こんにちは! あの世とこの世合同会社の代表社員、中山彰仁です!
期待するから、期待通りに現実が進まない時に不満を感じます。
しかも、期待が大きいほど不満は強くなります。
逆に、何も期待しなければ、不満もなければ不幸を感じる機会も減るでしょう。
人は鏡とききますが、私は全てが鏡だと思っています。
その瞬間に反応したすべてが自分、という感じです。
他人、組織、社会に対し、不平不満ばかり言う人がいます。
そうした人物は、期待し過ぎているのかもしれません。
例えば、あの人はこうしてくれるに違いない、組織や社会とはこうあるべきだからこうしてくれるだろう、云々。
口では偉そうに批判していますが、実際に改善策を考えることがなければ、具体的になんらかの行動を取っているわけでもなさそうです。
本当に現実を変えようとしている人は、批判を言っている暇なく動いていますからね!
勝手に期待して、勝手に裏切られる。
世の中が自分の思い通りになると思っている。
ワガママというか、お子様というか、世間知らずといったところでしょうか。
こうした状態になっていることに氣づき、理解するために、自分のことを棚に上げ、他人、組織、社会に不平不満を言っているのかもしれません。
不平不満を言わずにいられないくらいに期待しているなら、自分が相手の期待に応えられているかも考えてみましょう。
相手の期待に応えていないのに、相手にばかり期待するのは、おかしいですよね。
ただし、相手がこう期待しているに違いないと決めつけないように(笑)
あるいは、他人の期待に応えられず、自分に自信を持てない人は、自分に期待し過ぎかもしれません。
期待するのをやめ、現実を受け入れて観察してみましょう。
そうすれば、何かを勝手に期待して勝手に裏切られて不幸になる機会は減るでしょう。
自ずと、自分ができることややるべきことに意識が向き、できないことや誰かに任せることの線引きができるようになるかもしれません。
では、何も期待しないなら、何を基準に生きればいいのか?
そんな声がきこえてきそうです。
期待≒欲のように捉えることもできますので、人間の原動力として重要だと思うかもしれません。
その基準は、期待や願いを叶えるなどのポジティヴな動機でもない。
そして、不安や恐れを解消するなどのネガティヴな動機でもない。
これなら悪くない。余生を費やしたり、命を賭しても後悔しない。
そんな感じで、自分自身が納得し、誰になんと言われようとも、環境が変わっても続けられること。
それが天職だったり、今世の宿題の一つなのかもしれませんね。
何かを期待せずに淡々とこなせること、なんだかんだ続けていることを思い浮かべてみるのもいいでしょう。
独りでは難しいなら、私も一緒に考えます。
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