こんにちは!あの世とこの世合同会社、代表の中山彰仁です!

幸運・不運というのは、主観に過ぎないと思います。

その瞬間だけを切り取って幸運か不運かを判断できますし、先の先まで考えれば、また解釈が変わってきます。

当時は幸せだと思っていた出来事のせいいで、今が不幸になることもある。

不運と思われる出来事の中にも幸運はあるし、幸運の裏に不運が起きていることもあります。

宝くじを例に考えるとわかりやすいと思います。

宝くじで1等に当選する確率は1,000万分の1、0.00001%といわれています。

では、宝くじに当選した人物は幸運でしょうか?

おそらく、当選後に実際にお金を自由に扱えるようになったら幸運でしょう。

ちなみに、当選者の50%が4年以内に破産しているといわれています。

さたに、当選者の90%が7年以内に使い果たすそうです。

つまり、およそ7年以上経つと、ほとんどの当選者が破産しすると思われます。

大金があれば幸せという価値観を持っているなら、

宝くじに当選→幸運
その後、破産→不幸

となり、破産した後も人生は続きますので、不幸なまま余生を過ごします。

一方、中には破産した経験をバネに、再び事業で成功する人もいるでしょう。

この場合、

破産後、復活→幸運

となります。

その時々の状況で幸運か不幸かが変わっています。

ですが、生きているだけで奇跡だ、幸せだという価値観を持っているなら、

宝くじに当選    →幸運
その後、破産    →幸運
復活してもしなくても→幸運

といった感じで、所持金に関わらず幸運でしょう。

つまり、人間は自分の幸せを自分で決めつけることができると思われます

もちろん、社会や親からの影響をインストールすると決めたのも自分、という前提ではありますが。

このような、人間が思いを巡らすことのできる物事の範囲を仏教用語で思議といいます。

一方、不思議という言葉がありますが、不思議は和製漢語で、正しくは不可思議となります。

その意味するところは、人間の考えの及ぶ埒外、神の思し召し、となります。

顕在意識と潜在意識を氷山の一角で例えた話が有名でしょうか。

あの話を聞いたほとんどの人が、潜在意識を活用したいと思ったはずです。

同様に、思議よりも不可思議を軸に生きる方が、濃密で充実した日々を過ごせることがわかるでしょう。

(思議でみれば)試合に負けて(不可思議でみれば)勝負に勝つ、みたいな。

ですが、振り返ると、自他ともに面白いと思える日々になるかもしれません。

人生を映画として死際に走馬灯として眺めるとしたら、どんな人生を歩みますか?

不可思議を軸にした人生を生きたい方は、ご連絡ください^ ^

《参考》
不可思議を軸に生きた結果の事例