青年は思議していた。
2021年8月24日の夜、白金高輪台の出口のエスカレーター付近で、花森弘卓容疑者が22歳の会社員男性に対し、追い抜きざまに持っていた硫酸を振りかけた事件についてである。
硫酸は皮膚に触れるとすぐに炎症を起こし、放置しておくと火傷にまで悪化する、極めて危険な鉱酸である。
被害者の男性は顔に火傷を負い、失明こそまぬがれたが両目の角膜が損傷し、全治6カ月の傷を負った。また、たまたま彼の後ろにいた会社員女性(34)も硫酸が足にかかり、軽い火傷を負った。
加害者と被害者は大学のサークルの先輩・後輩の関係で、学生時代に被害者が先輩である加害者に“タメ口を聞いたこと”が、加害者が犯行に及んだ主な動機であるという。
人によって捉え方が異なると思うが、そのような些細とも言えそうな出来事に対し、一生残るような傷を負いかねない硫酸を、しかも顔面にかけるとは、青年には度し難く感じられた。
加害者はどのような魂の属性を持っているのか?
今回の事件には、やはり“5:事故/事件”の相が関与しているのだろうか?
独りで考えても埒が明かないと思い、青年は陰陽師の元を訪れるのだった。
『先生、こんばんは。本日は硫酸事件について教えていただきたいと思い、お邪魔致しました』
「先日起きた事件のことじゃな」
『そうです。僕の見立てでは、加害者と被害者の全員に“5:事故/事件”の相がかかっていると思いますが、それよりも、加害者の魂の属性が特殊なのではないかと思いました』
そう言い、青年は事件の概要を陰陽師に説明する。
青年の言葉に耳を傾けながら、陰陽師は3人の鑑定結果を紙に書き記していく。
3人の属性表を眺めた青年は、小さく唸ってから口を開く。
『やはり、全員に“5:事故/事件”の相がかかっていますね。また、人運の数字が“7”以下で転生回数の十の位の数字が“3”、すなわち“数奇な人生を歩む傾向がある”ことも、全員に共通していますので、大雑把に言ってしまえば、今回の事件の役者としてこの三人が引き寄せ合ってしまったと考えることができそうです』
「そう考えることもできよう。ところで、人運が出てきたため、総合運について補足するが、総合運が9点満点として、なおかつ9点の項目の運がある場合、その項目で苦労することは今世の宿題に含まれていない傾向がある。そして、8点の場合は、霊障とは関係なく“何らかの問題を抱える”ことになり、7点以下になってしまうと、“かなり大きな問題を抱える”結果となる。また、総合運が1点下がる毎に、それ以外の項目は、総合運9点の場合と比べて、さらに1点ずつ下がることになる」
陰陽師の言葉に対し、青年は大きく頷いてから、口を開く。
『今度は加害者の属性に焦点を当てて考えますと、血脈の精神疾患の“10:攻撃性”が要因の一つと考えられます。実際、手間がかかる硫酸を事前に準備したり、被害者の通勤経路を把握するなど、実際に犯行に及ぶまでに考えを改める機会は何度かあったにも関わらず、歯止めが効かなかったことは、血脈の精神疾患は“性向”に該当することもあることを考慮すると、その影響があったのでしょう』
《霊脈先祖の霊障》
今世の宿題に対して逆接な“重し”、つまり、人生の方向性が今世の宿題と逆方向に働く
《血脈先祖の霊障》
今世の宿題に対して順接、すなわち“無用な重し”となって顕在化する
「攻撃性という点で付言するとすれば、インターフェイスの三番目の数字が“6”であることも要因として挙げられる。というのも、インターフェイスの三番目に“6”がある場合、“攻撃性”という意味が考えられることもあるのじゃ」
陰陽師の言葉を聞いた青年は、再び加害者の属性表を見やり、口を開く。
『なるほど。そう言えば、属性表の“魂の特徴”の三番目の“攻撃性”の上段の数字が“2”ですので、この点も彼の“攻撃性”を増長しているようですね』
「さらに言うと、五番目の“自己顕示欲”の数字も要因の一つとして考えられる」
『自己顕示欲の強さと攻撃性に 、どういった関係があるのでしょうか?』
訝しげに問い掛ける青年に対し、陰陽師は該当する箇所の2−7の数字に印をつけ、口を開く。
「自己顕示欲が直接攻撃性に結びついているのではなく、自己顕示欲の枝番、すなわち下段の数字が現世ではそのまま“人格”を表しておるのじゃ。ここの数字が“9”であると“喧嘩っ早く、キレやすい乱暴者”ということになるが、“7”であってもかなり“強引さ/攻撃性”が目立つ」
