こんにちは!あの世とこの世合同会社、代表の中山彰仁です!
今くらいの時期になると、浪人時代や脱サラした頃を思い出します。
世の中において行かれた感覚。
社会の役に立てていない罪悪感。
働くことは、仕事に就いてお金を得ることだと思います。
ですが、傍をラクにすることは違う氣がするのです。
仕事運が塞がれていた過去は、何度か実家のお世話になりました。
少ないながらもお金を渡し、家事や掃除を手伝っていました。
同居させてもらっている代わりに、家族がラクになることをする。
そして、その延長として、街中で困っている人がいたら手を貸す。
友達を励ましたり、励ませるような声掛けをする。
仕事ではありません。
お金にはなりません。
ですが、よく考えると、介護や福祉の仕事に通じていなくもありません。
ただ、働くことは賃金が発生するため、提供するサービスに対してある程度の水準を求められます。
ところが、研修期間があるように、どんな仕事にもステップがあると思います。
仕事がない時も、日々の過ごし方が研修期間のさらに前の研修なのかもしれません。
事務の仕事はパソコン操作の延長。
スポーツ選手は部活の延長。
画家は落書きの延長。
料理人は皮剥き延長。
私の場合、何の因果か、脱サラして仕事が少なかった時期に全力で取り組んでいたことが、氣功師になるための研修になっていたのだと思います。
働かなくても、傍をラクにできます。
お金をもらえないからと、不貞腐れて何もしなかったり、手を抜いた日々を過ごすのか。
日常において、自分ができることのクオリティを高められるよう、中今に集中して取り組むか。
さすがに24時間365日集中し続けることは不可能だと思います(笑)
ただ、中今に集中している時間を増やしていくことはできると思います。
中今に集中する時間を増やしていくことで、自分の得意や、苦手ではない分野がわかってきます。
これで生きていく!と決めつけず、まずは与えられたこと、身の回りのことのプロフェッショナルから始めてみませんか(^^)
ただ、以前の私のように、仕事運が塞がれているために、何かをやろうとしても突然やる氣がなくなったり、よくわからない理由で頓挫することがあるかもしれません。
心当たりがある方は場合はご相談ください。