぼうとする姿勢があれば、病気は悪だと断定することはなくなるはずです。

    では、なぜこの世に病気が存在するのでしょうか?

    その理由は、病気を体験することが、今回の人生で必要な経験だからです。

    私たち一人一人に健康運が設定されており、その数値は生涯変わることはありません

    この世はMMORGのゲームの世界の中で、400回キャラメイクしてプレイするなら、一回くらいは常にステータス異常にかかっているキャラを操作してみたいと思うかもしれません。

    なんでわざわざそんなキャラを選ぶのか?

    実際、同じゲームを何度もクリアしていると、やがて過酷な条件を設定し始めることがあります。

    わざと低レベルのままにしたり、弱い装備のままでプレイするなど。

    いわゆる縛りプレイというやつですね。

    そんな感じで、あの世にいるゲームのプレイヤー、つまり魂の本体が生まれつき病気にかかっている肉体を選んだ可能性があります

    ここで可能性と書いた理由は、プレイヤーが縛りプレイを望んでいないのに、ゲームの何らかのバグで、キャラクターのステータスに問題がある可能性もあるからです。

    ステータス異常は、特定のダメージや攻撃を受けた際、確率でかかるのであって、必ずかかるとは限りません。

    それなのに、なぜかしらないけど、キャラがステータス異常にかかりやすい。

    低確率なはずなのに、ほぼ毎回といっていいほど、ステータス異常にかかる。

    明らかにおかしい。

    そういう場合は、健康運は低くない(9点満点で8以上)のに、霊障によって(特に⒋病気の相)そうなっている可能性があります

    霊障がかかっている人物は、そうでない人物に比べて精神疾患と縁が強い傾向があります

    ですから、体調に関して何かがおかしいと感じるあなたは、その要因を明確にしていただけたら幸いです。

    そして、今世の宿題なら縛りプレイの一環として前向きに病と向き合うことが魂の望む生き方ですし、霊障であるなら、迅速に解消して本来のプレイに集中しませんか。

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  • 今回の人生、どんなキャラメイクした?

    今回の人生、どんなキャラメイクした?

    この世をMMORPGの世界だとして、

    あの世はプレイヤーがいる世界だとします。

    あの世には私たちの魂の本体がいて、地球での肉体に宿るのは、分け御霊です。

    そして、この世に輪廻転生する回数は400回と決まっているそうです。

    表現を変えると、400パターンのキャラを作ってゲームを遊べると言えそうです。

    さて、あなたの今世は何回目でしょうか?

    実は、一回の人生を終えて次の人生が始まる間、この世の時間で換算すると28年かかるそうです。

    この28年間で前世を振り返り、来世でどのような体験をしたいかを計画します

    そして、転生回数が100回毎にある程度の人生の傾向があるそうです。

    第一期:1〜100回
    第二期:101〜200回
    第三期:201〜300回
    第四期:301〜400回

    MMORPGで例えると、第一期はゲームを始めた頃です。

    とにかく、キャラクターを操作するだけで楽しいでしょう。

    レベル上げやアイテム稼ぎなどは二の次で、ゲーム内の世界を散策するだけで楽しいと感じます。

    当然、レベル上げの効率は良くありません。

    スキルの取得やステータスの振り分けも適当です(笑)

    ひょっとしたら、MMORPGに誘ってくれた友人から、スキルやステ振りに関するアドバイスがあったかもしれません。

    ゲーム内で同じ空間にいなくても、リアルでLINEやメールしてやり取りすることはできます。

    ですから、プレイヤーがいる世界は、あなたの魂の本体がいるあの世なのです。

    ところが、ゲームを楽しむのに夢中になっている頃は、友人の助言に耳を傾けるよりも、自由にプレイしたくなるはずです(笑)