『なるほど。ただ、それらの傾向は代表的な例であって、属性表の他の数字との組み合わせで“人格”の強弱や性質が変わる、という認識でよろしいでしょうか』
「概ね、その認識で合っておる。後は、加害者が頭2−3であることも主な要因の一つと考えられる」
陰陽師の言葉を聞いた青年は、頭1/2に関して紙に書き始める。
頭1:農耕/遊牧民族の末裔。世のため・人のためを地で行動する傾向がある
頭2:狩猟民族の末裔。“我”が強く、物事を自分の利害関係で判断する傾向がある
『頭2である人物の場合、1〜9まである枝番が“1”に近いほど頭2の傾向が顕著になり、“9”に近いほど頭1の傾向になっていくとお聞きしましたが、頭2の枝番が“3”である加害者は、かなり自己中心的な考えをする傾向があるようですね』
「そうではあるが、実際にそのような言動を取っていたのかの?」
『実際、加害者は、昨年の9月に“家に泊まりに行っていいか?”と被害者にLINEを送っていたようで、被害者は多忙を理由に断りましたが、その後も同様のメッセージが届いたため、加害者をブロックしたようです。すると今度は、態度を改めるように求める内容が書かれた、差出人不明の手紙が被害者に届いたとあり、被害者のことを考えず、かなり自己中心的な言動を取っていたと思います』
「なるほど。して、被害者の男性はどのような人物なのかな?」
陰陽師にそう問われた青年は、スマートフォンを手早く操作し、やがて口を開く。
『被害者の大学時代の友人によると、“彼は皆に慕われていて、恨みを持たれていたとは考えづらい“と証言しています』
「被害者の属性表を見る限り、加害者に比べて被害者の方が社会性があると思われるが、被害者が対象となってしまった要因として、人運が“4”と極端に低いこと、血脈と天命運の“5:一般・事故・被害者・怪我”の相がかかっていることが考えられる」
『なるほど。犯行前、加害者は琉球大学の卒業生名簿を手に入れるため、琉球大学を訪ねていたようで、4月には同じサークルだった別の知人にも接触し、恨み節の言葉とともに犯行をほのめかしていたため、標的は複数いたと思われます。その中で、被害者の男性は不運にも選ばれてしまったようですね』
「その可能性が高いようじゃな」
『被害者は血脈先祖の霊障の“5”の相だけでパフォーマンスが40%も塞がれていることを考慮しますと、ひょっとしたら、事件前にLINEが送られてきた時に会って話をしていたら、その時の口論や暴行による怪我で済んでいた可能性が考えられるのでしょうか』
「仮定の話であるゆえ断言できぬが、加害者と被害者の間で何らかのトラブルがあることは、お互いの今世の宿題を果たすために避けられない出来事だったかもしれぬが、今世の宿題に対して順接、“無用な重し”として顕在化する血脈の霊障の影響によって、被害者が硫酸を顔面にかけられるほどの大怪我に発展してしまったと考えることもできる」
陰陽師の言葉を聞いた青年は、深いため息を吐いた後、口を開く。
『なるほど。こうして、大学時代の出来事を忘れず、数年越しに犯行を行った要因の一つとして、魂の特徴の四番目の項目である“恨み辛み”の上段の数字が“2”であることが考えられます』
「そなたの言う通りじゃな。最後に、この事件に巻き込まれてしまったと言えなくもない、被害者の女性について、そなたはどう考える?」
『被害者の女性は人運が“7”ですから、やはり彼女も何らかの人間関係のトラブルを通じて学ぶことが今世の宿題に含まれていると思われますが、彼女にかかっている天命運の“5:一般・事故・被害者・怪我”の相の影響で、よりによって二人とは無関係であるにも関わらず、今回の事件に引き寄せ合ってしまった可能性があると考えています』
「被害者の女性に関しては、残念ながらその可能性が考えられる」
そう言い、陰陽師は湯呑みに注がれた茶を一口のみ、言葉を続ける。
「して、加害者である花森弘卓はどんな人生を歩んできたか、ネット上で確認できるかの?」
陰陽師にそう問われた青年は、スマートフォンを操作し、口を開く。
