こんにちは!あの世とこの世合同会社、代表の中山彰仁です!
他人の振り見て我が振り直せ、他人は自分を映す鏡など、見かけます。
他人を介さずに自分を知ることはできないのでしょうか。
私なりの捉え方ではありますが、できると思います。
それは、自分が何に、どんな反応したかを知ることです。
出来事は一つですが、解釈の数は人の数だけあります。
私の今日の1分話を理解し、スキを押す人がいれば、理解できずに最後まで読めない人もいます。
そうした解釈や、解釈した結果、どのような言動を取ったかもヒントになります。
鏡がなければ正確にはわかりませんが、私たちが常日頃何かに反応し、思考することによって、表情をはじめとする体の動きがあります。
歳を取ると顔に表れているとはよく耳にしますね。
腰が曲がっている高齢者とそうでない高齢者。
前者はある日を境に突然腰が曲がったわけではありません。
突然そうなったら、怪我か何らかの疾病だと思います(笑)
私たちの思考や、思考の結果として現れる立居振舞は蓄積されます。
そんな感じなので。
ウェブ上の膨大な情報の中から、何に反応したのか。
どんなタイトルや文、言葉に目が留まったのか。
そして、何を考え、感じたのか。
それらもあなた自身です。
同時に、あなたの執着の一つでもあります。
わかりやすいのが、何に対して不満や憤りを感じたか、でしょうか。
例えば、何かや、誰かの発言等を批判する人がいます。
批判している対象は、自分と対立している、自分ではない。
そう認識しているから批判をしているのだと思います。
ですが、批判している思考こそがその人を表しています。
どんぐりの背比べとはよく言ったものだと思います。
相手を批判して勝ったつもりになっていたら、実は自分だったとは・・・。
また、とある問題に強く関心を寄せている人は、その問題と同化しています。
問題を解決するどころか、問題を生み出す自分になってしまっているのです。
思考は現実化する、を理解している方なら、よくおわかりでしょう。
本当に問題を解決したいなら、問題の事実を知ると同時に、解決策まで思考してみませんか?
何かや誰かに怒りを感じたとして、その怒りが自分でいいのか。
いきなり自分を変えることは簡単ではありません。
ですから、反応しても構いません。
その代わり、反応した後に解釈を変えてみてください。
感情に呑まれた自分を受け入れられるなら、それでも構いません。
最近の私は、天の采配を感じる機会が増えました。
ありがとうございます。