    自由にプレイして色々と失敗し、学ぶことで友人の助言を聞き入れるようになります。

    さらに、自らの体験から学んだことも加わりますので、自然と効率の良いプレイができるようになります。

    ここからの時期が第二期に相当すると考えます。

    最難関のダンジョンをラクに攻略できるよう、ジョブ選びもスキルも装備も熟考してキャラメイクするでしょう。

    また、ソロプレイでの攻略も難しいでしょうから、他のパーティーメンバーを見つける必要もあります。

    当然、パーティー内での役割を果たせるように立ち回る必要も出てきます。

    最終的にはボスを倒せるようにもなり、レアアイテムを手に入れられ、強い装備を得たり、所持金を得られることでしょう。

    こうしてダンジョンをクリアすると、次は対人戦の特化したキャラメイクになります。

    これが第三期と考えます。

    モンスター(NPC)ではなく、対人ですので、動き方も装備もスキルも変わってきます。

    ステ振りも特殊になりますので、レベル上げが容易ではありません。

    ですが、対人戦は他のパーティーメンバーやギルドメンバーとの連携や協力が必要となるので、今までとはまた違う楽しみが出てきます。

    やがて、対人戦にもそれなりに満足する時期がきます。

    ここからが第四期です。

    人脈も装備もお金も充実してくると、だいたい自由にキャラを操作できます。

    辿り着く先は、ネタキャラです(笑)

    例えば、魔法職なのに肉弾戦に特化したり、前衛職なのに魔力を上げ、魔法が発動する武器を使ってみるなど。

    ステ振りは自由なので、色んなキャラを作れます。

    もちろん、ネタキャラですので、効率性を求めるパーティーには参加できません。

    ある意味、自己満足のプレイになります。

    こうなると、第一期に似たような人生に見えますね。

    違うのは、何もわからずに自由気ままにプレイするのと、ゲームの全容をだいたい把握した上で自由にプレイするかでしょうか。

    このように、転生回数とキャラメイクの関係のように、私たちが体験する人生にも差があります。

    今世はビジネスで大成した人は、来世は貧しい生活をしてみようとなるかもしれません。

    今世は健康体で病気と無縁だった人は、来世は病気を体験するため、あえて先天性の疾患を持った肉体で転生するかもしれません。

    みなそれぞれ、あの世で28年かけて今世の宿題を設定し、この世に転生してきているのです。

    今の生き方に違和感を覚えているあなたは、ひょっとしたら、設定したキャラメイク、今世の宿題を果たすルートから外れているかもしれません。

    社会や世間の価値観に縛られたくないあなたは、ぜひ魂が望む生き方に切り替えてみてください。

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  • 修行の場とMMORPG

    修行の場とMMORPG

    永遠の世での魂不足を解消するため、あの世で魂が誕生します。

    ですが、産まれたばかりの魂は経験不足のため、永遠の世で活躍できません。

    そこで、永遠の世にデビューできるように経験を積むため、分け御霊を用いて修行の場であるこの世に転生します

    この世をMMORPGの中の世界、あの世をプレイヤーがいる世界だと考えてみましょう。

    ご存知の通り、MMORPGの主な目的は、戦闘を行なってレベルを上げたり、装備やアイテムを増やすことです。

    ところが、モンスターが存在しない街しかマップがなければ、どうなるでしょう。

    戦闘が存在しないため、レベルは上がらず、アイテムも手に入りません。

    目的を何一つ達成できず、何のためにプレイしているのかわかりません。

    ですから、モンスターが存在するフィールドやダンジョンが必要なのです。

    そして、フィールドやダンジョンでの戦闘が、この世でいう仕事、生計を立てることに当てはまりそうです。

    生きるためには、何らかの方法で収入を得ないといけません。

    また、欲しいアイテムを手に入れるため、何らかのクエストをこなしたり、アイテムを収集しないといけません。

    レベルアップや戦闘で有利になるためのアイテム集めは経験値を得られないこともあるかもしれませんが、アイテムを得たことで戦闘で有利になり、結果的に強い敵に勝てるようになり、レベルアップが早まります。