『小学生の頃の彼はクラスの中で浮いていて、いつも一人だったようで、クラスの展示物をかたっぱしから壊したり、生きたバッタをクラス共用の鉛筆削りに詰めたりと、周囲に迷惑をかけていたようです。また、彼がイジメの標的にした子に対し、石を投げつけたり、暴力を振るう他、毛虫やナメクジや牛の糞を食べさせるなどの、蛮行を取っていたとのことです』
「なるほど。彼の属性表から推して知るべし、といったところじゃな」
『他にも、彼が高校三年の時に、体育館のステージの自由参加の出し物に立候補して、たった1人でサイリウムを使ってヲタ芸を披露したとありますが、多くの人物は、こうした出し物を一人で実行しないだろうと思います』
「まあ、そうじゃろうな」
陰陽師の相槌に対し、青年は言葉を続ける。
『こうした行動を取る要因の一つとして、彼の魂の特徴の中で二番目と五番目、すなわち“厭世的”と“自己顕示欲”の項目の上段の数字が“2”であることが考えられます。当該の特徴を持つ彼は、前者の特徴によって浮世離れした行動を取る傾向があると思われ、後者の特徴が加わることによって、わざわざ大勢の前でやってみせたのではないかと思われます』
陰陽師が黙って青年の言葉に耳を傾けている様子を見やり、青年は言葉を続ける。
『また、彼は今世の使命における、“基本的使命”と“具体的使命”の下段の数字が7−3と4つも離れていますので、これらの数字がより大きく離れている人物は、常軌を逸した行動を取る傾向があるのではないかと予想しました』
「概ね、そなたの言う通りじゃな。他に、特徴的なエピソードはあるかの?」
『彼は高校時代から、自分で育てた昆虫をヤフーオークションで売っていたようです。また、昆虫以外にも手広く転売をしていたようで、当時流行っていたアニメの映画が公開された時も、週替り特典の色紙やメッセージカードなどを、転売することを見据えて毎週映画館に通っていたとのことです』
青年の言葉を聞いた陰陽師は、小さく笑ってから口を開く。
「それは、商魂たくましい、“魂3:武士”らしい行動じゃな。実際、彼は理系の傾向がある転生回数期が第三期に属しており、今世は特に昆虫を中心とする“生物学”に適性があると考えられる」
『なるほど。ちなみに、彼のビジネス運と金運はともに“7”ですから、昆虫の育成や販売、アニメグッズの転売を業種とした法人の設立まで、規模を大きくすることは難しいと考えましたが、いかがでしょうか?』
「いや、そうではない。それらの運の数値はあくまで結果を前提とした運であることから、結果的にはそなたが予測した通りになる可能性はじゅうぶんにあるものの、未来は不確定という前提で考えれば、彼が商売の規模を拡大できるかどうかは、今後の彼の行動次第であることはわかるかの?」
陰陽師に言葉を聞いた青年が首肯しているのを見やり、陰陽師は言葉を続ける。
「ただし、彼が大規模な事業計画を立て、いざ実行したとしても、成功する確率/運が“7”と低いことから失敗することが多いということじゃ」
『そして、その二つの運が低い彼にとっては、そうした失敗を通じて学びを得ることが今世の宿題の一つに含まれている可能性があると』
「概ね、そなたの言う通りじゃ。ところで、彼は恋愛運が“3”とかなり低いが、異性関係はどうだったのじゃ?」
陰陽師にそう問われた青年は、スマートフォンを手早く操作し、口を開く。
『彼はボーカロイドやアニメソングが好きで、“彼女を作るのは無理だと思う。僕の彼女は宇宙人しかいないかな”と語っていたそうですので、異性とはあまり縁がなかったと思われます』
「そなたが見つけた情報から察するに、現実世界の女性に対する興味を失ったということかの?」
『そうかと思いきや、予備校時代に、とある女子生徒に対して異常とも言える執着心を発揮し、トラブルを起こしていたようです』
「というと」
『その女子生徒が帰宅する途中にサラリーマンにナンパされたことがあったようで、それを聞いた加害者は、見方によってはストーカーと言っても過言ではないほどの行為をしていたようです。他にも、その女子生徒の誕生日に、彼女の家の前で加害者が待っていて、彼女が友人たちと帰宅した際に、急に地面に膝をついて赤い薔薇の花を渡し、歯が浮くような台詞を並べ、ヤドカリの”つがい”をプレゼントしたこともあるそうです』
「なるほど」
