私が思う民主主義のデメリット

こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!

政治に対して不満を感じる人が少なくありません。

たった一票の武器を持って選挙に行っても、大した影響力はありません。

そこでふと、民主主義のデメリットついて、少しだけ考えてみました。

民主主義において、主権は国民です。

問題だと考えられるのは、主権者である国民が政治の素人ということです。

あなたが働いている業界に関して、ずぶの素人がああしろこうしろ言ってくるとします。

日々、胃を痛めながら働いているあなたにしたら、聞く耳を持つ価値がない提案が多いことでしょう。

仕事に限らず、役に立たない助言や体験談を、頼んでもいないのにしてくる人間もいます。

そんな素人たちの意見を採用するのでしょうか?

あなたの職場が、そんな人間たちの意見によって左右されたら、たまったものではないでしょう。

一企業の社長だって、一社員には想像がつかないような量の情報を得、重大な判断をしなければなりません。

現場の声だけがその声の全てではありません。

もちろん、現場の声の中にもしっかり反映されるべきものもあります。

とはいえ、選挙権を持っていても、政治に携わったことがない人間が、わずかな情報で国政につい判断できるとは思えません。

実際、受信する情報によってイメージ操作されたり、目先の利益に翻弄されている人間が多いでしょう。

それもそのはず、魂には4つの種類があり、その中でももっとも魂の容量が少なく、扇動されやすい人々が半数近くいるのですから。

一票には変わりはありません。

それならば、もっとも人数が多い人々を扇動し、票を得ることが最善だと考えるとことができます。

なんだか、現代版の衆愚政治みたいです。

真偽は定かではありませんが、投票結果をある程度改ざんすることもできるみたいですから、出来レースみたいなものでもありそうです。

では、どんな政治が理想なのでしょうか?

一つの案として、魂の適材適所を満たしている人事を私は考えます。

大昔の神権政治のように、無我無欲で霊能力を持つ魂1-1が神託を受け取り、その内容を基に魂1や魂2が指示を出します。

その指示を高い精度で実動していくのが、魂3:武士/武将の人々

魂1〜3のサポートをするのが、魂4

といったところでしょうか。

魂の数字が小さいほど偉いという訳ではありません。

あの世とこの世の歯車が噛み合い、私たちが今世の宿題を果たすのに最適な政治が実現するには、真の意味で最適なのかもしれません。

魂の適材適所が進み、一人でも多くの方々が悔いなく生きられる世の中に近づいたら幸いです。

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