    そのように考えると、意外と寄り道も本筋と繋がっていることがわかります。

    現実世界で今世の宿題の中に貧困や病気や人間関係のトラブルなどがあることに不満を感じる人がいると思います。

    ですが、そうした嫌な体験の中にも貴重な学びがあり、長期的にみれば必要な体験なのだとわかります。

    ただし、何もせず、徒に時間だけが過ぎても、キャラクターのレベルは上がらず、プレイヤースキルも向上しません。

    MMORPGのキャラを削除したり、ゲームのデータをリセットしたら何も残りません。

    ですが、魂の本体であるプレイヤーの向上したスキルは残ります。

    このプレイヤースキルの向上こそが、魂磨きであり、この世での修行なのです。

    同じような体験や失敗ばかり繰り返し、プレイヤースキルが向上している感じない、無駄な時間が多い気がする。

    そんなあなたは、人生の方向性がズレていて、修行ではなく苦行を強いられているかもしれません。

    ぜひ、そのズレを修正していきましょう!

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  • あの世とこの世と、その先の世

    あの世この世永遠の世について、別の視点で考えてみましょう。

    永遠の世は、永遠の生命を持つ存在が活動する世界です。

    永遠の生命を持つ存在とは、400回の輪廻転生を終えた魂のことですね。

    ただ、永遠の世が人手(?)不足であるため、あの世で新たな魂が誕生します。

    さらに、あの世で誕生したばかりの魂は赤ちゃんみたいなもので、すぐには永遠の世で活躍できません。

    ですから、永遠の世でデビューする前の予行練習のための場として、この世があります。

    こうした流れを、自動車免許を取得するまでの流れとして考えてみました。

    例えば、配送業者。

    顧客から注文があった品物を、倉庫や店舗から自動車で配送しなければなりません。

    ところが、配送ドライバーが足りないため、注文された品物を届けるのに何日もかかっているとします。

    人手不足ということで人を集めようとします。

    とはいえ、人が集まってきても、無免許者の人々であれば意味がありません。

    そこで、教習所の中で座学と実技を学ぶことになります。

    免許合宿の中の話だと思ってください。

    ですから、

    永遠の世(運送業の世界。社会)
    あの世(免許合宿全体の世界。プライベート)
    この世(授業中)

    このようになります。

    授業中は授業内容に合わせた内容を学びます。

    そして、その内容は、座学も実習も運送業の世界に則したものになります。

    仮に、授業のコマが全部で400コマあり、今日はどの内容の授業を受けるかを選べるとします。

    その選んだ授業内容が、今世の宿題だと考えてみてください。

    ほとんどの人が、決めた授業に参加するはずです。

    にもかかわらず、途中で居眠りしたり、あるいは、なぜか授業を抜け出して他の授業に参加することもあります。

    そうなると、途中で抜け出した授業の単位を得られない可能性があります。

    そうなった場合、別の日に補講を受けなければならないかもしれません。

    その結果、他の日に比べて授業時間が増えてしまう日もあるでしょう。

    つまり、他人に比べて自分の今世の宿題が重いんじゃないかと感じるあなたは、ひょっとしたら、前世で授業をサボってしまったのかもしれません

    授業内容がわからなくて困った場合、授業の時間外で他の生徒に質問したり、テスト対策をすることもあるでしょう。

    こうしたやりとりがあの世で行われていることです。

    さらに、生徒間では解決できない問題や悩みもあるかもしれません。

    そうした時は教官に相談することもあるでしょう。

    すでに免許を取得し、社会人でもある教官は、400回の輪廻転生を終えた永遠の生命と考えるとわかりやすいかもしれません。

    いかがでしたか?