そう言い、陰陽師は指を小刻みに動かした後、再び口を開く。
「加害者の“トンチンカン度の高さ”は80じゃな」
『トンチンカン度でしょうか?』
怪訝な表情でそう言う青年に対し、陰陽師は小さく頷いてから口を開く。
「そう、トンチンカン度じゃ。それは、現実的な問題において、一見こんがらがった事象を瞬時に見分ける/簡潔に表現できる能力を意味し、そのスコアが高くなるほど、話が噛み合いにくくなる傾向がある」
陰陽師の言葉を聞いた青年は、しばらく黙考した後、やがて口を開く。
『つまり、加害者は自分の行動がお目当ての女子生徒にどのように受け取られるかを想像することが苦手であり、奇行とでも言うような行動を取ってしまった要因に、“トンチンカン度の高さ”も関係しているということでしょうか』
「“トンチンカン度の高さ”だけで決まるものではなく、あくまで主な要因の中の一つ、と理解すればよいと思う。ちなみに、彼の恋愛運の数字である“3”には、“女性”、“女性的側面”、“奉仕”、“マゾ的気質”、“変態趣味”、“狂気”という傾向がある」
『なるほど。ネットの情報を見る限りでは、それらの中でも特に“狂気”が顕在化してしまったという印象を受けます』
「一概には言えぬが、そう捉えることもできよう。そして、恋愛運の“3”は、広義の意味では“異性運”のなさとなる。つまり、彼はまともな恋愛・結婚をすることが難しく、多くの異性との問題で悩むことを通じて学びを得る傾向がある」
陰陽師の言葉を聞いた青年は、大きく頷いてから、口を開く。
『今度は彼の家族関係についてお聞きしたいのですが、彼の父は有名な整体師で、中国人の母も医療関係の仕事に就く裕福な家庭で育ったようですが、両親共に既に他界しています。家族はとても仲が良く、夏休みなどに3人で中国へたびたび旅行に行っていましたが、7年ほど前に父親が病気で亡くなり、その数年後には母親も亡くなってしまったとのことです』
「なるほど」
『また、彼が高校生くらいの頃、母親に馬乗りになって首元を掴み、今にも殴りそうな雰囲気だった、と近所の人が見かけたことがあったようですが、今回の硫酸事件や彼の学生時代の言動や、彼の諸々の魂の属性や攻撃性があることを踏まえると、元々こうした出来事を起こしやすいのではないかと思われます』
青年の言葉を聞いた陰陽師は、ふむと相槌を打った後、鑑定結果を紙に書き足していく。
青年が二人の属性表を見終えた頃に、陰陽師は再び口を開く。
「その時はたまたま近所の人が見かけて発覚したと思われるが、実際には他にも家庭内でのいざこざがあったかもしれぬ。じゃが、母子ともに人運が“7”以下であることを考慮すると、そうした母子関係の中で学ぶことが、両者の今世の宿題の一つである可能性があるのじゃよ」
『なるほど。子は自らの今世の宿題を果たすのに最適な母親を選んで産まれてくるということでしたね(※第44話:福岡5歳児餓死事件と今世の宿題参照)』
「まあ、そういうことじゃ。話を戻すが、今回の硫酸事件は社会的には許されがたい出来事として認識されていることは、紛れもない事実じゃ。しかしながら、加害者と被害者の双方にとって、今回の事件を通じて学ぶべきことがあったことも考えられることを、覚えておくようにの」
そう言い、陰陽師は壁時計に視線を向ける。
それに気づいた青年も、スマートフォンで時間を確認する。
『もうこんな時間でしたか。今日も遅くまでありがとうございます』
そう言い、青年は席を立って深々と頭を下げた。
「今日もご苦労じゃったな。気をつけて帰るのじゃぞ」
陰陽師はいつもの笑みで手を振り、青年を見送った。
帰路の途中、青年は過去の出来事を振り返っていた。
自分は金運と恋愛運が共に“7”以下で、それらの項目で起きた問題を通じて、人生における重要な学びを得たことを理解しているものの、今になって振り返れば、霊障や天命運の影響によって必要以上の損害を受けていたことを、どういうわけか判断できている感覚がある。
ふりかかる難が今世の宿題と関わっていることもあるため、全ての難をなくすことは霊的な観点からは望ましくないが、自分と縁がある人物が大難を体験することで抱える後悔が少なくなるよう、霊障について説明し、大難を小難にするために神事の案内をしていこう。
そう、青年は思議したのだった。