かつて私は、真理を追い求めることが人生の最も重要な使命だと思っていました。
莫大な時とお金を費やし、あらゆる知識を得ていろんな人の話を聞き、真理とは何かを探求し続けました。
多くの夜を徹して考え、議論し、ついにある日、私は自分なりの真理に到達したのです。
しかし、その瞬間から、私の世界は一変しました。
真理を知ったことで、以前は輝いて見えた世界が急に色褪せて見えるようになったのです。
なぜなら、真理を知ることは同時に、幻想や誤解、無知がもたらす楽しみを失うことでもあったからです。
多くの人々が抱く希望や夢、それらが根拠のない幻想であることを理解したとき、私は深い虚無感に襲われました。
例えるなら、魔法のような夢の国が実はただの映画のセットであったことを知るような感覚でした。
確かに真理を知ることで、物事の本質を見抜く力を得ましたが、それと引き換えに、この世の魅力を感じることが難しくなったのです。
他者から意図的に刺激される欲求は、いくら追い求めても満たされることはありません。
人々が感じる喜びや悲しみも、他者から意図されていることが少なくありません。
真理を知り尽くしてしまうと、人々が夢中になっているものが無意味に感じられるようになりました。
しかし、そんな中でも一つの希望を見出すことができました。
それは、真理を知った上で、いかにして新たな意味を見つけ出すかという挑戦です。
確かに、真理は多くの幻想を打ち砕きましたが、それでも人間の感情や関係性、日常の小さな喜びには依然として価値があると感じるようになりました。
真理を知ったからこそ、それを踏まえた上で、より深い理解と共感をもって人々を許し、接することができるようになったのです。
そして、私の考えや生き様に触れた人々が幻想から解放され、生きる姿勢が変わり、悔いのない日々を送れるようになっています。
こうした、ご縁がある人々の成長を目の当たりにすることが今となっては喜びとなっています。
真理を知ったことで、この世がつまらなくなったと感じたのは一時的なものでした。
今では、その知識を活かし、新たな視点で世界を捉えることができるようになりました。
この世は非常によくできていて、今世の宿題を果たしているだけで想像もつかないサプライズな出来事を用意してくれていることがわかります。
真理を知ることは終わりではなく、新たな始まりであると気づかされたのです。
さらにいうと、真理は知るものではなく、生きて体現するものです。
知識を得ることも時には必要ですが、今世の宿題を果たすため、目の前のことを真摯に取り組みましょう。
もしもあなたが、自分の人生の何かが違うと感じているなら、今世の宿題を果たす人生にシフトしていきましょう。
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