    授業中に余計なことをして単位を落とさないよう、自分が選んだ授業に専念しましょう。

    それが、魂が求める体験であり、今世の宿題を果たすことに繋がります。

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  • 困った時の(邪)神頼み

    困った時の(邪)神頼み

    多くの人間は分不相応な欲を求め、それが叶わないと思うと、それを何とか叶えようと、見えない存在を頼ります

    そして、**様と拝みだした結果、邪神が誕生します。

    つまり、邪神とは、人間の念によって生まれた存在

    邪神は人間の欲を叶えるべく、人間の念によって生まれたのですから、邪神にとって、人間の念が生きる糧なのかもしれません。

    つまり、人間に忘れられたり、念を供給されなくなると消えてしまうのでしょう。

    ですから、願いを叶えた結果、人間が日常に夢中になって**様のことを氣にかけなくなると、邪神は非常に困るわけです。

    そこで、人間が邪神の存在を忘れかけた頃に災いを起こします。

    すると、人間は**様の祟りだと恐れ慄き、邪神のご機嫌をうかがうように拝み始めます。

    そうして人間から念を供給された邪神は、祟りを止めます。

    願いを叶えてもらおうと邪神を拝む人間。

    念をもらおうと人間の願いを叶え、時には悪さする邪神。

    つまり、欲望レベルの関係なのでしょう。

    邪神の生命エネルギーは、承認欲求だとするとわかりやすいでしょうか。

    邪神は、承認欲求を満たす人間の願いを叶えます。

    願いを叶えた結果、世界がどうなるかなんて考えもしません

    つまり、えこひいきしているようなものです。

    例えるなら、お賽銭の金額が多い人間をひいきして願いを叶えるとします。

    そんなの、現代の資本主義と大差ないのではありませんか。

    お賽銭を祈りを捧げた時間に置き換えてもいいでしょう。

    現実で何も努力せず、邪神に祈った時間が長い人ほど願いが叶いやすくなり、受験で合格しやすいなんて、不平等ですね。

    まさに、神も仏もない。

    邪神は不平等を生み出す、人間と同レベルの存在です

    そんな存在に頼み事をするのか。

    そんなことを考える時期がきているのかもしれません。

    令和になり、体主霊従から霊主体従の世の中になりました。

    霊主体従ということで、平成以前に比べ、スピリチュアルな情報が増えているように感じます。

    邪神を頼るのをやめ、己の力で人生を切り開いていきたい。

    自分が生まれてきた目的に取り組み、今世の宿題を果たしたい。

    そんなあなたは、ご相談ください。

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  • 幸せに生きるコツは期待しないこと

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    期待するから、期待通りに現実が進まない時に不満を感じます。

    しかも、期待が大きいほど不満は強くなります。

    逆に、何も期待しなければ、不満もなければ不幸を感じる機会も減るでしょう。

    人は鏡とききますが、私は全てが鏡だと思っています。

    その瞬間に反応したすべてが自分、という感じです。

    他人、組織、社会に対し、不平不満ばかり言う人がいます。

    そうした人物は、期待し過ぎているのかもしれません。

    例えば、あの人はこうしてくれるに違いない、組織や社会とはこうあるべきだからこうしてくれるだろう、云々。

    口では偉そうに批判していますが、実際に改善策を考えることがなければ、具体的になんらかの行動を取っているわけでもなさそうです。

    本当に現実を変えようとしている人は、批判を言っている暇なく動いていますからね!

    勝手に期待して、勝手に裏切られる。

    世の中が自分の思い通りになると思っている。

    ワガママというか、お子様というか、世間知らずといったところでしょうか。

    こうした状態になっていることに氣づき、理解するために、自分のことを棚に上げ、他人、組織、社会に不平不満を言っているのかもしれません

    不平不満を言わずにいられないくらいに期待しているなら、自分が相手の期待に応えられているかも考えてみましょう。

    相手の期待に応えていないのに、相手にばかり期待するのは、おかしいですよね。

    ただし、相手がこう期待しているに違いないと決めつけないように(笑)

    あるいは、他人の期待に応えられず、自分に自信を持てない人は、自分に期待し過ぎかもしれません。

    期待するのをやめ、現実を受け入れて観察してみましょう。

    そうすれば、何かを勝手に期待して勝手に裏切られて不幸になる機会は減るでしょう。

    自ずと、自分ができることややるべきことに意識が向き、できないことや誰かに任せることの線引きができるようになるかもしれません。

    では、何も期待しないなら、何を基準に生きればいいのか

    そんな声がきこえてきそうです。

    期待≒欲のように捉えることもできますので、人間の原動力として重要だと思うかもしれません。

    その基準は、期待や願いを叶えるなどのポジティヴな動機でもない。

    そして、不安や恐れを解消するなどのネガティヴな動機でもない。

    これなら悪くない。余生を費やしたり、命を賭しても後悔しない。

    そんな感じで、自分自身が納得し、誰になんと言われようとも、環境が変わっても続けられること

    それが天職だったり、今世の宿題の一つなのかもしれませんね。

    何かを期待せずに淡々とこなせること、なんだかんだ続けていることを思い浮かべてみるのもいいでしょう。

    独りでは難しいなら、私も一緒に考えます。

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  • 断食と過食と狂気(?)

    こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

    先日、断食教の信者と話しました。

    本当は、断食教とは別の名前なのですが、とにかく断食を激推ししてきたので、このように表現しました。

    その人は断食を始めて30年近く経っている。

    そして、断食で色んな症状が改善したことを目の当たりにした。

    さらに、断食を続けると、手をかざして他人を治癒できるようになる。

    そんなことを熱心に話し続けていました。

    さて、メリットだけ聞くとすごいですね!

    断食をすれば、自分の調子が良くなり、他人にも良い影響を与えることができる。

    そんな印象を受けます。

    ただし、せっかく症状が改善したのに、断食をする環境から離れてしまうと、食欲に負けて過食する人が多いとのことです。

    中には、過食が原因で大腸癌になり、亡くなった人もいるそうです。

    しかも、その人の父親も癌で亡くなったそうですので、説得力に欠けます。

    よく考えていただきたい。

    断食→過食→大腸癌

    つまり、過食した要因に断食が関係しているなら、断食しなければ過食することもなく、大腸癌で亡くならなかったのでは?

    その人の意見では、断食⇄過食、の繰り返しは仕方ないそうです。

    実際、その人も何度も断食⇄過食を繰り返しているとのことです。

    ここで、私はとある言葉を思い出しました。

    狂気とは、即ち同じことを繰り返し行い、違う結果を期待すること

    アインシュタイン(?)

    およそ30年も同じことを何度も繰り返しているなら、それは狂気になってしまうのでしょうか。

    あるいは、その断食方法が合っていないという可能性を考えられないのでしょうか。

    ひょっとしたら、そうした可能性を考えられずに盲信していることを感じ、私は断食教というフレーズが浮かんだのかもしれません。

    ちなみに、その人の言い訳(?)としては。

    断食できなかった人の気持ちがわかるから、断食⇄過食を体験することは必要だそうです。

    指導する立場になるなら、挑戦者と挫折者の気持ちを理解することは大事かもしれません。

    ですが、そもそも断食が万人に共通する健康法なら、挫折する人の気持ちを理解できなくても困らないと思います。

    断食を実践している姿を見せ、自分が食欲に負けそうになった時の対策を伝えればいいのです。

    30年も経っているのに食欲に負けて断食⇄過食を繰り返し、断食を実践できていないのに、何を勘違いしたのか、他人に説教しようとするから、そんな言い訳をする。

    そんな氣がしました。

    そもそも、過食してしまう人の気持ちを理解するなら、過食を一度体験すればじゅうぶんなはずです。

    何度も繰り返すのは、その断食方法が自分に合ってない可能性があります。

    にもかかわらず、断食⇄過食を繰り返すのは、魂が未熟だから。

    それを繰り返す中で魂の修行をしている。

    そんなことを言ってました。

    また、こうした盲信者の特徴として、例外が万人に共通すると固執する傾向があります。

    特殊な例として、青汁だけで生活している女性をご存知の読者がいるかもしれません。

    その女性には、青汁一杯の食生活が合っていただけであり、他の人は他の食材を同じ量を摂取するだけでその女性に近い生き方をできるかもしれないわけです。

    断食に関わらず、世の中の勉強法や上達方法には色んな方法があり、中には自分に合うものがあれば、ない時もあります。

    ない時は、自分で編み出す方が結果的に良い可能性もじゅうぶんあります。

    私たちは、魂を磨くため、生まれてくる前に計画を立ててからこの世にやってきます

    その計画内容は、他人と全く同じことはありません。

    他人の生き方をヒントにすることも時には必要です。

    ですが、霊障によって人生の方向性を示すコンパスが狂っていたら、自分に適した生き方とはズレてしまいます

    そのコンパスを正し、今世の宿題を果たしませんか

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